私すごく愛されているかもしれない#読まれないnoteを書こう
つい1カ月ほど前のこと、診察室で画像と数値を見せられながら淡々と伝えられた。
「骨粗鬆症ですね。」
声は出なかった。頷くのが精いっぱいだった。それから、採血があってこれからの治療方針を決めていく云々かんぬん。
そっかー、骨粗鬆症ね。骨がスカスカなんだよね。その時は結構あっけらかんとしていた。
「お母さん、私骨粗鬆症だったわ〜」
なんて電話した。
ちょっとしてからいろんな感情が湧いてきた。
私まだ22歳だよ?なんでそんなおばあちゃんがかかる病気になったんだよ?部活やってもいいんだよね?骨折しないよね?骨折して寝たきりとかならないよね?
私じゃない人がこの病気になればよかったのに。
それから本当に信用できる仲間のひとりに話すのに、少し時間を要した。どんな反応されるのか怖くて、相手が酔っ払っているときに話した。後から、シラフの時にちゃんと伝えればよかったと後悔した。私より客観的で冷静な言葉が、その人らしいと思いつつでも寂しかった。
大問題は部活だった。脊椎にサポーターを着用することが義務になっているほど、何もなくても危険の伴う競技。車ぐらいのスピードは出ているスポーツ。今の日常生活の半分ぐらいが、部活であるくらい夢中になっている。それをどういう形で続けられるのか。
周りの人に少しずつ相談できるようになった。最初は、怖かったけれど。
わかったことは、私すごく愛されているかもしれないっていうことだった。先輩も後輩も同期も、みんなすごく時間をかけて話を聞いてくれた。支離滅裂になりながら頑張って話していると、聞いている先輩が目の前で泣いていた。
そして、これまでの私を肯定してそれぞれの言葉をくれた。
「私にとって一番思い入れのある選手だから。」
って言ってくれた。全然気まずい雰囲気になんてしなかった。
結局、自分の納得する形でこのスポーツと向き合うことに決めた。
病気がわかってもうひとつ実感したことがある。それは、多分人それぞれ大なり小なり抱えて生きているけど、それって側から見てもわからないことが多いということ。
それは体のことかも、メンタル的なことかも、経済的なことかもしれない。その人自身のことかも、その人の家族のことかも、その人の恋人のことかもしれない。
私はこれから骨スカスカのまま薬を毎日飲んである程度の月日は過ぎていくけど、別に会う人全員にそのことを伝えることなんて、絶対ない。
同じように、何かを抱えていてもわざわざ人に言わないことって、言わないだけできっとみんなある気がした。それぞれのペースで頑張ってるってそういうことだと思う。
もっと大変な病気をお持ちの方からしたら、骨粗鬆症なんて屁でもないと思う。自分にとっては、ビッグな事件で色々考えさせることだった。
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これは私自身の記録で、読まれないはずのnote。今の気持ちを残しておきたいから、この企画に乗っかってしまうことにする。そうでもしないと、書く勇気が出なかった。病気になってよかったなんて、少しも思わない。そりゃあ、健康体でいることが一番だと思う。だけど、きっといつかこの一連の出来事について違う感じ方をしている自分がいる気がする。