ブライアン・エヴンソン「遁走状態」
前妻と前々妻に追われる元夫。見えない箱に眠りを奪われる女。勝手に喋る舌を止められない老教授。ニセの救世主。「私」は気づけばもう「私」ではなく、日常は彼方に遁走するーー。奇想天外なのにどこまでも醒め、滑稽でいながら切実な恐怖に満ちた、19の物語。幻想と覚醒が織りなす、脅威の短編集。
(以上、カバー折り返しより)
「どこまでも醒めた、19の悪夢。
謎と恐怖は何度も甦り、そのたびに容貌を変える。
終わりなく続く遁走曲(フーガ)のように。
ホラーも純文学も超える、脅威の短編集。」
裏表紙の↑の惹句が購入の決め手。
ホラー大好き。
なんだけども、角川ホラー大賞が横溝正史ミステリ&ホラー大賞に変わっちゃってからなんとなくホラー成分が足りてなくてね。
それを混ぜちゃったらミステリ要素強めになっちゃうでしょうがと思って、以来、同賞は読まず嫌いしてるんですよね。
* * *
「年下」
姉妹が過去の体験を振り返る。かたや姉は損なわれず、かたや妹は決定的に損なわれたと感じている。
「追われて」
元嫁と元々嫁が車で追いかけてくるって強迫観念に囚われて延々とドライブしてる。誰か病院に連れてったげてほしい。
「マダー・タング」
思考とは裏腹の言葉が口をついて出るので大学先生すっかり弱り果てて老け込んじゃって。ラスト、ちょっとコントになっちゃってない?
「供述書」
教祖と持ち上げられた男の取り調べ供述書。本短編集で一二を争う面白さ。これはもはや映画。
「脱線を伴った欲望」
男が女から逃げ続けている。著者にとって男女のもつれは不穏の象徴。
「怖れ」
小説の何気ないワンフレーズに囚われ、強迫観念に絡め取られ、決定的におかしくなるまでのストーリー。
「テントのなかの姉妹」
「年下」の変奏か。姉妹が現在形で体験する両親不在の日常で、姉は現実を理解し大人になる。
「さまよう」
安寧の地を求めてさすらう人々がたどり着いた屋敷、そこには恐ろしい何かが。ちょっとクトゥルーみある。
「温室で」
ライターが好きでもない作家の家にお呼ばれされてしぶしぶ訪問。謎多き作家の家、彼の暮らしぶりにライターは次第に心囚われていく。
「九十に九十」
ジグソウみたいに個人個人に最適化した罰を与えてくる上司に困惑する部下の話。
「見えない箱」
大道芸人と軽いアバンチュールを過ごしたら大道芸人の呪いにかかった。
「第三の要素」
スパイだと思ったら電波だった。
「チロルのバウアー」
チロルにてバウアーは死にゆく妻との閉塞的な時間を過ごす。
「助けになる」
失明した男性。献身的に支えようとする妻。ラストの一文でコントになっちゃってない?
「父のいない暮らし」
現代のアンファンテリブル。悪意がなさげなのがまた。
「アルフォンス・カイラーズ」
人を殺した奴は世にも奇妙な世界に迷い込むって決まりは世界共通なんですね。これもややクトゥルーみを感じるのは舞台が海だから?
「遁走状態」
被験者の突然の死亡を機に自らもその内側に絡みとられていく観測者。これまたスタイリッシュなサスペンス映画。
「都市のトラウブ」
人の死に顔を描いた奴は呪われる。なんとなくドロヘドロみある短編。
「裁定者」
おそらく災害が傍らにあるか災害のさなかか、極限の環境の日常。
良いよね。こういうじわっとくる不安。恐怖を知覚する前の不快感。
どこにでもありそうな風景を切り取って禍々しく味付けする天才だと思う。
自分の味気ない生活にも、どこかにこんなファンタスティックな展開が待ち受けてるんじゃないかなってときめきを取り戻せる心の栄養剤みたいな一冊。