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うつ病になるまで。其の一

 ひとくちにうつ病といっても、多分この病については患っている人、個々に原因や症状はちがうと思う。今さら、このことを書くのでさえしんどい。
集団認知療法があるようだけど、私はそんな療法は嫌だ。うつ病同士分かり合える?それは無理。こうすれば良くなるという説教も要らない。かえって重荷になる。

 辛い立場から逃げ出せたら5割くらい、寛解に向けて進めたくらいかな。
あとの5割は、うつの間にどれだけ自分の身体を労り、ウォーキングやストレッチなど、難易度がなるべく低いことを取り入れて身体を動かすことが大事で、後々の立ち直りや、うつになるまでの自分に戻れるかどうかという点でセルフケアは重要。これを読んでくださるうつ病患者さんに覚えていてほしいことはこれだけだ。

 そして私の、うつ病になるまでの話。

 今まで生きて来て、人生のほとんどはうつ病との付き合いで占められてしまった。
私の場合、いきなりうつ病になったのではなく、何度かうつ状態に陥りながら、なんとか自力で浮き上がるということの繰り返しだった。
今思えば、中学3年生の頃はうつっぽかったかもしれない。
私は腰痛を抱えていた。仰向けになって眠ることができず、膝を抱えて丸くならないと眠れなかった。小学生の頃はすでに肩凝りが辛かったのも合わせて我慢していた。
薬局の薬剤師に「小学生が肩凝りなんてならない」と言われてそのまま。
元気に外遊びしていれば肩凝りなんてまずないだろうということか。条件が揃えば子どもだって肩凝りしても不思議はないんだけど、とりあえず腰痛は冷房に当たりすぎないでいることということになった。そのままでいたら中学3年の頃に、高校受験を前にして、やる気がなくなってしまった。
子どもらしく生活出来ていたら解決したことも多かったと思う。
いつもなにかに焦ってもいた。気分も優れず、高校受験は失敗するかもしれないと思っていた。ここが最初の抑うつ状態だったと思う。
高校に合格したことで、気分は治った。多くの人が経験する状態かもしれない。
まだ10代なので身体については影響は出なかった。

 二度目の抑うつ状態は21歳の頃から始まった。
その頃はいろいろな理由で一人暮らしをしていた。自分の給料で自活していたが、思った以上に生活はしんどいものだった。その上、職場では全然、人間関係が上手くいっていなかった。
最初の仕事は家電量販店の販売員。本意ではなかった。事務職を希望していたが若い社員はまず店頭に立つことになると後でわかった。

 家電やサプライ商品は、販売員が張り付いていなくても売れる時には売れるものであるし、売れない時はお客様の取り合いとなるだけ。販売員は多すぎた。拘束時間も長かった。夜家に帰り着くのは午後9時をまわっていた。特に忙しくもないのに店頭で待機するのは辛い。やることはあるようで、何もない。レジ締めくらい?やり甲斐に見合う仕事があって、そこそこ忙しい方が時間が過ぎるのが早いもの。余剰人員にも程がある。今のように、家電量販店がどんどん潰れて有名な大規模な電気店に吸収されていったのも当たり前だ。今ではネットでも買える。


 おそらくいつも沈んだ暗い表情をしていたと思う。恋愛、友人、職場、どこでもプレッシャーを感じていた。上手く出来ない、仲良く出来ない、朝が辛い。
 突然、虫垂炎になった。少し多めに休んだところ、次に出社した時には自分が受け持っていた担当からすべて外されていた。立派な島流し。
 ある日、グループで昼食を取るために社食に行く時に、「背後霊が付いてくる」と言われて、何かがブツッと切れた。必死に付いて行ったのは一人浮いていると思われたくないという理由であり、ゴルフの話で盛り上がっているけれど、私は話に付いていけないし、好きでもない同僚たちといることに、これ以上こだわる理由がない。お弁当を持って行く日もあったが、朝が辛いのにお弁当を用意するのも億劫になり、お弁当も社食もやめて一人で外に食べに行ってた。結構、生活費の圧迫になったけれど、お昼休みにまで嫌な思いをせずに済んだ。
 それ以降は、職場ではゴルフ好きの、人を背後霊呼ばわりする同僚たちとは一切口をきかずに、必要なことだけでしか話さないようにした。
これ以上自分が傷つかないようにするためだ。
 実家から通っているあの人たちに、私の苦労なんてわかるわけがないし、わかってほしいとも思わなかった。この頃からひとりは気楽を覚えた。
「店舗に爆弾を仕掛けた」という脅迫電話があった時も、数人の男性社員とコーナー長に「ともみさんがやったんじゃないの?ぷっ」と言われた。

 何か私、あなたがたに悪いことしたのか?なんでこんなこと言われて、セクハラされ放題で、それも当たり前みたいな下衆い振る舞いをしておいて、私はそこまで言われるの?このお先真っ暗な業界で、いったいどんな未来があるというのか。
 もうこの会社を辞めたいという私に、その頃のブロック長が生活の心配をしてくれ、その店舗から離れて、同じ三宮にあるデパートのレコード売り場に出向するのだけれど、そこには私よりも完璧に鋼のバリアを張り巡らしたコーナー長が待っていた。
就職してから4年経っていた。

 保険会社に転職した元社員の男性に、保険の外交員にならないかと頻繁に誘われるようになる。「ニッコリと笑顔を見せたらみんな契約してくれるよ」って。
そんな馬鹿な。世の中そんな甘くない。
その人は妻に若くして先立たれ、しかも妻の母親と同居、家も建てたばかりという、他人事ながらかなりの鬱案件を抱えており、さらに徐々に距離をつめて来られたことにも気がつき、これ以上関わると大変なことになりそうで徐々に疎遠にしていった。

そろそろ限界が来ていた。
胃潰瘍が出来ていた。

続く。


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