【DAY.35】新潟発着!2ヶ月で、公務員がバイクで全国周る旅日記
この記事、連載は...
民間から中途で新潟県庁に入った公務員が、4年で退職するその前に、有休消化で全国をバイクで回る、という、ノープランな企画です。予約なし、フィーリングファースト。
7:00、神奈川県 相模原市の「廃材エコヴィレッジ ゆるゆる」にて起床。
朝から、大人も子どもも外で火を焚き、集まっている。
この女性、昨夜タブレットを失くしたらしく、みんなで探したら、最終的にはなぜか外の焚き木の下から出てくるというカオスっぷり。
この写真は、無事見つかった後である。
日記も書き終え、9:00には出発したのだが…メッセンジャーに忘れ物があるという連絡が入っており、焼酎と下着を取りに戻ることに。
まあ、早めに気づいてよかったけど。
ほどなくして、東京都に入国。
私が18歳から32歳まで住んでいた、いわば第二の故郷だ。
この大垂水峠は、かつて走り屋の聖地だったそうだ。
今は見かけなかったが、直管仕様のバイクを1台見かけた。
朝からご苦労なことだ。
そのまま、国道20号、つまり甲州街道を西に進む。
この道は、昔よくバイクで通った道で、懐かしい地名が続々と出てくる。
それとともに、昔の懐かしい記憶が蘇ってきて、なんとも言えずエモい。
というわけで、古巣探訪ということで、かつて自分が住んでいた場所を訪ね歩くことに決めた。
まずは、新宿から甲州街道を明治通りに入り、18歳から24歳までを過ごした街、早稲田へ。
私は、早稲田大学で、当時の第一文学部に所属していた。
この、通称"文キャン"は、文学部だけの独立したキャンパスであり、その独自性から"隔離病棟"との異名を持つとかなんとか。
綺麗になりすぎて帰ってきた感もないんだけど、スロープ上からの眺めはかろうじて面影があるようなないような。
よくこの縁に座ってダベっていたものだが、今は柵が取り付けられている。そりゃそうだ。
そして、私が仲間と終日入り浸っていたカフェテリア、文カフェも健在。
昔、ここにコンロと鍋を持参して鍋パーティーをやったような記憶もある。
続いては、そこから徒歩5分ほどの本部キャンパス、通称"本キャン"へ。
有名な大隈講堂は改装中。
一応、創始者大隈重信像も撮影。
そして、この本キャンの西門から徒歩30秒の「グリーンハイツ早稲田」に私は住んでいた。
ここはあまり変わらないかな。
鍵をかけない私の性格と、恵まれた立地環境により、常に誰かしらが家にいた気がする。
また、数えきれないくらいの事件が勃発した。
で、ちょうどお昼時、どこの店もGW休業中だが、ここならやっているだろうと、早稲田の名物弁当屋、「わせ弁」へ。
学生時代からは多少メニューがきれいになっているが、値段は当時のままだ。
いや、少しは上がってるかも?
前抜き明太と迷ったが、やはり定番のなすから弁当で。
大盛りマシだ。マシは、+30円でから揚げが2つプラスされるシステム。
意味もなく箸上げ。
なんとなく、鶏肉が多少美味くなっている気がする。
というのも、当時、あまりに不揃いな形の唐揚げに、大隈講堂にわんさかいるハトの肉が使われているという噂もあったのだが、外の箱を見たら、新潟県は新発田市のニイブロの鶏を使っているようで、長年の疑問が解けた気がする。
ちなみに、当時は朝から夜2時まで開いていて、ずっと同じおばちゃんが店番をしており、理工学部が作ったロボットではないかとか、首が180度回ったのを見たことがあるとか、噂が尽きない店であった。
こちらも定番のワセメシ、メルシーはやはりGW休業。
さて、そこから早稲田通りを西へ、明治通りを右折し、池袋へ。
早稲田の次に私が4年ほど住んでいたのが、ここ要町の「Sun Valley Ikebukuro」だ。
池袋駅からも徒歩圏内。
当時は黒いスーツにグレーのシャツを着ていたせいか、西口のキャッチに同業者と間違えられ、お疲れ様でーす!と言われたこと多数。
このアパート時代はモンハンが流行しており、徹夜明けの食べ物を買おうと外に出ようとしたら滑り、階段に背中を強か打ち付け、あまりの痛みにイャンクックのように飛び跳ねた思い出が。
また、当時はこの緑道に無理矢理バイクを置いていたのだが、ある朝警察が私の部屋のチャイムを鳴らしてきたことがある。
時間はまだ5:00前、いよいよ何かの罪がバレたのかと思ったら、酔っ払いが私のバイクを倒していたとのこと。
そこから、山手通りを南に、早稲田通りに入り、小滝橋経由で高田馬場へ。
このあたりの道なら目をつぶっても走れる。
信号待ちで見た早稲田松竹は現役。
よく通った、"ジャンワセ"こと「麻雀ワセダ」も現役。
個人的にはこっちの方がうれしいかも。
で、明治通りを渋谷方面へ。
毎日のように通ったルートだ。
外国人で溢れかえる原宿を抜け、代々木公園へ。
目当ては、公園内で新潟在住の知人が開催しているという、生ハムピクニックだ。
到着すると、生ハムの原木がピクニックシートの上にドーンと鎮座していた。
2枚ほどつまみ食い。肉厚で美味い。
滞在時間わずか5分程度だったが、新潟在住同士、東京で会えるというのは何か不思議な感じで、うれしいものがある。
続いて、明治通りを戻り、大久保通りから神楽坂へ。
こちらが、私が3年ほど住んでいた、神楽坂の「ZESTY KAGURAZAKA」だ。
このキザな名前のアパートの裏に、クラミツムエタイジムというムエタイのジムがあり、一時期は週に6日は通っていた。
神楽坂といっても賑やかな方ではなく、江戸川橋との間くらい。
神楽坂はその名の通り坂が多く、ジムの目の前の赤城坂を、ムエタイパンツのままダッシュする、赤城坂ダッシュというのをやっていたなぁ。
大きな人生の節目をいくつも迎えることになる、思い出深い街である。
練習後に入り浸っていた加賀屋も健在。
さて、続いては私が10年間働いていた、本の街神保町へ。
私は、小学館集英社プロダクションという会社でイベントの企画・制作を担当しており、コロコロコミックを始め、各種ホビー、ゲームのイベントを手がけた。
私の社会人としての背骨が形成されたこの街、全ては語れないほどに思い出は尽きない。
毎晩のように通っていたSOUP DELIも健在のようだ。
ついでに、本社である小学館にも立ち寄ってみた。
私がいたころはまだ建設中だった新社屋も、立派に完成。
そのまま白山通りを北上していると、懐かしい派手な看板が目に飛び込んできた。
引き返してみると、なんと営業中!
わせ弁大盛りにするんじゃなかったなぁ。
会社から徒歩1分のこのお店、めんめんかめぞうは、ワンコインで替え玉付きという超お得プライスで、よく会社を抜け出してオヤツ代わりに食べに行ったものだ。
おやじさんのトークも、味もあの頃のまま。
好みというものはあるだろうが、私はここのラーメンが神保町で一番好きだ。
ちなみに、おやじさん曰く、私のいた会社も、働き方改革の余波で残業に規制がかかり、なかなか大変という話を聞いた。
働き方改革は、役所だけでの問題ではないことを改めて実感した。
ちなみに、お向かいの人気店、とんかついもやは閉店していた。
寂しい限り。
で、秋葉原でモバイルバッテリーを仕入れ、国道14号を走り、尊敬するお二人がいるかも、と思い、両国の喫茶ランドリーへ。
大賑わいのお店の前にバイクを停め、中をのぞいてみると...いたー!!お二人とも!
やっぱり、ご縁ってもんはあるね。
最後は、新潟に戻る直前に住んでいた小岩へ。
駅から徒歩4分、新築3LDK、13階のマンションに住んでいたのはわずか2年。
幸いにしてそれほど売却価格は落ちなかったが...。
まあ、色々あったわけだが、やはり、ラピュタじゃないけど、人は土から離れては生きられない、そんなことを思った記憶がある。
てなわけで、古巣探訪でせわしなく東京都を通り過ぎ、16:20、江戸川を渡り、千葉県入国。
しかし、県境の小岩に2年も住んでいたのに、千葉の地理がさっぱり分からない。
Google Mapを睨みつつ、結果としては、市川から船橋、八千代、印西とちょっと変なルートに。
利根川に沈む夕陽がきれいだったなぁ。
方向的には背中の方に沈んでいき、ミラーに映り、夕陽に追いかけられているようで、何度も振り返った。
18:00過ぎ、利根川を渡り、茨城県入国。
そこから20分ほど走り、暗くなる前に、無事に目指す健康ランドに到着。
ここは、入場料756円に、プラス1,080円で泊まれるという、この手の施設でも最安レベル。
ただし...2階の休憩所、なんと充電不可...。
そ、そんな殺生な話があるか?
周りにもコンビニなどはなく、持ち込みもできない。
仕方ないので、中の食事処でメシを済ませ、漫画などを読みつつ就寝。
ま、たまにはこういう日もあるか。
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