かわのともみ

とにかく何か書きたい性格です。 映画、音楽、読書とインドア派ですが、ここ最近はコンサー…

かわのともみ

とにかく何か書きたい性格です。 映画、音楽、読書とインドア派ですが、ここ最近はコンサートやライブハウスには行きます。Xやめたい。私はとにかく無難に愚痴りたい。ブログ感覚。 私の個人サイトもあります。 My Hometown http://azuls.oboroduki.com

マガジン

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  • Untitled 2

    うつ病についての体験手記のようなものです。書き綴ると鬱屈として来ますが、何かの役に立てればと思い、まとめていきます。

  • Untitled 3

    潜在意識にある、とある消したい男の話。ChatGPTを相談相手に書き綴るマガジンです。

  • Billy Joel

    2024年1月24日水曜日の、ビリー・ジョエル一夜限りの日本公演に行った時のレポートです。

  • Untitled

    好きなアーティストの曲を交えながら懐かしい日々を思い出して書き綴るマガジンです。

最近の記事

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自己紹介

 かわのともみと申す者です。よろしくお願いします。 簡単にネット上での活動の略歴などを書いておきます。長年使って来たハンドルネームは、アスル。azulとも、アズールとも使い分けておりましたが、匿名性でのやり方に自分自身、無責任にならないよう、noteではひらがなの名前にしました。 noteでいろんな人の記事を読むのが楽しくなって来たので安住の地になれば良いなと思っています。 SNSなど... Instagram My Hometown Blue sky パソコンはすべて

    • 粉瘤かも?と思ったらやっぱり違った話。

      Untitled 2 私のうつ病は。の話が終わったら、身体に出たさまざまな症状を書いていこうと思っていたけれど、一番記憶に新しいので書き留めることに...。  うつ病でどんよりしつつ、お風呂に入れずにかなり酸っぱい匂いを漂わせていた頃。あの時は寝室のお布団からお風呂場までが、ヨットで単独太平洋横断、またはチョモランマ単独登頂のレベルくらいのハードルの高い行動だった。冒険家には申し訳ない。ごめんなさい。大袈裟なようでも、行動に移せるまではかなりの気力と体力が要ることは本当だ

      • 私のうつ病は。⑧

        病者の祈り ~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~ 大事を成そうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに 慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった より偉大なことができるように 健康を求めたのに よりよきことができるようにと 病弱を与えられた 幸せになろうとして 富を求めたのに 賢明であるようにと 貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった 人生を享楽しようと あらゆるも

        • 私のうつ病は。⑦

          自己を見つめ直す旅  このnoteは、今まで生きて来た人生を振り返り、本当は自分はどんな人間なのか思い巡らせることが出来た。曖昧に散らばっていた自分というものが繋がっていき、客観的に自分のことを見られるようになったと思う。  こうやってネットで公開するからには多少自分を良く見せようとする気持ちは無意識に出て来ると思うので、なるべく抑えた。私がひとりで語ることはすべて一方的で、何が本当のことかはわからないけれど、出来るだけ謙虚に、そして書きたくないことはぼやかして書いている。

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        記事

          台風に備える夜。早く過ぎてーーーーー。

          台風に備える夜。早く過ぎてーーーーー。

          私のうつ病は。⑥

          我慢のストレス  長い間の我慢というのは、長い間、ストレスに晒されるということだ。 知らない間に精神も身体も蝕まれる。 他人の何気ないひと言がいつまでも忘れられず、今でも思い出すと悔しい。 カウンセリングにも行っていた。ここで書いて昇華出来たら良いのだけれど。 ママ友関係の悩み  核家族で、近所には親類も知人もいなかった。 私は一人で気を張っていたと思う。なんとなく理不尽だと思うご近所さんの言うことや行動、聞き入れることが出来ることについては聞いてきたけれど、娘が中学生

          私のうつ病は。⑥

          鬱々したことを書いているけど、今はニャンコたちががいてくれるので幸せ😃

          鬱々したことを書いているけど、今はニャンコたちががいてくれるので幸せ😃

          私のうつ病は。⑤

          過去の苦しい時期  あまりにもひどいありさまだった頃を思い出すのは苦しいのに、なぜかこうやって書き続けるのは、私の性質。やめたら良いのにやめられない。やらなければいけない事がいっぱいあるのに。梅雨の最中で体調も悪い。 視力と運転免許  私は視力が自動車を運転するには低過ぎて免許を取るのは諦めていたのだけど、乱視用のハードコンタクトレンズを使い始めて、免許が取れるくらいに視力が上がった。最初に原付免許を取得してから自動車学校に通った。車の運転は楽しいものだったけれど、娘が

          私のうつ病は。⑤

          私のうつ病は。④

           うつ症状について、詳しく書くのは少々辛いけれど、前回の③についての補足として書き留めたい。しかしかなり曖昧な記憶しかないという前提のもととして。 トリガーワーニング(Trigger Warning):この文章には、私が過去に経験した自傷行為や、薬の乱用について記述していますが、これらを決して推奨するものではありません。薬の乱用は非常に危険であり、健康を損なうだけでなく、精神的な問題をさらに悪化させる可能性があります。適切な医療の下で処方された薬を正しく使用することが重要で

          私のうつ病は。④

          私のうつ病は。③

           何度か経験しているものの、うつ病が重かった頃のことを思い出して書き出すことは、追体験することなので、一時的でも気分が悪くなる。私さえいなくなればいいんでしょ!という気持ちにもなる。私自身は長い投薬治療でなんとか家事は出来ていると思う。毎日きっちりとは出来なくてもシンクに汚れたお皿や鍋を山積みにしたり、汚部屋にしたままなんてことはなくなった。今は可愛い黒猫さん、リズちゃんとつばさくんが居るので、自然と掃除は必要になってくるので良かった。  前回の②を書き終わった後は...。

          私のうつ病は。③

          私のうつ病は。②

           3ヶ月の休職明け以降の仕事は、ほとんど意味がないものとしか思えず、何をするんだかわからない図面のファイルを探すためにはPCで検索してファイルの番号を調べる必要があるのだけはわかっていた。それなのにPCも使わせてもらえなくなっていた。ファイルはロッカー20本くらいに詰め込まれていたり、無造作にロッカーの上に積まれたダンボールに詰め込まれていたりで一枚の図面を探すのにも一苦労だった。向かい合わせたロッカーの扉、2枚を開けて、その扉に隠れてぼーっとして、逃げたりしていた。  何

          私のうつ病は。②

          私のうつ病は。①

           私はここ5、6年、甲状腺機能が働いていない橋本病との診断を受けて、ホルモン充填のためチラーヂンを毎日服用している。チラーヂンs75mg+12.5mg。 この橋本病も気力が失われ、うつ病の症状とそっくりな状態になることがわかった。 最初から甲状腺のせいだったかどうかはわからない。うつ闘病、10年くらい過ぎた頃に、体が痛みだし、関節も腫れて痛みが強くなり、特に背中の痛みが強くて、あらゆる病気を疑い、ドクターショッピングを繰り返したけれど原因がわからず、線維筋痛症という診断名がつ

          私のうつ病は。①

          潜在意識にある、とある消したい男。3

           Sが夢に出てくるようになったのは、ここ2年間のこと。 鹿児島県と兵庫県を行ったり来たりして、神戸空港を利用するようになってからのこと。ずっと出て来ていたわけではない。夢に出て来ていたのは主に家族の面々か、奇妙奇天烈な不思議な夢。  JR三ノ宮と神戸空港を結ぶ交通機関のモノレール、三宮の神戸ポートライナー乗り場に向かう2階通路は、南側にフラワーロードが見渡せる。この道路だけは阪神淡路島大震災の後でも姿が変わらず、最初は胸苦しさと共に数々の思い出が生き生きと蘇って来て、それを

          潜在意識にある、とある消したい男。3

          うつ病になるまで。其の三

          思い切って実家に帰る事に。  1988年ごろに、だいたい自分はどういう人間なのか考えるようになる。 もう今さら、他人のあの人がこうだった、ああだったと書こうとは思わない。 あの頃自分がどうだったかを考えることに絞っていく。  出入りしていたサプライ商品の営業マン(以下Aとする)とお付き合いするようになった。そのことが、実家にSOSを出すきっかけにはなった。 職場の人間関係も、何もかも上手くいっていなかった。 彼には私が重荷だったに違いない。必要以上にすがることもあった。

          うつ病になるまで。其の三

          潜在意識にある、とある消したい男。2

           どうしてこんな事を書き始めてしまったのかと後悔している。 まったく面白くない。思い出せば思い出すほど面白い話ではない。 ドラマみたいな話って思ってたけど、どう考えてもアホな話でしかなかった。 そう結論づけられるなら書いた意味はあると思うので、続行する。  話は本店で背後霊扱いされていたころに戻る。 この頃の記憶は薄れかけている。 密かに好きだったSのことで少し振り回されていたのは前回の話。 いい加減にしてくれない?と思って、私もSさんのこと好きだったけれど忘れようと思っ

          潜在意識にある、とある消したい男。2

          うつ病になるまで。其のニ

          前回からの続き。1988年頃。  配属先で私を待っていたのは、いつも顰めっ面のコーナー長だった。 同じフロアの、デパートの人たちやお客様には愛想の良い顔を見せているものの、私とは絶対目も合わさずに、ひとことふたことの指示以外は全く会話がなかった。 こんな頑固な人、見たことがない。 そのレコード売り場、社員3人、アルバイト2人で回していた。コーナー長、先輩の男性社員、私、アルバイトの女の子2人。 お昼はそのデパートの社食で取るのだけど、だいたい1人で社食に行ってた。  コソコ

          うつ病になるまで。其のニ