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こっちのほうが実は好きな写真なんだな。

どうしてだろうと  まど・みちお

どうしてだろうと
おもうことがある

なんまん なんおくねん
こんなに すきとおる
ひのひかりの なかに いきてきて
こんなに すきとおる
くうきを すいつづけてきて
こんなに すきとおる
みずを のみつづけてきて

わたしたちは
そして わたしたちの することは
どうして
すきとおっては こないのだろうと・・・


今朝は、予告通り、エッチラオッチラ重い望遠レンズを背負って公園へ行った。

昨日のような靄は・・・なかった・・・。

でも、やっぱ、望遠を持っていくだけで、見方が変わる。
遠くもある程度は狙えるので、遠くまで気にできる。

あそこの鳥と木と影の感じいいかも!

でもあまりにも遠すぎる。。。

わたしの望遠は200mmなので、さほど遠くを狙うことはできない。

でも、あそこも、あれも、と、眼は欲しがる。
手前の近くを。。。
あ。接近用のレンズ(マクロレンズ)は持ってこなかった。。。

ま、しゃ〜ない。

で、望遠のおかげで、今朝上げたような写真は一応撮れた。
いい悪いは別として、標準レンズでは撮れない写真ではある。

でもね、本当をいうと、こういう写真よりか、この記事のトップに使ったような写真が好きというか、こういう写真ばっか撮っているんだな、実は。
でもね、ほら、自分の趣味が全面に出すぎていて、「何が撮りたいのか、何を撮っているのか、暗いし、滅入るよ、なんとなく」って、友人に言われたことがあるので、あまり趣味に走りすぎないようにはしてんのよ、これでも。

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こういうの。

こういう情景に生命を感じるんだな。
枯れ葉とか、倒木とか、そうした死を目の当たりに感じさせるものにいのちを感じるんで、いっときはそんな写真ばっか撮っていた。

もう一枚、とっておきがあるのだけど、それはあまりにもあまりすぎて、気を本当に悪くされる方もいるだろうので封印😅
自分一人でその写真はたまに観て考えさせられよう、と。

あ、たいした写真ではないです。
モチーフがいいだけで、表現しきれてないし、自分でもいまいちだな、と思えるから、余計に出さないってのもある。

すきとおるってどんなんだろう。

光を見ると、影を、闇を感じる。
暗闇にいてはじめて光が分る。
死を目の当たりにして生を感じる。

濁ったこの世にいるのに「すきとおる」がわからない。

たぶん、いまを濁っていると、濁世と受け止められていないからだな。

見て見ぬ振りをしているんだろう。

生きていながら、死を見ないようにしている、死を他人事でしか生きていない。

他者の苦しみ悲しみからも目を逸らしているが、それだけではなく自らのここに在ることの悲しみからも目を逸らしているのだろうな。

息苦しさを、生き苦しさを否定するのはよろしくないな。
そんなことを最近よく思う。

もう少し素直になれよ、と、自分自身に言ってみる。

素直になるには勇気がいる、度胸が必要。

ま、こんなことをほざいていることじたいがすきとおていない証拠だろう。

でも、こうして愚にもつかない愚痴を並べているときは少しだけだが自分の思いは、自分に対してだけだがすきとおっているのかもしれない。

すきとおっていないことを自覚すること、自覚を目指すこと、それが、人間という知恵でしか生きられない生物のできる、唯一すきとおった道のような気がする。

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