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『ニワトリと卵と、息子の思春期』繁延あづさ著 書評
「お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いにいく!」。冒頭からいきなり親子の冒頭からいきなり親子の決闘開始のゴングが鳴り響くこの本は、写真家の母(著者)とサラリーマンの父、そして3人の子どもたちからなる家族の物語。日常生活の中にニワトリという一風変わった闖入者を招き入れたことで、その命ある存在が、思春期真っ盛りの長男と、彼に業を煮やす母親の関係、さらに家族のかたちを思いがけず変えていく。ゲームを買うかわりにニワトリを飼う権利を得た(なんだそれ!?)長男は、躍動するコッコたち (=ニワトリ)に名前を付けようとする幼い妹に「名前はつけない。ペットじゃないんだよ。家畜なんだ」と抑揚のない声で言い切る。彼の頭にあったのは他でもない「経済」であり、ニワトリが産む卵によって生産、分配、消費の流れを作り、それを通して剰余価値としてのお金を生み出すことだった。
長男は、経済効率の観点から、産卵率が落ちたニワトリは絞めて食べると宣言しつつも「こんなに食べ物があふれている世の中で、うちのコッコを食べる必然性が見出せない」と言葉を漏らす。こういう葛康を通して彼は、血肉を宿した生命が、私たちが日々ロにする食べ物とひと続きであり、しかもその生死の問題はつまるところ経済の問題なのだという事実を直観で握りしめる。そしてそんな後の動静を、固唾をのんで見守るのが母親なのだ。
しかし、母親に葛藤がないわけではない。経済という武器で親の支配から独立しようと画策する息子の前で、子どもを守らなければという動物的な使命感と、彼を後押ししたいという人間的な理性との間で揺れ動く心の描写には胸をつかまれる。
そしてラストシーンは痛快だ。父のバトンを受け取るのは息子という構図をまんまと逆手に取っている。終わりのない生成変化のプロセスを見せる家族の姿がそこにはある。
鳥羽和久・寺子屋ネット福岡代表(婦人之友社・1595円)
※共同通信社 2022年2月