苦笑
他を尊敬しながら、他にならない。
他を尊敬してみなそれぞれの意味を認めて、それにもかかわらずどれほど尊敬していても、自分のものを捨てない。
他を尊敬すればするほど自分の道が尊くなり、自分の道がかたじけなくなる。
金子大榮
昨日は、東日本大震災による災害や被害を受けた人々や地域、そこから派生して気づけた他の災害(阪神淡路、北陸、中越の地震、関東大震災、台風被害、水害などなど)の被災した人や地域のことを考えさられたというか、あんなことがこんなことがあったな止まりだな、そんな状態。
それだけではなく、57年前に冤罪で死刑判決(狭山事件)がくだされた日でもあり、そこから袴田事件や菊池事件、様々な冤罪事件のことも頭に浮かび、司法制度の矛盾と司法後進国、ガラパゴス司法と言われる日本の司法制度のことも頭をひたすらよぎる。
結局の所は、未だに有史以来、民主主義にもなったこともなく、人権も確立しようともせず、差別が社会の当り前でしかない、日本という国の封建主義大好き国民の有り様が無性に気持ち悪く感じる一日だった。
オレは嫌なんだよね、封建主義って。
上から目線で物言われたり、指図されたり、命令されんの大ッキライなんだよね。
お前が上に立ちたいからだろ?
う〜ん。。。あまり、立ちたいとは思わないのだけど。。。
高所恐怖症だし。
面倒くさいの嫌いだし。
でも、頂上ではないけど、下の方で、ちょっとだけ高いところに登って優越感を感じている自分のいることは認めるな。
なさけない、恥ずかしい話だけど。
で、昨日ではないんだけど、ちょっと前に、
「じゃ、オレよか下の人間って誰だ?どこにいる?」
って、真面目に考えてみたのよ。
それがわからないと、上に立っていい気になっている自分すらわからないな、そんな気分で。
結論。
いないよ。
みんな同等、同列、とも思えない。
みんなオレよかは上だな、と、卑屈でもなく、劣等感でもなく、真面目にそう思えた。
家に帰ってから少しじっくりそれを考えようと帰路についた思った。
前から、ちょうど赤ン坊を抱いたお母さんが笑顔で歩いてくる。
その姿を見て、あんな笑顔できないし、子供を産んで育てるなんてこともできないし、愛情を注ぐこともできない、みたいなことなんだと思うけど、一瞬で、「あ、この人よか人として勝っているとは言えないな」みたいなことを思った。
比べることではないんだけどね、本当は。
でも、その時は、あえて比べて、人を見る、そんな状況にしていたので。
赤ン坊の方もすれ違いざまにチラ見。
笑顔。
つられて笑顔になる自分がいる。
勝てねぇな。いるだけで周りを幸せな気分にさせるなんて。
ガソリンスタンドでガソリンを入れてから帰ることにする。
一生懸命に、はつらつと、疲れった感じで、ちょっと苛ついている感じで、とにかくひたすら自分お仕事をこなすスタンドの人達見ていても、なんかこのがむしゃらに働くのって、オレできてんのかな?
家に帰る。
こいつよりは、というような人間をあえて思い浮かべてみる。
犯罪を犯した人や、テレビで見たどうしようもないと描かれていた人なんかも。
差別発言をした人々や、大嫌いな政治家や官僚、どうでもいいテレビのコメンテイター。
みんな、多かれ少なかれ、わたしよりも優れたところを持っている。
社会的に良い悪いではない。
あくまでもわたしの中の価値観でしかない。
でも、あえて、この時は、自分ぽ価値観こそが正解!というスタンスで比べさせてもらった。
あの犯罪を犯した人間でも、素直さであったり、悲しみであったり、苦しみであったり、そんなものが見えてくる。
人を引きつけるという魅力を持っている。
あのクズ、クソヤロー、と思える政治家でさえ、少なくともオレよりは人間臭いという点ではマシだし、欲望に正直だ。
そんなことをかんがえて、時間はまったく掛からずに、会ったことのない、素性も存在すらも知らない、そんな人であろうが、自分より下であることはない、という結論が簡単に出た。
その瞬間だけだが、ちょいとだけホッとした。
オレもこのままでも良いんだ、って。
すでに、その事を忘れて、しっかり他人のアラを見つけては、上に立とうとする自分はいる。
そういう自分には、いつも上から目線でご無体を申す傍若無人な世界が待っている。
だから基本、わたしは卑屈に生きざるを得ない。
でも、ありとあらゆるいのちが、どこかしら自分よりも勝っている、というところに立つと、それはお互い様の世界にあるということになり、ホッとさせられる。
そして、比べること自体がナンセンスなんだと苦笑する。