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新刊『「学び」がわからなくなったときに読む本』解説

2024年10月17日刊行の新刊、『「学び」がわからなくなったときに読む本』(あさま社)の紹介をまとめた記事です。

親子、家庭、学校、塾における学び(勉強)や、言語、からだ、社会的関係を介した学びなどを通して、読者にとっての「学び」を詳らかにしていくための1冊です。

本の構成はライターの安里和哲さん、あさま社の坂口惣一さん。 おふたりの力がなければ、これだけ分厚い内容の本に仕上がらなかっただろうと思います。

ページをめくるたびにすごいことになっていて、7組の対談が、イベント1回分のお値段で買えるわけなので、かなりお買い得感ありだと思います。私の書下ろし(まえがき・あとがき)も収録。

第1章 何のために勉強するのか  千葉雅也

    テーマは「勉強」

一人の人間がどういう存在で、どう生きるかっていうことは「書いて覚える=暗記」という素朴な勉強とつながっています。

「勉強」のあらゆるアンチノミーについて千葉さんと話をしました。まず「勉強」の「意義」について真正面から多層的に語られており、『勉強の哲学』以後の千葉さんの考えも垣間見えます。

それだけでなく千葉さんの学生時代の貴重なエピソード、「塾」というメタ環境、人間臭さを嫌う現代の「実存」の話、発達障害やLGBTなどの社会的包摂の問題、「自由」とは何か…など話題は多岐にわたっています。楽しみにしてください。

第2章 リズムに共振する学校  矢野利裕

     テーマは「学校」

大人が子どもに言わせる「将来の夢」はだいたい職業の話なんだ。でも、人はどんな職業についたとしても手放せないものを持つ。夢というのはむしろそういうことなんだ。

批評家であり現役の中高一貫校の教員(サッカー部顧問)でもある矢野さんは、学校を「社会性と非社会性の間にある営み」だと言います。矢野さんにとっては日々子供の現実と直面しながら試行錯誤し続けることが、いわば批評の実践なのだなということが感じられるスリリングな時間でした。

現場感に溢れた生々しい話が思う存分展開されていて、さらに学校における身体のリズムの共振がヒップホップ的な用語で結ばれていくのがめちゃくちゃ痛快です。ぜひ楽しみにしてください!

第3章 家庭の学びは「観察」から  古賀及子

     テーマは「家庭」

何かを「思う」ことに、あんまり興味がないんです。自分の内側から沸き起こる感想に興奮しないんですよね。私が思うとか、思わない、にかかわらず、目の前に既に何かがあること自体に興奮を覚えるといいますか。

古賀さんとの対話は話題が尽きず、家族や親って何なんという話から、母親という「役」を演じること、野性的な生き物としての子ども、中学受験という「地頭競争」、日記の効用など、様々なトピックを、からっとしつつも深堀りしています。

そして、いま読み返してみると、古賀文学のよさについてのけっこう詳細な解説にもなっていて、古賀及子ファンには垂涎ものかと。いやあ、めちゃ面白いですよ。

第4章 世界が変わって見える授業を  井本陽久

     テーマは「授業」

「学び」というのは、これまでなんとも思っていなかったそのまったく同じものが、あるきっかけで全然違って見えるようになるということです。

例えば、あるものに対してコンプレックスを持っていた子がいる。その子が、あるきっかけでそれが自分の強みと気づいたりする。自分を見る視点が変わることで、見える世界が変わってくる。その過程にあるのが「学び」なんです。

学校と私設の学び場の両方で日々子供たちと向き合う井本さんだからこそ聞けた現場感溢れる言葉がこれでもかと綴られています。

学校における「評価」の問題や、社会と学校の関係、子どもが「ぷるっとする」授業デザインのしかた、子どもとの関係性のつくりかたなど、極めて実践的な話が並んでいて、井本さんと私がここで話していることは単なるきれいごとや理想ではなく、これこそが最も現実的な話とぜひ受け止めていただきたいと願っています。

第5章「言葉」が生まれる教室  甲斐利恵子

     テーマは「言葉」

たどたどしくても、言葉にしてみる。これじゃない、これでもない、と考え続けているときに言葉の力は育つのではないでしょうか。

甲斐さんの国語の授業、そしてその準備や子どもとのかかわり方はすごくて、彼女の授業を見て、授業について話を聞くだけで、というか、無条件に自らを授業に擲つ(なげうつ)甲斐さんという存在を目の当たりにして、私自身、彼女と会った後に少し授業が変わったんです。強烈な出会いでした。

言葉についての思考がどのように子どもたちとの関わりに作用するか、とことん話しています。

第6章 からだが作り変えられる学び  平倉圭

     テーマは「からだ」

不登校という挫折を味わいながらも、高校生ながらに、「この爆発したからだのほうが本当なんだ」ということははっきりわかったんですよね。それでこのとき得た感覚を生かせるのは芸術や哲学だと、しだいに知っていくわけです。

平倉圭さんとはウェリントン(ニュージーランドの首都)の大学で対談しました。

平倉さんが目にしたマオリ文化を土台とした公教育の例、平倉さんと私のキリスト教体験、親と子の間における言葉の共鳴などさまざまな話題に及んでいますが、全体に、平倉さんと私それぞれの実存的な問題を正面から扱った、極めて重量感のある内容となっています。広く読んでいただきたいです。

第7章 子どもの心からアプローチする  尾久守侑

     テーマは「心」

対人の仕事はどれだけ地獄をくぐったか、その経験値がすべてだと言っていい。

角が立つような言い方ですが、九割の精神科医は心なんて興味ないですよ。彼らの関心は「病気」であって、「心」の動きではない。

尾久さんは今回の対談者の中で最も若いこともあり、読者は「擬態で生きている」という尾久さんの中から新しい感性の発見をすると思います。まずはそれを楽しんでいただきたい。

さらに、精神科医とのつき合い方、「病気」or「病人」、診療における心の問題など、あっと驚くような実際的な話が展開されていますので、ぜひ楽しみに読んでいただきたいです。


【もくじ】

まえがき────鳥羽和久(書き下ろし)

第1章 何のために勉強するのか────千葉雅也
・勉強なんてくだらない?
・自分専用のAIエンジンをつくる
・あらゆる情報がミックスされる現代
・「勉強するとキモくなる」のリアル
・メタ視点を学ぶ「塾」という環境
・濃いコミュニケーションは目障りなだけなのか
・「自由」を警戒する子どもたち
・晩餐のような勉強を

第2章 リズムに共振する学校────矢野利裕
・異色の経歴──カルチャー批評から高校教師へ
・身体的交流こそ学校の本懐
・他者とのぶつかりを避ける子どもたち
・監視カメラが子どもを犯人予備軍にする
・子どもは「腐った言葉」を嗅ぎ分ける
・社会性と非社会性の間で
・生徒と共振する──学校のリズム
・先生の言葉には嘘が混じっている
・社会構造をひっくり返す「ストリートの学び」
・「やりたいことがない」への処方箋

第3章 家庭の学びは「観察」から────古賀及子
・家庭こそが学びの第一の場
・日記エッセイの悩ましさ
・感想禁止──感想文より「観察文」を
・「お母さんらしさ」をトレースする
・「観察」は裏切らない
・偏差値、大好きなんです
・大人の社会は学校の後遺症でできている
・日記のトレーニングでメタ視点を身につける

第4章 世界が変わって見える授業を────井本陽久
・「正解」を求める勉強には意味がない
・「できる・できない」の学びには自分がいない
・「プロセス」にこそその子らしさがにじむ
・「将来への備え」という現代病
・なぜ森は究極の学び場なのか
・将来の心配をする子ども
・子どものコンプレックスに踏みこむ
・先生は「世間知らず」であることが大事
・抽象思考だけではぷるっとできない

第5章 「言葉」が生まれる教室────甲斐利恵子
・本当の言葉が生まれる教室
・公立校では自由に授業ができるか
・使うテキストは毎年変わる
・言葉を「血肉化する」授業
・勉強が始まる瞬間の「沈黙」
・「好きなことだけやらせたい」への違和感
・言葉の持つ暴力性と可能性
・親が子どもにできること
・子どもは「感謝しない生きもの」だから尊い
・生徒に慕われているうちは二流

第6章 からだが作り変えられる学び────平倉圭
・ニュージーランド公教育の現場から
・なぜ入学式で「カパ・ハカ」を踊るのか
・染み付いてしまったからだのこわばりについて
・言葉が息を吹き返す
・抑圧された環境から「爆発したからだ」
・巻き込み、巻き込まれる大人と子ども
・親も子も言葉の魔術に巻き込まれる
・「子どもを見る」とは理解し尽くすことではない
・人の固有性と出会う教室

第7章 子どもの心からアプローチする────尾久守侑
・子どもの「過剰適応」とは何か?
・「自分の道を行け」が子どもを足踏みさせる
・思春期の延長としての「推し文化」
・心の問題は自己治療がすべて
・思春期に獲得する自分の言葉
・プロとしての経験知が子どもを救う
・「自由と規範」の間で揺らぐ

おわりに────鳥羽和久(書き下ろし)

教育関係者のみならず、子どもの「学び」にいま悩む親やご家族、自分自身の生涯の「学び」について考えている大人たち、はたして「勉強」や「学び」の根本的な意義とは? …など「学び」について思考し続けるあらゆるの方々におすすめできる本になりました。お楽しみいただければ幸いです。

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