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うつ病についての体験手記のようなものです。書き綴ると鬱屈として来ますが、何かの役に立てればと思い、まとめていきます。
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うつ病になるまで。其の一

うつ病になるまで。其の一

 ひとくちにうつ病といっても、多分この病については患っている人、個々に原因や症状はちがうと思う。今さら、このことを書くのでさえしんどい。
集団認知療法があるようだけど、私はそんな療法は嫌だ。うつ病同士分かり合える?それは無理。こうすれば良くなるという説教も要らない。かえって重荷になる。

 辛い立場から逃げ出せたら5割くらい、寛解に向けて進めたくらいかな。
あとの5割は、うつの間にどれだけ自分の身

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うつ病になるまで。其のニ

うつ病になるまで。其のニ

前回からの続き。1988年頃。

 配属先で私を待っていたのは、いつも顰めっ面のコーナー長だった。
同じフロアの、デパートの人たちやお客様には愛想の良い顔を見せているものの、私とは絶対目も合わさずに、ひとことふたことの指示以外は全く会話がなかった。
こんな頑固な人、見たことがない。
そのレコード売り場、社員3人、アルバイト2人で回していた。コーナー長、先輩の男性社員、私、アルバイトの女の子2人。

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うつ病になるまで。其の三

うつ病になるまで。其の三

思い切って実家に帰る事に。

 1988年ごろに、だいたい自分はどういう人間なのか考えるようになる。
もう今さら、他人のあの人がこうだった、ああだったと書こうとは思わない。
あの頃自分がどうだったかを考えることに絞っていく。

 出入りしていたサプライ商品の営業マン(以下Aとする)とお付き合いするようになった。そのことが、実家にSOSを出すきっかけにはなった。
職場の人間関係も、何もかも上手くいっ

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私のうつ病は。①

私のうつ病は。①

 私はここ5、6年、甲状腺機能が働いていない橋本病との診断を受けて、ホルモン充填のためチラーヂンを毎日服用している。チラーヂンs75mg+12.5mg。
この橋本病も気力が失われ、うつ病の症状とそっくりな状態になることがわかった。
最初から甲状腺のせいだったかどうかはわからない。うつ闘病、10年くらい過ぎた頃に、体が痛みだし、関節も腫れて痛みが強くなり、特に背中の痛みが強くて、あらゆる病気を疑い、

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私のうつ病は。②

私のうつ病は。②

 3ヶ月の休職明け以降の仕事は、ほとんど意味がないものとしか思えず、何をするんだかわからない図面のファイルを探すためにはPCで検索してファイルの番号を調べる必要があるのだけはわかっていた。それなのにPCも使わせてもらえなくなっていた。ファイルはロッカー20本くらいに詰め込まれていたり、無造作にロッカーの上に積まれたダンボールに詰め込まれていたりで一枚の図面を探すのにも一苦労だった。向かい合わせたロ

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私のうつ病は。③

私のうつ病は。③

 何度か経験しているものの、うつ病が重かった頃のことを思い出して書き出すことは、追体験することなので、一時的でも気分が悪くなる。私さえいなくなればいいんでしょ!という気持ちにもなる。私自身は長い投薬治療でなんとか家事は出来ていると思う。毎日きっちりとは出来なくてもシンクに汚れたお皿や鍋を山積みにしたり、汚部屋にしたままなんてことはなくなった。今は可愛い黒猫さん、リズちゃんとつばさくんが居るので、自

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私のうつ病は。④

私のうつ病は。④

 うつ症状について、詳しく書くのは少々辛いけれど、前回の③についての補足として書き留めたい。しかしかなり曖昧な記憶しかないという前提のもととして。

トリガーワーニング(Trigger Warning):この文章には、私が過去に経験した自傷行為や、薬の乱用について記述していますが、これらを決して推奨するものではありません。薬の乱用は非常に危険であり、健康を損なうだけでなく、精神的な問題をさらに悪化

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私のうつ病は。⑤

私のうつ病は。⑤

過去の苦しい時期

 あまりにもひどいありさまだった頃を思い出すのは苦しいのに、なぜかこうやって書き続けるのは、私の性質。やめたら良いのにやめられない。やらなければいけない事がいっぱいあるのに。梅雨の最中で体調も悪い。

視力と運転免許

 私は視力が自動車を運転するには低過ぎて免許を取るのは諦めていたのだけど、乱視用のハードコンタクトレンズを使い始めて、免許が取れるくらいに視力が上がった。最初に

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私のうつ病は。⑥

私のうつ病は。⑥

我慢のストレス

 長い間の我慢というのは、長い間、ストレスに晒されるということだ。
知らない間に精神も身体も蝕まれる。
他人の何気ないひと言がいつまでも忘れられず、今でも思い出すと悔しい。
カウンセリングにも行っていた。ここで書いて昇華出来たら良いのだけれど。

ママ友関係の悩み

 核家族で、近所には親類も知人もいなかった。
私は一人で気を張っていたと思う。なんとなく理不尽だと思うご近所さんの

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私のうつ病は。⑦

私のうつ病は。⑦

自己を見つめ直す旅

 このnoteは、今まで生きて来た人生を振り返り、本当は自分はどんな人間なのか思い巡らせることが出来た。曖昧に散らばっていた自分というものが繋がっていき、客観的に自分のことを見られるようになったと思う。
 こうやってネットで公開するからには多少自分を良く見せようとする気持ちは無意識に出て来ると思うので、なるべく抑えた。私がひとりで語ることはすべて一方的で、何が本当のことかはわ

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私のうつ病は。⑧

私のうつ病は。⑧

病者の祈り

~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~

大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった

より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたの

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私のうつ病は。⑨

私のうつ病は。⑨

 うつ病による身体の不調が現れたのは、まずは胃から喉元にかけて絞りこまれるような、喉が締め付けられるようなヒステリー球から始まったと思う。悲しくて泣いてしまう時の、胸の苦しみにも似ている。もうその時にはすぐに病院で相談したほうがいいと思う。続いて不眠に悩まされる。現在でもまだうまく眠れない夜もあるけれど、眠剤を飲まないまま眠りにつける夜もあってまだまちまちだ。
眠剤はあっという間に耐性がついてしま

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