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古今東西名言金言集

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ビジネスマン向けの古今東西の名言金言を集めました。
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記事一覧

人おのおの能、不能あり、われ孔明たるあたわず、孔明われたるあたわず

江戸初期の儒学者 伊藤仁斎●伊藤仁斎のこの言葉に出てくる孔明とは、中国の三国時代に劉備に…

muto
1年前

計画は仕事の根本要素だ 計画は仕事を円満に成就させる

イギリスの作家 スマイルズ●プランニングが仕事の根本要素であり、円満に成就させるもとだと…

muto
1年前

神経質な男は大きく伸びる

読売巨人軍元監督 川上哲治●名選手、必ずしも名監督にはなれない。選手と監督とでは、やるこ…

muto
1年前

決意は遅くとも、実行は神速なれ

イギリスの文学者 ドライデン●ドライデンは、イギリスの大政復古期の文壇で活躍した第一人者…

muto
1年前

いやなことは自分がまっ先にやれ

本田技研工業創業者 本田宗一郎●ホンダの創業者、本田宗一郎はエピソードの多い人物だが、彼…

muto
1年前

日々正直に行動することが成功に達する最も確実な道だ

イギリス元首相 チャーチル●昭和三十年代のことである。Fはデパートの、ある商品の仕入れ責…

muto
1年前
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勝つ、勝つと思えば勝つ

太閤 豊臣秀吉●豊臣秀吉は、勝負に臨んで、自分にこういいきかせていたという。勝つことを信じて決断し、決断した後は、勝つためにあらゆる努力を惜しまない。 ●果敢な決断力と行動力で、不可能を可能に変じていった秀吉の、痛快な生きかたをほうふつさせる言葉である。 ●秀吉の果敢な決断と戦闘が信長と三万の兵を窮地から脱出させた一例を「金ヶ崎退き」にみてみよう。当時、秀吉はまだ木下藤吉郎と名乗っていた。 ●1570(元亀元)年4月、信長が越前の朝倉義景を討つべく金ヶ崎(敦賀市)まで軍

必要は発明の母

活版印刷の創始者 グーテンベルク●彼の発明だといわれている金属活版印刷術は、十五世紀のド…

muto
1年前
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叱ることは大切な教育である。叱られることが貴重な経験である。

西武グループ創業者 堤康次郎●岡山城主、池田光政は名君としての誉れが高かった。ある日、光…

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1年前
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将がまず先陣をきれ

戦国大名 蒲生氏郷●安土・桃山時代の武将、蒲生氏郷が家臣たちにかねがね教え、自らも実践し…

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1年前
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やってみせて、いって聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ

連合艦隊司令長官 山本五十六●第二次大戦で連合艦隊司令長官として職務を全うした山本五十六…

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1年前
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初心忘るべからず

室町時代の能楽師 世阿弥●室町時代の有名な能楽、謡曲の作者である世阿弥の言葉で、「およそ…

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1年前

人のやらぬこと、やれぬことのみをやった。そしてそれで成功したのである

西武グループ創業者 堤康次郎●堤康次郎は明治二十二年に滋賀県に生まれた。少年のころから事…

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1年前
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苦中の苦を受けざれば、人の上の人たること難し

『通俗編』●清代に編集された『通俗編』という本のなかに出てくる言葉である。意味は、説明するまでもないであろう。逆境の中におかれた体験を持たない者は、リーダーとしての資格にかけているというのだ。 ●かつて「電力の鬼」といわれて政財界に重きをなした松永安左エ門は、ボンボン社長が面会に来ると、よく、 「人間はな、三つのことを経験しないと一人前にはなれん。一つは闘病、二つめは浪人、三つめは投獄だ」 といって、相手をケムに巻いていたという。 ●彼自身、この三つのことを三つとも経験し