「平成の名小説」全レビュー(3)佐伯一麦「行人塚」
「新潮」別冊「平成の名小説」に掲載された平成の30年間を彩る短篇小説・エッセイを、順に紹介・レビューしています。今回は佐伯一麦「行人塚」。例によって気になる箇所を引用してから内容と読みどころを紹介したいと思います。
お父さんはな、と私は娘に話しかけた。運動会のときにここで皆の前でおしっこを洩らしちまったことがあるんだ。娘が私の方を見た。その顔に向かって私は続けた。閉会式の時だった、皆が並んで先生の話を聞いているときにどうしても我慢できなくて、自分の足元だけに水溜まりが出来てさ。そう言うと娘がくすりと笑った。吃りって知ってるか。娘は頭を振った。娘は幼稚園でも口を利けないらしかった。お父さんも小さいときうまくしゃべれなかったんだ、だからトイレに行きたいって先生に言えなくてな、弱虫だったんだよ、お父さんも。
「私」は東京から仙台へ、妊娠中の妻と5歳と2歳のふたりの娘を連れてはじめて帰省します。電気工の仕事を休職中の「私」には、両親にお金を無心するというひそかな目的がありました。結局、そのことに勘付いていた「私」の父親は、何も聞かずにお金を渡してくれます。そして再び東京へ戻る前夜、「私」は行人塚と呼ばれる祠にひとりでこっそり赴き、5歳の頃に少年から性的虐待を受けた記憶と向き合う、というのが物語のあらましです。
以上のような説明からもあきらかなように、「私」はあまり大事なことを口に出しません。帰省の目的が金の無心にあることは物語の終盤までわかりません(しかも「私」本人は結局その件を切り出しません)し、さらにタイトルが示しているように、本当の旅の目的が、行人塚で自らが抱える過去のトラウマと向き合うことであるという事実は、最後の頁まで隠されています(予感だけが散りばめられているにしても、です)。
過去の性的虐待の影響から、初体験いらい妻に出会うまで不能であったこととパラレルに、「私」は言葉を発するということへのためらいやとまどいを今でも抱えているように思えます。ゆいいつ「私」が長台詞を話すのが引用箇所ですが、そこでの話題は「うまくしゃべれない」ということについてなのです。
同じように、作中の「私」の振る舞いには、妻に叱られたり娘に引っ掻かれたり、親に忖度してももらったり、という受動性が目立ちます。この物語は、「言葉を発する」「積極的に振る舞う」という能動性を発揮しない「私」が、その原因となっているはずの過去の場面に立ち返ろうとする、という構造をもちます。
若くしてすでに3人の子供を抱える父親になろうとしている「私」に、能動的に振る舞う力がないなどとは言えないのではないかと思うかもしれませんが(その「矛盾」は「私」自身が不思議なめぐりあわせとして感じている事実でもあります——「子供心に男として生きられないと思っていた自分が、今二人の子供の、そしてもうすぐ三人の子供の父親になろうとしている」)、「多産」のイメージや力強さは、「生殖を伴わない性行を屈強に拒む女だった」と形容される「私」の妻に一方的に転嫁されているために、「私」自身はあたかも受動的に父親になったかのように作中で語られているのです。
このあたりが、この作品のいちばん微妙なポイントであり、興味ぶかいポイントなのではないでしょうか。つまり、「私」の一人称の語りであるこの物語は、その語り方そのものによって、「私」の受動性を「私」自身が強調するようにつくられています。自らの受け身な行動と、周囲の積極的な行動とを対比的に印象づけ、読者に対しても重要な動機の説明を極力先送りにするという語り方によって、です。けれども、本来一人称の語りとは、能動性を帯びた振る舞いであるはずです。たったひとりで、事態を構成し、説明するという、きわめて主体的な行為なのですから。すなわち、この作品の語り手=「私」は、能動的な振る舞いによってみずからの受動性を強調するという、とてもアンビヴァレントなアピールをおこなっているのです。そしてそのパフォーマンスは、動機を周囲にも読者にも隠しながら(=受動的な振る舞いを提示しながら)過去のトラウマを確認しなおす(=主体的な振る舞いをする)という、物語そのものの構造と重なり合います。
おそらく、この両義的な態度こそが、現在にまで決定的な影響をおよぼす過去の辛い経験に対する、「私」の戦略的振る舞いなのです。簡単に乗り越えることもできないし、なかったことにもできない、かといってそこに閉じ込められていては人生を前に進められない——そういうジレンマへの対処の仕方が、二重の機能をもった語りかたなのであり、アンビヴァレントな構造をもつ「行人塚」という作品そのものが、トラウマを抱えた「私」の生き方を示すある種のマニフェストなのでしょう。
もうひとつ興味ぶかいのは、「私」に似て言葉をうまく発することのできない娘です。似ているのはそこだけではありません。「私」が「女となっ」たと説明される性的虐待を受けたのは、現在の娘の年齢と同じ5歳のとき。あるいは、最初の引用箇所でも、「弱虫だったんだよ、お父さんも」という表現で、「私」は自分との近さを娘に植え付けようとしますし、すぐあとには、娘がまるで「妹のような気がした」記憶を思い返しています。これらのことを合わせて考えると、「私」にとって娘は、性的虐待を受けて「男」であることを奪われた5歳の「私」自身の分身という役割を担っているのだといえそうです。分身という言い方はすこし大げさかもしれませんが、少なくとも、「私」はかつての自分を見るかのような視線でもって、娘のことを見つめている。それゆえ、作中で中心的に描かれていく5歳の娘とのエピソードは、じつのところ、同時にみずからの過去との対話にもなっているのです。ここにもまた、語りの二重の機能が見出せます。
そのような視点から引用した箇所を見直したとき、この場面が対話を描いていてもどこか独り言のように読めてしまうのは、たんに娘が言葉を発さないからではなく、「私」がかつての自分自身と対話をしているからでもあるわけです。