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読書感想文:「紙の動物園」「もののあはれ」

 ケン・リュウ著「紙の動物園」「もののあはれ」を読んだ感想。元は一つの短編集だそうですが、文庫本で読んだのでそちらの通りの順番で。

 お話がたくさんあったので、気に入ったのをいくつか抜粋します。ネタバレあり。分かるところは科学の解説めいたこともちょっとしてます。


「紙の動物園」

 1冊目の表題作でもあるこのお話はSFというより暖かなファンタジーという雰囲気。お母さんが作ってくれた折り紙の動物たちは本当に生きているかのように動く。お母さんの不思議な力で。

 中国からアメリカに嫁いできたお母さんに素直になれない息子。小さい頃は紙の動物たちと仲良くしていたのに、友達にからかわれてからはスター・ウォーズの最新フィギュアで遊ぶ。よくあるような子供の反抗期と、移民の子としての複雑な心境が絡み合っていた。私は空気を読み過ぎてしまうタイプの子供だったから、両親に冷たく当たるなんてとんでもないことだった。だからこういう反抗期について実感が湧かない。反抗なんて無駄な行為だとも思っていたけれど、やはり一度反発して自分の足で立ってみてこそ、親の想いに触れられるのかもしれない。実際、私は家族の優しさだとか暖かさだとかいうものを、何年も一人暮らしした今になっても理解できていない。忘れてしまったのかもしれない。しかしこのお話の最後の、お母さんからの手紙には心を動かされた。一般論としての家族の、親の心というものは理解できるのかもしれない。個人的な家族へのあれそれは置いておいて、優しいお話だった。


「結縄」

 こちらは著者付記にもあるように、タンパク質フォールディングについての研究と、インカのキープという縄で記された文字、ハングル、中国の遊び紐細工がモデルになったお話。

 タンパク質というのはアミノ酸が長くつながってできた鎖のようなものだが、そのアミノ酸には種類がある。そしてそれぞれ水と仲良しとか仲が悪いとか、プラスになっていたりマイナスになっていたりどちらでもなかったり、と個性を持っている。その個性のおかげで仲が良いアミノ酸同士が近づいたり、相性が悪い奴は遠くに行こうとしたりして長い鎖がくねくねと動き、しばらくするとそれぞれ居心地の良い場所に落ち着く。こうしてタンパク質は複雑な形になり、複雑な形のおかげで我々の体の中で機械のように動いている、というわけだ。だから病気のことを調べたり薬を開発するにはタンパク質について知らねばならず、アミノ酸の順番からどんな形のタンパク質になるか予測する必要があるのだ。しかしこれは厄介な作業だ。なぜならアミノ酸は何百何千と繋がっていて、20種類くらいあり、それぞれの相性から全てのアミノ酸がちょうど居心地良くなれる場所を探すなんてそれこそ天文学的な数の組み合わせがあるからだ。もちろんコンピュータでさえ終わらせることの難しい作業である。だからこそこの作中の老人の、鎖がどんな風に結ばれたがっているのかを感じる能力、というのが重宝されたわけである。

 このお話の元となった研究では、中国の縄を扱い慣れた老人ではなくゲーマーたちがその役割を担っている。アミノ酸たちがより居心地良く居られる位置を探すごとにポイントが上がっていく、というシステムのゲームをやってもらうことでタンパク質がどんな形になっているか予測してもらおう、というわけだ。実際それなりに上手くいったという話を聞いたことがある(論文はちゃんと読んでません、すみません)。テトリスみたいなゲームもやり込んでいくうちに次の良い手を考えて高得点を取れるようになるから、そういう仕組みなのだと思う。人間も案外侮れない。結局現在ではAlphaFoldという人工知能の方が性能がいいということになっているらしいけれど。

 ちなみにインカのキープ(縄文字)は実際に博物館で見たことがある。教科書でその存在を知ったときは縄跳びの縄みたいなもんかなと思っていたが、実際はもっと細い。税金だとかの記録用らしいからそりゃそうだ。太かったら保管も移動も大変だろう。一つずつ縄を結んで文字を記録していくのは繊細な作業だったに違いない。郵便屋さんはこの縄を腰につけて走っていたらしい。

 どちらかというと技術的なことにばかり目がいってしまう話だが、オチには資本主義とは……と想いを馳せずにはいられなかった。

「心智五行」

 こちらはかなりSFらしくワクワクしてしまうお話。宇宙の様々な場所に人類が住んでいるほど科学が発達した世界。宇宙旅行中に遭難した主人公は運よく人がいる惑星にたどり着くが、その惑星の人々は歴史から忘れ去られていて……。

 あらすじを上手くまとめるのも才能がいるみたいだ。なかなか難しい。このお話も著者付記にあるように腸内細菌叢が脳へ影響を与えているのではないか、という研究が元になっている。歴史から忘れられた人々は独自の文化を持ち、中国の五行説や漢方のような理論に基づいて医療を行なっている。発達した科学文明からやってきた主人公にとっては野蛮に見える行いだが、実はある程度理にかなっているのかもしれない、といったことだろう。実際に漢方をはじめとした東洋医学は西洋医学の視点からも見直されているし、その辺りも参考にされているはずだ。実際は脳へたどり着ける物質は限られているので、腸内細菌叢がどれくらい脳の活動に影響を与えているかはまだ未知数といったところだろうが、恋とか愛とかもいくらかは細菌のせいかもしれない。と思うと、いったい自分たちの感情ってなんだろうね?という気持ちになる。同時にその秘密を解き明かして仕舞えば、感情なんて思うがままコントロールできるのかも。大雑把にではあるが今も薬で多少気分を変えてしまえるわけだし。個人的には自由意志なんてないんだろうなと考えているのだけれど、完全に脱線するのでおしまいにします。


「もののあはれ」

 ここからは文庫版の2冊目。小惑星の衝突による人類滅亡の危機と、そこから脱出した人々ーーというとありがちなように思えるけれど、全体に漂う儚い雰囲気は「あはれ」といったところだろうか。主人公は日本人であり、芭蕉の句など日本に因んだものが出てくる。こうして実感を伴って物語の雰囲気に触れることができるのは嬉しい。文化が変わるとどうしても元々の感触というものは失われてしまうと思っているから、翻訳ものは原語で読めたらなあ、と思ってしまう。しかしこのお話は日本語で読めることに感謝したくなった。

 中国出身の作家なので、もちろんそのバックグラウンドに因んだ歴史や文化にまつわるお話が多い。しかし日本は同じ漢字文化圏だし、私は沖縄出身で、ちょっとだけ中国の文化に馴染みがないこともない。最初に紹介した「紙の動物園」には「清明節」のお祭りが出てくる。地元では「シーミー」と呼ばれていて、一族でお墓参りに行って、そのお墓でみんなでご飯を食べる、という本土の人からするとちょっと不思議であろう行事だ。中国ではもうちょっと違う形でやるのかもしれないが、死者に近づくという点では同じだ。ここしばらくシーミーには参加できていないけれど、子供の頃のみんなで食べたお重の味や訳もわからず手を合わせていたことを思い出しながら、なんとなく家族や祖先というものをイメージできた気がする。触れてはいないが「文字占い師」では漢字がテーマになっており、英語など非漢字文化圏に訳するのは大変だろうなと思う。こんな風に近い文化の素敵な作品を読めるのはありがたいことだ。


「選抜宇宙種族の本づくり習性」

 宇宙の様々な種族の「本」事情について、説明口調で述べられたお話。物語、というより図鑑みたいだ(図はないけれど)。やはり一番好きなのは一番最後の「カル‘イー族」。彼らは本を読んだり書いたりするのではなく、いろいろな種族の本を集めてきてそれで街を作ってしまうという。不思議とそれぞれの種族にあった用途で各々の本が使われているので、皆懐かしさと納得を覚えてしまうらしい。本を読むことなく、その内容を身をもって味わう。何だか羨ましい気もしてきた。

 実際、脳の神経細胞のつながりが銀河のように見えたり、電子回路の拡大写真が街のように見えたりするらしく、何か目的を持って設計されるものは似たような構造になることがあるのかもしれない。一つの目的を追究することで洗練されたものが生まれる。実用と芸術のつながり、みたいなことが思い浮かぶけれど、なにぶん詳しくないのでぼんやりとしたことしか言えない。


「良い狩りを」

 一番好き。妖狐の少女と妖怪退治師の少年の出会い、交流、そして文明開花の足音が聞こえ居場所を失っていくふたり。スチームパンクの香りと、何よりラストシーンの美しさ。綺麗なアニメーションで映像化して欲しい。いや、自分の脳内のイメージを大事にして、心の奥にそっとしまっておいた方がいいかもしれない。

 二次創作ではあるがスチームパンク小説に挑戦したことがあるので、小説でのスチームパンク描写の難しさは身に沁みている。あれ、結局視覚的な格好良さだろ?と思って投げやり気味になってしまったけれど、こうやって書くんだぞと見せつけられた思いがする。

 個人的にはボーイミーツガールが大好きなので、このお話も漏れなく好きになってしまった。正直このお話のあらすじを見てこっちの本も買ってしまったので、好きにならないわけがなかった。どうやら日本でもかなり人気の作品らしい。だよね!わかる。

まとめ:「家族」への憧れ

 全体としては、もちろんSF的な科学と空想の技も素晴らしいのだが、「家族」というテーマが多く扱われ、そして大事にされているような印象を受けた。ここで取り上げなかった他の作品もそうだ。家族、夫婦、親子、時には名前のついた関係ではなくても、そんな繋がりには複雑な(もちろん悪い部分も含めた)感情がある。しかし根底には愛とか赦しとか、そういったものがあると著者は考えているような気がした。

 私にはそういう「家族」の、根底にある何かがよく分からない。自分の家は表面上は普通の良い家なのだけれど、どうしても家族ごっこをしている感じが拭えなかった。お互いを信頼しているかと問われたら多分ノー。だから家族の絆みたいなものの方がフィクションめいて感じられる。著者はそうではない人なのかもしれず、だからフィクションの中に家族の繋がりを描くことができるのかもしれない。あるいは逆に私と同じタイプかも。答えを知ることはないのだが、私はこれらの作品に描かれている繋がりが少し羨ましくなった。

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