【毒親育ちのエッセイ】解離性障害って、ただの恐怖でしかなかった。
物心ついた時から、それともそんな時期よりも前からだろうか。常に親からの暴力と暴言に怯える日々を送っていた。
そんな日常の中『悲しいと感じてしまう心が無ければ楽になれるのに』と願った所為なのだろうか、本当に何も感じられなくなった。
常にもう一人の自分が中に居る。
嬉しいも、楽しいも、何も感じられないもう一人の僕が思考を支配している。
機能不全家庭で培った、常に他人の顔色を窺って、他人の求める自分で居るという生き方の所為で、より一層自分を見失うことになる。
他人に合わせて笑顔を見せ、他人の求めることを演じて笑いを生む。
それでも、内側の僕は何も感じられていない。
そもそも、自分って何なのだろうか。
いつも、どこか遠くから自分を俯瞰しているように感じてしまう。まるで僕ですら他人みたいだ。
他人と自分の違いって何なのだろうか。
僕も他人、あいつも他人。じゃあ、自分って誰で何処に居るんだろうか。
と言うか、この世界って何なのだろうか。
何も感じ取れない所為か、生きてるって感覚がしない。
あぁ、こんなに狂った人間だから、僕は幼少期から親に侮辱され続けて来たんだ。暴力ばかり受け続けて来たんだ。
僕は人格の破綻した異常者だったんだ。
そう、思い続けて来た。
今となっては、毒親からの洗脳だったということに気付いたが。
ただ、気付くことと理解して受け入れることは別の様で。
その思考も、生き方も、簡単には手放せない。
そんな特徴があってこその『僕』という生き物だから。
苦痛ばかりの世の中で、生きたいなんて思ったことも無い。
それでも、同じ様に人生を----命を奪われる人が何処かに居るというのは見過ごせない。
言葉で人を殺すことは簡単だと身を以って知った。
こんな世界で、僕の言葉で救える人生はいくつあるのだろうか。