No.1.1 わたしは「トラウマ」を負っているのか?
色々とnoteに書き殴ってきましたが、結局のところ自分で自分をどうにかするしかないんだな、と思い始めました。
当面の目標を、「自分を認める」「安心感を得る」ということにして、色々勉強していこうと思います。
専門家ではない素人が書いていることですので、誤りなどあるかと思いますので、その点ご了承ください。また、新しい情報を追加することがあります。
というわけで恐らくわたしの不安の根本にあるだろう「トラウマ」について、まずは調べたことと自分のことをまとめたいと思う。
複雑性PTSD(ハーマン、コーク)
「PTSD」という概念はベトナム戦争後の帰還兵たちの間で見られた精神症状から確立された概念である。これは自分自身が「これはおかしなこと/非常事態である」と認識しながら危機的な状況に遭遇し、結果として様々な精神的問題を抱えることになるものだ。一方で、わたしが「トラウマ」と感じていることは、「自分がおかしな状況にいる」ということを認識しないまま被害を受ける、という点で先に挙げたPTSDとは異なる。ハーマンはこのようなトラウマについて「複雑性PTSD」という概念を提唱した。さらにベセル・ヴァン・デア・コークが診断基準の試案を作成した。以下はその説明になる。
まず、この診断基準試案と自分の状態を比較してみる。Aは概ね当てはまる。自傷、自殺企図ともに行ったことがあるからだ。ただこの半年は実行に移すほどには至っていない。
Bは少し難しい。そもそも健忘と解離とはどのような状態だろうか?
健忘は少しだけあるかもしれない。小学校中学年頃の記憶が思い出せない。もちろん幼い頃の記憶だからというのもあるかもしれないが、学校での思い出はあるのに家庭でどのように過ごしていたのかほとんど思い出せないのだ。ちなみに母親も覚えていないらしく、本当に覚えていないのかすら確かめられない。
解離については、「周囲の世界から切り離されているように感じる」というのはあてはまる気がする。noteにいくつか記事があるように、他人と話している自分は違う自分のように感じられることがあるからだ。
次にCである。わたしは頭痛持ちで、天気痛というやつだと思われるのだが、これが診断基準に当てはまるものなのかは不明だ。祖母の代から頭痛持ちらしいので、遺伝の可能性も高い。
Dに関しては心当たりがある。まず、「自分に生きている価値がない」と罪悪感を抱きやすい。それに人は信じられない。これらはnoteの記事にもいくつか書いている。加害と被害の反復に関しても、元恋人がモラハラに近い態度を取っていたことがあり、まるで父親と母親みたいな関係だと思ったことがある。
Eについても当てはまると感じる。確かに楽しいことはあるかもしれないけれど、それは一瞬で人生は苦しいものだと感じる。死んでしまったほうが楽だと思う。また、「以前の自分を支えていた信念の喪失」と書かれていて気が付いたのだが、幼い頃は母親に対してそれなりに信頼を感じていたような気がする。物心がつく前だと思うので確かなことは言えないけれど、母親は「傷つけてくる人」ではなく「わたしを裏切った人」と感じているから、もともとは信頼感があったのかもしれない。
これらの診断基準試案を見てみると、わたしは複雑性PTSDの症状があると言える可能性が高い。
ICD-11における複雑性PTSD
PTSD(心的外傷後ストレス症)はアメリカ精神医学会による精神疾患の診断・統計マニュアルDSM-5に記載されているが、複雑性PTSDについては記載されていない。DSM-Ⅳでコークの診断基準試案の記載が検討されたようだが、正式には採用されなかった。
しかしICDというWHOが作製している診断基準では、ICD-11に複雑性PTSDが記載された。しかし最初に示したコークのものとは異なるようである。
通常のPTSD症状に加え、感情の制御困難、否定的な自己概念、対人関係の困難が挙げられている。長文になってしまうので、診断基準を簡単にまとめたいと思う。
コークの診断基準試案にPTSD症状の中核要素を重視しているもののようだ。後半にある自傷行為や解離的な反応、自分への自身のなさやなどは最初の診断基準と同様あてはまる。また、実生活においても人が怖くて家から出られないときがあるなど社会生活に問題が生じる点も当てはまる。
PTSDの中核要素も、父親に関する悪夢を未だに見ること、父親と戸籍上縁を切ったという回避行動、大きな音や声に過剰に驚くなど、当てはまっているように思える。
ここからも、わたしは複雑性PTSDに似た症状を抱えているといえる可能性がある。
逆境的小児期体験(ACE)
次に、逆境的小児期体験(ACE)について。ACEは小児期に体験した虐待や面前DV、養育者のうつ病やアルコール依存などが含まれている。ACEを体験した人がそうでない人に比べて成人後に身体・精神疾患を発症しやすいという研究があるが、それについては別の機会に書くことにして、ACEの調査内容について調べてみる。
さて、これらの項目について自分自身にあてはまるか考えてみたい。ちなみに「はい」の数が多いほどACEスコアが高く、成人後の疾患リスクが上がるそうだ。
1.について。父親が怒りっぽい性格だったため、いつ怒鳴られるかと毎日不安だった。「危害が及ぶかもしれないという恐怖」は感じていただろう。また、父親の思い通りの行動が出来なかったときは使えない、のろまだ、といった言葉をかけられたので「はい」という答えになる。
次に2.について。「押されたりつかまれたり」がどの程度か分からないが、父親から少しでも離れて歩いたり邪魔な場所に立っていたりすると腕を引っ張られたり肩を押されたりすることはあった。出かけるときはほとんど経験している。なのでこれも「はい」だろう。
3.の性的な虐待に関しては幸い経験したことがないので「いいえ」になる。
4.は自分は家族の中で邪魔者で、何か親のためになることをしなければという考えがあった。また、父親はわたしの進路について全く知らなかったり、反対に母親は父親がどのようにお金を使っているかを全く知らなかったりと、家族はお互いに親しみや関心はなかったと言えるだろう。これも「はい」が答えだ。
5.衣食住や教育はきちんと与えられていた。しかし「自分を守ってくれる人がいない」と感じていたのも確かである。困ったときに親に相談するということをほとんどしなかった。なのでこれは「はい」と「いいえ」の間くらいだと思う。
6.両親との別離は経験がないので「いいえ」だ。(余談だけれど父親が出ていけばいいのにと常に祈っていた)
7.母親は怒鳴られる、ドアを叩きつける、無視される、嫌みを言われるなどモラハラを受けていたが、暴力は受けていなかった(少なくともわたしの前では)。この質問の意図が暴力そのものにあるのかDV全般にあるのか分かりかねるので、言葉通りに解釈し「いいえ」とする。
8.父親は酒癖が悪かった。特に外で飲んで帰ってくると恐ろしかった。ので「はい」が答えだ。
9.こちらも自分を除いて当てはまる人がいないので「いいえ」だ。
10.これも「いいえ」
これらからわたしのACEスコアは4になる(もしかしたら5に近いかもしれない)。詳しくは別の記事に書く予定だけれど、そこそこ悪い数字のようだ。
発達性トラウマ障害
ACEを経験した人は成人後にさまざまな疾患にかかることが判明したことから、DSMにこの概念を「発達性トラウマ障害」として載せようという動きがあったようだが、結果として現在もこの概念はDSMには載っていない。こちらもコークらによる診断基準試案があるため、一部簡略化して書いておこうと思う。
こちらもICD-11の診断基準に似ているが、幼少期に体験したストレスに対するものという定義がある点が異なると言える。暴力的な出来事や、情緒的虐待がどの程度のものを指すのかが分からないので、わたしが当てはまるかもわからない。将来的には、より改善された診断基準がDSMに載るのかもしれない。
まとめと展望
ひとまず、手元にある本やインターネットの情報を参考に、自身が今どのような状態にあるのかをまとめてみた。結論として、わたしは幼少期の体験により、複雑性PTSDという状態になっていると思われる。ある程度客観的な基準に基づいて考えられたことで、「これはわたしの被害妄想なのではないか」という気持ちが少し薄れたと思う。
次に調べてみたいのが、なぜ辛い体験と複雑性PTSDのような症状が関連しているのだろうか?ということだ。早く治療法なりを見つけたい気持ちもあるけれど、その前にもっと理論的な部分を理解した方が、治療にも意味を感じることが出来ると思う。
加えて、ハーマン氏の提唱した概念が重要であるらしいということも分かったので、邦訳されているハーマン氏の著作も読んでいきたいと思う。
参考文献
アクス・ヒューマン・ケア 白川美也子著 「赤ずきんとオオカミのトラウマケア」
パンローリング株式会社 ドナ・ジャクソン・ナカザワ著 「小児期トラウマがもたらす病」
誠信書房 杉山登志郎著 「発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療」
精神雑誌(2021) 第123巻 第10号 金吉晴 「ICD-11におけるストレス関連症群と解離症群の診断動向」
MSDマニュアル家庭版 https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
リタリコジュニア https://junior.litalico.jp/column/article/022/