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複雑怪奇な人間

自己を知ることは
やがて他人を知ることである。
自己に対して盲目な人の見る世界は
ただ一樣の灰色である。
自己の個性の理解に透徹し得た人は
最も平凡な人間の間においてさえ
それぞれの個性を発見することができるのである。
        三木清

むかし
ほんの短い期間だったが
演劇にハマっていた

役者として
舞台に立つのも好きだったが
基本は演出するのが好きだったようだ

「ようだ」というのは
役者と演出家
両方やっていたが
どうも演出していたときのほうが
いま考えると楽しかった

やっている当時は
目立ちたがり屋だったし
「オレを観てればいいんだ!」
くらい勘違いもしていたので
役者として
舞台上でライトを浴びて
汗ながして
自分に酔いしれているのが好きだった
が、
いまさら思い出すと
それよりも
稽古場で役者の演技を観ながら
苛ついたり
悩んだり
家で
行き帰りの電車の中で
他の現場で
「どうしよう。。。」
と悩んでいる方が
面白かったようだ
てか、性に合っていた。

とくに
悩ませてくれる役者が多ければ多いほど
実はやりがいを感じていたフシがある

自分よりも先輩の
とても上手な役者と作る舞台は
確かに勉強にもなるし
その役者をより立たせるために
相当にストレスがたまる作業だった
でも
こうして欲しい、というと
それ以上にして返してくる人
その通りに狂いなく返す人

ある程度の稽古期間がすぎると
予想がつくようになる
こんな感じになるだろな、って。
たしかにときどき
思いもしれないことをしてくる人もいるが
基本、たまにだ。

それが
養成所の子や
初めて芝居をやりますという素人の人だと
こうして欲しいといって
その通りにやれる人はまずいない。

頭の中で描いた画と
全く違うものが目の前で展開される
30年も前のことなので
その頃の演劇の世界なので
怒鳴り散らす
台本を投げつける
椅子を蹴る
机をひっくり返す
なんて馬鹿なことをしてもいた
(それがいいと勘違いしていた)

こんなのとやってられっか!
そんなことも感じるわけだ。

だから
お披露目をするためには
演技力に頼めない以上
その人が持つなんかを引き出すしかない
そこに集中する

ある時
ズブの素人が集まって芝居をすることに成り
演出を依頼された。
もうその時は一応プロからは足を洗っていた。
で、その時、出演した人。
「ここから右手に真っすぐ歩いていって、そこで振り返って左側を見て」
というと
どうしても右回りで左を見る。
何度手取り足取り教えても
嫌がらせか?と思うくらい治らない。
ターンしないと左が向けない
そうなると
それに意味付けを探す
敢えてそうしている
そういう風に見せる
そのためにはどうしたらいい。
笑いを取る場ではないのだから
マジでそれが大事な動きに見えるように。。。
動きもだが
そんな時に役立つのは
本人の持つキャラ。
真面目なんだ。
堅物なんだ。
若くて
まだ適当にやれるほど汚れていない
そこを持ち出す
最初の登場から
セリフを言う場所
タイミング
全て練り直す

そんな役者を相手に芝居を作ると
基本
最初に台本を読んで浮かんだインスピレーションは
最終的にグチャグチャにされ
予定調和なんてものはこの世にはない!
ということを思い知らされ
出来上がりは
全く違うものになっている

で、それがとてもいい
本番を舞台袖から観ていて
我慢できずに観客席に行って見出してしまったこともある。

劇団の先輩方がやった芝居を
養成所の卒業公演で掛けた事がある。
上手さや、みやすさ、まとまり
そりゃ、勝てっこない。
でも、勝った!と思った。
コイツラの芝居のほうがおもしろい!
と、思った。

演劇論ではない。

個性の話

個性は
基本みんな持っている
痛烈にすごい人も居る
スーパースターになるような人も

でもごく平凡と言われるような人でも
実はすごく痛烈な個性を持っている

それに自分自身が気づいていないだけだ
自分が気づかないで
そしてそれを出す場所がなかなかないというだけで
実は皆
ハンパない個性を持っている

また演劇をしていた当時の話で申し訳ないが
街を歩いていて
電車に乗っていて
もう
楽しくてしようがない時が
そういうスイッチが入る時が儘あった。
もう
そこで目に入ってくる人々の
個性的でおもしろいこと。
居眠りしているだけ。
本を読んでいるだけ。
ぼ〜っと車窓を観ているだけ。
歩いているだけ。
それが面白くて面白くて
目を凝らして観ていることが結構あった

当時は自分の才能で見えているとおもいっきり勘違い😅
みんな、なんて個性的ですばらしい。

柳原可奈子という芸人さんが出てきた時
彼女が見せる普通の人の個性の捉え方に感嘆した

個性は人に見せびらかすものではない
それをすることを求められている仕事につかなければ
芸能人やプロのアスリートなどは
それを見せる仕事ではある。
でも、彼らにしても多くの場合は
本当の個性は隠していると思う。
作り込んだ仮の個性を見せている場合が多いだろう。

気づかれずにある個性だが
実はお互いに気づいている。
気づいているようだが
実は本当のところはわからない。

そんなものだ

で、
自分の個性をと聞かれたら
わたしはわからない
これがわたしの個性です、と
そんなふうに決め込みができるほど
一人ひとりの個性は単純ではない。

複雑怪奇なんだな人間てやつは。

わたしは個性がないんです・・・。

というあなた
それがもうすでにアナタの個性。

どんなに目立たない人であろうが
どんなに遠慮深く前に出ない人であろうが
まばゆいくらいの個性はかならずある

だから
もうすこし
人間を楽しもう。





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