あの夏、私は彗星になった/私の【躁】経験談【双極症】
こんにちは。
双極性障害(双極症/躁鬱病)のとび太です。
私が『躁』になったときの実際の話を書きたいと思います。
この記事で書く『躁』は、双極性障害の診断を受ける前の、未治療だった頃に起きた躁です。
この躁があったから私は双極症の診断を手に入れ治療を受けることができるようになった、と言っても過言ではありません。
つまり、私にとってとても重要な躁なのです。
恥ずかしい過去だし、わりと黒歴史なんですが、この記事では感情は出来るだけヌキにして、躁を『症状』として冷静に書いていきたいと思っています。
躁はこわい。
本当に。
躁がはっきりと起こったのは、私が26歳の夏でした。
当時私は、北海道の道東の牧場で乳搾りの仕事をしていました。
双極性II型障害の『躁(軽躁)』の診断基準は、躁の状態が4日以上続くことですが、私の躁もちょうど4日ほどでした。
躁のときの症状
躁状態のときにあった言動などを挙げていきたいと思います。
躁の感覚
躁になった感覚がどんな風だったかというと、とにかく世界が光に満ち溢れ、輝いて感じられました。
そして、極めつけに、私は彗星になったのです。
彗星になったって何だそりゃ(笑)ですよね。
彗星になった流れ
躁が加速したきっかけは、あるときの1つの小さな「分かった!」だったのだと思っています。いわゆる"アハ体験"というようなものです。
心の中で火花が飛んだような感覚があり、みるみるその光が火になって、そして燃え広がるような感じがして、
キラキラした青くて眩しい光に溢れ、包まれ、私は光と一緒になり駆け抜けて…。
実際は体が光ったわけでも空を飛んだわけでもないのですが、彗星になった、と本気で思いました。
この『確信している』感じは、躁の症状でよく言われる『自信に満ち溢れ』と同じだと思います。
彗星になったというのは、同時にある面では『妄想』と表現できるかもしれません。
躁のときの言動
私は、特に次のような5つの行動が目立っていました。
ひとつずつ詳しく見ていきます。
◆言動① 1日中スキップするように過ごす
幸せでした。アハハハハ、ウフフフフ、みたいな。嬉しくて、楽しい。一般的な躁のイメージに近いのではないでしょうか。
・仕事中や夜に、大声で歌いまくる(絶対周りに聞こえてた…)
・道路の真ん中で、歌いながら踊る(僻地で車が少なくてよかった…)
・海で一人で大玉スイカを立ち食い
※イメージ:この記事のトップ画像のような感じ
躁のときはとにかく喜びに満ちあふれていました。
体も心も気持ちいい。私って最高…。
◆言動② 感動の涙
キーワードは「この世界はすばらしい」。
この言葉が何度も頭に浮かびました。そして、いろんなことに胸熱になって涙が流れました。
たとえば下記のようなときです。()内はその時に心に浮かんだ言葉です。
・100円ショップに行って号泣(この国は素晴らしい)
・大好きだけど封印していた曲を聴いて号泣(こんな素晴らしいものを遠ざけていたなんて…!)
・友人とおっぱい型のいなり寿司を作って遊んで号泣(子供時代に味わえなかった「ふざける」をやっと知れて嬉しいな)
…など。
ささいな小さなことに、大げさなくらい感動していました。
世界に色がつく、的な瞬間の連続。
それまでうつの渦中では『どん底の人生』だと感じていたので、自分の人生がやっと輝き出したんだ!と幸せでいっぱいでした。
◆言動③ 衝動買い・次々計画を立てる
生活に必ずは必要ではない、でも叶えてみたかったことに、どんどんお金をつぎ込もうとしました。
・DIY用品(インパクトドライバーなど)
・福岡でのライブに応募、ついでに九州旅行を計画
DIY用品は今でも時々使っているのでセーフ。
ライブは、自分で行こうとするなんて人生で初めて。
◆言動④ 突発的で一方通行なコミュニケーション
精神医学用語では「多弁」という症状に当てはまるかもしれません。
一方的に話す感じ。相手の表情とか、伝えるタイミングとか、相手が知りたいかどうかとか、そういう「相手の存在」「相手の気持ち」置き去りにして、自分の衝動に任せがちなコミュニケーションを取りました。
たとえば、しばらく連絡していない知人たちに「世界はすばらしいね」といきなりLINEしたり、いきなり「これおすすめ!」と手紙を書いたりしていました。
◆言動⑤ 普段していたことをしなくなる
鬱には「興味関心があったことをしなくなる」、という症状がありますが、躁でも同じかもしれません。鬱とは別の仕組みですが。
当時私は馬に乗るために北海道に移住したと言っても過言ではなく、毎日のように馬の師匠の牧場へ行って馬に乗せてもらっていたのですが、それも行かなくなっていました。興味があちこちしていたからだと思います。
躁で失ったもの
躁のとき、判断が「軽く」なりすぎていました。
思いつきで何でもポンポンと行動してしまい、それまで大切にしていたことでも、「ま、いっか」でやってしまうのです。
私はあの躁によって、大切な「過去の記録」と「お金」を失ってしまいました。
◆失ったもの①病歴とお薬手帳
躁になると体が軽くなりますよね。私は当時、「自分は健康になった!」「人生が変わった!」と思い込みました。
過去の病歴はもう要らない、と軽く考えて捨ててしまいました。特に、お薬手帳を捨ててしまったのは後で地味に困りました。
(過去うつになったときの精神科への通院の記録など、以前にどのような抗うつ薬を飲んでいたかについての記録が残っていたら、双極の診断のときに役立ったのに…。)
◆失ったもの②スマホのデータ
iPhone のロック解除のためのパスコードを、ひょいっと変えてしまいました。動機が軽すぎたためパスワードをすぐに忘れてしまい、メモも残してありません。
思いつく限りのパスコードを入力し続け、その結果、パスコードの入力すら出来ない状態に。結局思い出せず、初期化するしかありませんでした。
写真のデータも消滅。このため、躁のときに撮った写真がありません。
スイカをひとりで海で立ち食いしたときの写真、お見せしたかったです。笑
◆失ったもの③お金
躁によって金銭的にダメージを負うのは有名ですよね。私も、借金したりはなかったので比較的軽症かもしれませんが、次のようなことでお金が飛んでいきました。
・旅行のキャンセル料
前述の無謀なライブ旅行の計画は、現実仕事面で不可能な上、一緒に行ってくれる人も見つからなかったため中止しました(躁の4日間が過ぎて落ち始めて不安になったのもあった?)。
ライブのチケット代と飛行機のキャンセル代がかかりました。(しかもチケットは、誰と行くかも決まっていないのに、2人分購入していた)
・(ギリ回避)土地の購入
また、自分の夢、「馬と暮らす宿」を実現するタイミングは今だ!と考え始めました。誇大妄想、無謀な投資、といった症状と言えるでしょうか。
「空き家を買おう」と思いついてしまい、検索。あやうく空き家を買って貯金を全部つぎ込んでしまうところでした。
幸い、空き家を調べているうちに躁の波が過ぎていってくれました。住んでいたのが僻地だったのがここでも幸いでした。
発症のきっかけ
軽躁の症状が明らかだった期間は、2017年の7月10日~7月13日(26歳)でした。
躁が起こる前の数ヶ月を振り返ってみると、躁を引き起こしそうな土台が見えてきました。
躁になる前は忙しすぎて体も心も不安定だったのです。
よくこんなんで生きてたな、と思うほど、スケジュールがギュウギュウでした。
早朝と夕方の酪農の仕事をこなし、その日中には馬に乗ったり友人と会ったり、買い物や山菜採りに行ったり。
ハードすぎて体調を崩すこともありましたが、その原因が過労だと思わないほど、私は自分を客観的に見れていませんでした。
テンションが高い日があったり、反対にうつが強い週があったり、とにかく不安定でした。
その土台があった上で、躁転したきっかけを考えると、それは「気候(夏)」と「病み上がり」だと思っています。
◆きっかけ①気候
私が躁になったとき、スカッ晴れと、道東では年に数日しかないような、エアコンをつけるほど暑い(30℃超え)日が続いていました。
双極性障害はそもそも、冬はうつ、夏は躁になりやすい、と聞いたことがあります。その典型的な例ですね。
◆きっかけ②病み上がり
軽躁になる前の1~2ヶ月は特に体調がボロボロで、しんどい日々が続いていました。親知らずの抜歯を2回したときは、骨が見えるほど悪化して痛くて辛かった…。
しかし不調から一気に抜け、体調が回復。元気になるのと一緒に気持ちも元気になり、、、。結果、元気になりすぎました。
また、私は過去に卵巣嚢腫の手術をしたことがあったので定期的に産婦人科に通っていたのですが、その間に不妊体質(PCOS)や卵巣嚢腫の再発が指摘されたりして、自覚以上に心配事だったのかもしれません(いちおうまだ結婚する前だったので…)。
躁になる頃、また産婦人科を受診したところ「卵巣もきれいですね」と言われ、「再発したと思っていた卵巣嚢腫が無くなった!」、「うつも治ったし、体も元気になった。私は健康になった!!」と思いこみました。
◆きっかけ③「認知の歪み」を直す作業
その頃自分が発達障害グレー(特にASD)だと自覚したため、友人の力も借りて、私の考え方の偏り(認知の歪み)を改善しようと試行錯誤していました。
自分の生き方を真剣に向き合う日々。それは痛みも伴うものでしたが、私の魂に響くような、鮮烈で衝撃的な、嬉しくて感動するような瞬間がたくさんありました。そして、心に火がついて…彗星になったわけですね。
当時の手帳を振り返る
躁転した2017年7月の手帳を見返します。
躁転する前日:
それまで「気持ち荒れる」と書いてある日々が続いていたのに、躁転する前日には、「気持ちが落ち着いてきた」の記述がありました。嵐の前の静けさですね〜。
躁の日:
花丸マークやキラキラマークがついていました。
軽躁になっていたのは、7月10日~13日。黄色で流れ星の絵も描いてありました。
躁の後の混合状態もやばかった
躁の4日間が過ぎ去ると、昼寝する日が増えていました。
手帳では月の下旬になると、「z」マークが付いている日が多くなっています。
躁でエネルギーが消耗したためでしょうか。
躁のすぐ2日後には「トゲトゲ」「心を見失う」というような表現で手帳に記録がありました。混合状態の症状が出ていたのではないかと思います。
衝動の強さは残っていたのですね。気が立っていたり、強気になったりしていました。
混合状態は、躁よりも更に危険だと言われます。私は今でも、普段の小さい躁の後にも混合状態が起こりがちだと感じています。
どうすれば躁を防げるのか
ふたたび躁転するのは、なんとか防ぎたいところです。
当時は双極性障害というものの存在すら知らなかったので、どうしようもなかったといえばどうしようもなかったのですが、対策があるとしたら次のようなことかなと思います。
・気分に波があること、双極性障害だと自覚すること
・躁になるとどのような症状(感覚、言動)が出るのか知ること
・服薬
といったことがまず大事なのではないでしょうか。
また、あえて強調すると【障害】、つまり自分でどうにかしきれないから障害なんです。なので、誰かの力を借りることも必要になってくるのではないかと思います。ただし相手の負担にならない程度に。
・自分が躁を起こすリスクがある人間だと周りの信頼できる人に知っておいてもらう
宣伝カーな人には絶対に話さないようにしたいですね。
また、下のような行動をとることでも躁を防ぐことができると思います。
・夜更かしや徹夜をしない(生活リズムを毎日同じにすること大事)
・アルコールは1日1杯まで
・カフェインは午前中のうちに
・何事も、やりすぎないように
・むりやりでも休憩を入れる
・天気のいい日はゆったりを意識(ブレーキをかける)
・躁を感じたらあえて何か食べる(甘い物など鬱側に落とす食べ物)
・日々の環境の変化をできるだけ小さく
自分への刺激の量を穏やかにしておくと、いい感じではないでしょうか。
最後に
以上で私の躁エピソードの経験談でした。お読みくださりありがとうございました。何か参考になれていたら幸いです。
双極性障害の予備軍の方がもしこの記事をご覧になって、躁かも?と思ったら、できるだけ早くメンタルクリニックや心療内科・精神科を受診して治療を受けることをお勧めします。
これも何かのご縁。穏やかで充実した人生を送っていけるよう、お互いに自分の心身に気を遣いながら生きてゆきましょうね。
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