見出し画像

薬を飲まないで生きていく選択 /双極性障害の『一生飲むべき』薬について

こんにちは。
私は双極性Ⅱ型障害(双極症)の診断を受けています。

病院に行くと、双極性障害の治療ではまず『薬は毎日・一生』飲み続けるものだと、当たり前のように言われると思います。

でも私は、ときどき思います。
「ほんとうに薬は一生飲み続けなければならないのか?」


そこでこの記事では、
【薬を飲んで生きていくべきか・飲まずに生きていくべきか】

ということについて、私の考えを書きたいと思います。


※この記事での『薬』は、気分安定薬のことです。



私の基本的なスタンス

私が双極性障害と向き合うとき、治療の土台にしている考え方があり、私はそれに従って考えています。


それは、

【安定=薬+環境】

という関係です。

この関係(公式?)は、双極性障害の主な症状である、気分の波の安定には、適切な薬を飲むことと、いい環境が必要、ということを意味しています。

ポイントだと思っているのは、『環境』も大事だということ。
いい環境とは、その人が『生きている環境』のことです。生活、仕事、人間関係などなど、ぜんぶひっくるめて。

そのような、環境を良くするというのは、自分にとって心地いいように整えていくこと、つまり『ストレスを少なくする』ことです。

同時に、上に挙げた【安定=薬+環境】を逆に解釈すると、

良い環境(ストレスの少ない環境)に生きているのなら、薬は必要なくなってくる

ということだとも、私は考えています。





薬は毎日・一生飲む派の考え方


私は、今は『薬は毎日・一生飲む』と思っています。今は、です。

なので決められた薬(気分安定薬ラミクタール)をせっせと毎日飲んでいます。
(飲んでいる薬についての詳細は≫こちら)

薬を飲むメリットは次のようなものがあると思っています。


◆薬を飲むメリット①気分の波を抑える

薬、特に双極性障害における気分安定薬では、その名の通り『気分の波を抑える』という効果があります。

私の場合は『気分の波』だけではなくて、体の不調も改善してくれるので、薬を飲んでいた方が体が楽です。
薬を飲んでいないと、熱があるときみたいにだるくて、しんどくなってしまうんですね。

気分安定薬が気分の波を抑えてくれているかどうかってイマイチ実感分からないのですが、体調不良をスッキリ消してくれているから私は薬を素直に飲めるのかもしれません。


◆薬を飲むメリット②かんたん

薬のもう一つのいいところは、ぽいっと口に放り込むだけなので楽というところだと思います。

服薬と合わせて、私はできる範囲でではありますが環境面も整えることを意識しています。
生活リズムを揃える、無理することはなるべくやらない、疲れたら休む…などです。
2021年に北海道に引っ越しましたが、おかげでずいぶんストレスが減りました。

しかし、気分の波は過去に比べたらずいぶん安定してきているものの、環境を整えるだけでは完全には症状は抑えられていないのが現状です。

▽実際の「気分の波」はこちらへ

波が大きくなり、私の持病(マイ症状?)とも言える過食嘔吐を繰り返してしまうこともまだあります。

生活環境を整えるという作業は努力も必要になってくるものですが、症状が出ていて苦しいときなどは、できないことも多いです。
『環境を整えよう』と目指していると、できなかった時に「またできなかった…」と落ち込んで負のスパイラルに突入するきっかけになってしまうことも。

その点、薬は、飲み込むだけなのでかんたんですね。




薬は飲まない派の考え方


私が考える『薬を飲まない』を選択したときのメリットや理由を挙げてみます。

◆薬を飲まないメリット①自然体でいられる
私は何事にも、なるべく、できるだけ、生身の自分で生きていたいです。
自分の体だけで生きていけるって気持ちいいですよね。
なので内心は、薬を飲まない自分でいられるなら、そうありたいとも思っています。


◆薬を飲まないメリット②お金と手間がかからない
精神科に通うとか、お金がかかるし、時間も労力もかかります。
予約を取るとか、着替えて出かけるとか、誰かに会うとか…。
私は、精神科探しにはじまって、予約を取ること、診察の度に医師と会話すること、転院のやりとりとか手続きとか、苦手なことが多くかなり消耗します。

薬を飲まなければ、こういう、お金や時間、エネルギーを失うこともないですし、ストレスを回避できます


◆薬を飲まないメリット③副作用から解放される

どんな薬でも、副作用のリスクがつきものです。

精神科の薬はまだ発展途上でもありますから、どんな副作用が出る可能性があるのか分かりきっていないこともあると思います。
薬が不安になって調べるともっと不安になって…と不安が際限なく湧いてきてしまうのではないでしょうか。

よく分からない物質を体に入れることへの抵抗感とか、飲んだ後自分はどうなってしまうのだろうか、とか。不安いっぱい
自分と相性がいいかどうかも、飲んでみないと分からない。
ロシアンルーレットみたい(?)でこわいですよね。私も、ラミクタールを飲み始めたときに痛感しました。

そもそも精神科に行くこと自体にも抵抗感や不安がある場合もあると思います。
(知人でこのタイプの人がいますが、特に鬱の症状が出ている人を精神科に連れていって薬を飲ませるというのは難しいものだなと感じます。)

また、薬にまつわる不安でいうと、薬を常用していると、同時に「もし非常事態が起きて薬が手に入らなくなったらどうしよう」みたいな不安も抱えることになります。

なので「いざというときに薬なしじゃ生きていけないのはよくない」とか考えて「なるべく普段から薬に頼らないようにして生きよう」と考えるようになるのも分かる気がします。


薬を飲まなければ、上記のような不安に苦しまず済みますね。
(皮肉になってしまうかもしれませんが、症状として不安が出る→薬が不安→薬を飲まない→さらに不安に付きまとわれる、という状態にハマって苦しむこともあるかもしれませんが…。)


また、下のような考え方からも『薬を飲まない』ことを選択している場合もあると思います。

◆薬は飲まない派①自分の薬を持っている

ネガティブな理由ではなく、『薬がなくても生きていける』と考える人です。
自信がある、というか。

このタイプの『薬を飲まない』派の人として思い浮かぶのは、同じく双極性障害の当事者である坂口恭平さんです。
『自分の薬をつくる』という本を書かれているように、薬を飲まない生き方を選択しています。

『薬を飲まなくても双極性障害の人は生きていける』ことを証明している一人でしょう。
(坂口さんはあくまで一例であり、すべての双極性障害の人が薬が要らないと断定するにはまだまだデータが少ないと私は思っています)

坂口さんは、この記事で最初に挙げた【安定=薬+環境】の公式でいうと、環境がものすごく良いのだと思います。
良い、というのは、坂口さんに『ぴったり』という感じ。
著書をいくつか拝見しましたが、彼は『日課』を重視し、その中で自分のやりたいことをやりたいようにやって、エネルギーを溜めることなく暮らしています。

絵や陶芸などの創作活動、畑仕事や長めの散歩など、私が聞いていてもワクワクする生活です。
一方で、新しく出会った人にはこちらからは話しかけないルールを作っていたり、自分を揺さぶりかねない要因は徹底的に排除しています。やりたくないことはやらないのです。

坂口さんは、環境の良さが極まっているから、薬がなくても安定していられる、というように私には見えます。

「自分の薬をつくる」と、自分で考えて、自発的に環境面を良くしようとしている坂口さんは貴重な存在だと思います。


◆薬は飲まない派②薬がなくても大丈夫だった経験がある

双極性障害は、症状が激しい急性期を過ぎれば、比較的穏やかな期間が続いていきます。数ヶ月、人によっては数年、と。

その間に自分で断薬したりして、でもラッキーなことにいい感じに症状が悪化しなかったりすると、「あ、薬が無くても大丈夫なんだな」と考えるようになるんじゃないかと思います。
私もきっとそう考えるようになると思います。
(その後鬱や躁のエピソードが再び起こるかは誰にも分かりませんしね。)


医師たちは「鬱や躁エピソードは必ず再燃するから予防のために薬を飲み続けましょう」と言うでしょう。
私ももうそれは耳が痛くなるほど見聞きしました。

しかし、薬が無くても過ごせていた経験があると、あまり飲む気にはなれないと思います。
なくてもよかったのですから。


◆薬を飲まない派③環境に恵まれている
たとえば、私の母とか祖母なのですが、双極性障害と診断はされていませんが気分障害っぽいなと思っています。
本人たちに自覚はありません。
(残念なことに、鬱なども経験しているのに私の躁鬱に気付いてもらえませんでした)

過去には精神科にお世話になったり色々あったようですが、ここ何十年かは“普通”に生きているようです。

なぜかと考えたのですが、彼女たちも、『環境が良い』のかもしれません。

どちらも自営業で、基本、自分のペースで生きていられます。
調子が悪いときにサッとベッドに入れるし、上がってしまったときはパパッと趣味などにエネルギーを発散できます。
また、一日の日課がだいたい同じような仕事をしています。

だから、気分の波が少しくらい出ても、自然と落ち着いてくるのだと思います。





『薬が無くても大丈夫』は、“大丈夫“のライン次第


ちなみに、先ほど挙げさせていただいた坂口恭平さんは、双極性障害の薬を飲んでいませんが、彼の本をいくつか読んでいるうちに、薬を飲んでいない間に鬱になった期間(私から見ると鬱エピソードっぽい期間)もあったのを見かけました。

でも“薬がなくても大丈夫”、と判断している。
それは、ある程度は鬱になっても、彼の仕事や暮らし方に致命的な影響が出ないためではないかと私は思いました。

鬱や躁になっても人生が破綻しないなら“大丈夫”、と考えるなら『薬を飲まなくても大丈夫』ということだし、逆に、鬱になったら人生に致命的なダメージが出てしまうのなら『薬が必要』なのでしょう。

私は、薬を飲むのがいいのか、飲まない方がいいのか、という二択で結論を出そうとしがちだったのですが、その手前で、『自分の“大丈夫”はどこまでか』ということを一度確認すると考えやすいです。

私は今、家事、育児、バイトを、帯広の『街』に住みながらこなしていかなければなりません(2022年7月現在)。
だから、今は薬が必要なのだと思います。





薬を飲まない生き方はできる?

毎日薬を飲んでいる人でも、薬を飲まない選択が可能だと思っています。
ただしそれは、双極性障害の症状を穏やかにしてくれる“その人にとって極めて良い環境“で生きられるようになったときです。
そんな、『その人にぴったりの環境』は、全ての人に、たぶん、絶対、あります。


私にとって、その環境とは、具体的には、馬を飼って宿をやる暮らし。
(私の夢そのものです。)

馬が放牧されていて、草原や森があって、そこにモバイルハウスを置いたような小さい宿です。
ゲストに「誰にも会わない」空間を提供したいのと、私がコミュニケーションで消耗しやすい、躁鬱の波の被害をゲストに及ぼしたくない、などといった理由から、対面のサービスはできるだけ少なくし、無人宿に近い感じでやりたいと思っています。


馬がいる宿をやったら薬がいらなくなると考えているのは、夢を叶えたいらフィルターがかかっているとか、夢の実現を正当化したいからとかではなく、根拠がいくつかあります。

双極性障害の気分の波を抑えるポイントに照らしながら書きたいと思います。

〈躁/鬱を抑えるポイント〉

 ①規則正しい生活
 ②朝の日光を浴びる
 ③適度の運動
 ④仕事は無理のない範囲で
 ⑤ストレスの少ない人間関係
 ⑥癒しやストレス発散をする

馬がいる宿を営む生活をすると…

 ①馬の世話は毎日同じことの繰り返し
 ②朝はまず馬小屋を覗きにいくので自然と朝陽を浴びる
 ③馬の世話や牧場管理、乗馬などでよく運動する
 ④自営業なので仕事は自分のペースできる
 ⑤人とのコミュニケーションが少ない『無人宿』スタイル
 ⑥馬や自然に癒され、、DIYで充実感、暖炉の前でリラックス…

こんな感じにざっくり挙げただけでも、私にとってただ暮らしているだけで気分の波が自然と穏やかになってしまう環境なのです。
少しくらい鬱とか躁になっても、いい感じに発散されて、波が大きくならずに過ぎていくことでしょう。

あぁ、早くそんな暮らしがしたいなぁ…。楽しみ。





薬を飲む人生かどうかの決めどき


ここまで読んでいただいて、「薬って飲まなくても良いんだな」と感じられた方がいらっしゃるかもしれないのですが、繰り返しになってしまいますが、薬を飲まなくて良いのは『環境がその人にとって極めて良くなったとき』です。

必ずしも『症状が安定したら』とは限らないのですね。

たとえ症状が安定していて、「これはもう寛解だ」と感じていても、環境面がイマイチだったらやっぱり鬱/躁エピソードが再燃してしまうのでしょう。

双極性障害の人の中には自分を客観的に判断するのが苦手だったり、無自覚に波の渦中の場合もあると思うので、自分以外の人にも環境が良いかどうか言葉にしてもらうのも大事かと思います。

特に躁のときは危険ですからね。

また、女性だと、いつか閉経が来たら女性ホルモン由来の気分の波が収まってくるので、それまで判断は焦らなくて良いかもしれません。
(おばさんがヒステリーを起こしているのはイメージありますが、おばあちゃんがヒステリーを起こしているのってあんまり見ないですよね。)





まとめ

以上で、双極性障害の『薬は飲まなくてもいい?』について、私の考えを書かせていただきました。
お読みくださりありがとうございました。

書かせていただいた通り、薬を飲む・飲まないの答えは、極論を言えばどちらも正解なのだと思います。

どちらを選んだとしても、症状が抑えられていたら良いのだと思います。

薬を飲まない人、つまり自分にぴったりの環境でストレス少なく生きている人が増えていけますようにと、こっそり祈っています。



いいなと思ったら応援しよう!