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正義はダサい!と言えるいい見栄っ張りでありたい。

どちらがよいか、間違っているかというそれだけではない。
根本に執着があるならば、我執があるならば、どれだけ善であろうと、それがかえって他人を傷つける。

             宮城顗


何が正しくて何が間違っているかは、状況によっても目まぐるしく変わる。

絶対的に間違っているのは、いついかなる時でも他を傷つけるということだ。

でも、それをしないと生きていけない。

生きるということは、必ず他を侵害することに直結する。
だからこそ、最小限にするにはどうすればいいのかを互いに量り、互いに悩み合っていかなければならない。

今やめたからといって、それでいいということでもない。

それによって生かされてきた、与えられた命ということを受け止めていくしかない。

この生命そのものが他の犠牲の上にあるというところに立てば、自分の正義に溺れることがいかに愚かで、傲慢で、自惚れでしかないかを認めないわけにはいかない。

正義には立つ、必ず。
その正義がたとえいいわけでしかなかったとしても。

そのあとが問題だ。

で、そんなことはいつも忘れて生きている。

昼食にお好み焼きを作って食べた。
久々に作るので、ちょっと贅沢に作ろうと、具材を奮発した。
冷凍の海老・小柱・イカ・アサリ
豚肉・アミエビ・干しイカ・青のり
キャベツ・ネギ
小麦粉・片栗粉・だし・卵
紅花油・ごま油

こんだけの具材、命を食した。

で、食べているときは、いつものごとく、なんも考えてない。
いや、美味い不味いくらいしか考えていない。

「うん!今日のお好みはできが良いぞ!硬さも好きな感じだし、味がいい。」

そんなことだけしか感じていない。

こんなことを「note」に記さなければ、この先も感じていなかった。
こんなことをはからずも書き出したため、
「あ!そう言えばさっきなんも感じてなかった!」
と気づけた。

命相当食ったなぁ、一食で。と、他人事で感じている。
感謝しなきゃ!なんて、ウソでも言えないわたし。
そんな感じで生きているいつも。

今、来客が有って、お相手をしていたら、雨が雪に変わっていた。

報告でした。

もとい。

こんな自分が、人には「命の大事」「どれだけの命に救われて今があるか量り知れない、そんだけ尊い命」とか言いながら、まったく己はそこに気づけていない、そんなわたしに正義があろうはずがない。

状況や、入った情報や、社会常識や、何やかやにその都度脅かされて、適当にやり過ごして生きているようなもんだ。

昨年の今日、自分でUPしたFacebookの記事を読んだ。
久々に朝の通勤時の電車に乗っている、えれぇ〜混み方だ、匂いがたまらんしマスク持ってくればよかった、暑いし蒸すし
なんてことを書いていた。
新型コロナ禍ヤバし!となる直前だからまったく危機感なし。
でもって、その翌日には、和歌山県新宮市まで研修で出掛けている。
そこから帰ってきて、だんだん「やばくね?」となり、その3ヶ月後にはマスクしないで公園を走っている人を睨みつけるような気分になっていたのを思い出す。
呼気、荒いんだし、マスクしろや!と、どうしても思ってしまう自分をたしなめて生きだしていた。

その反面、マスクをしてない人を蔑視するような他人の行動には、そりゃ違うだろ!とか憤ってもいた。

結局、自分のその時おかれた状況や気分でしかない。

いい勉強になっているね、この一年。

でも、ご存知のように、気分悪いと、文句があると、ここ「note」にも、facebookにも、Twitterにも、ぐちゃぐちゃ言いまくっている。

なんか、みなさん、けっこう、使い分けをちゃんとされているようで、
世相や政治やなんだかんだのモンクはTwitter
その日の行動日誌のようなものはfacebook
「note」には日記や感想文や物語のようなもの
と、こんな感じで。

でもできない。
ファイリングができないだらしない大人なもんで、そこら中に、その時開いていたり、たまたま目についたサイトに政治だろうがなんだろうが、書き込んでしまう😅

きほん、政治については、いいことして当り前だし、おかしいと思うところを見つけるような見方しかしてない、昔から。
こりゃ民主党政権の時も。
でもさ、この8年は、こちらから探しに行かなくても、もうお腹いっぱいだからいい加減にしてくれや、ってくらい次から次へとおかしなとこ出てくるし、国会答弁聞いててもおかしいどころか、可笑しいくらい質問に答えられないし、ひでぇもんだとは思う。

思わず正義に立っている自分がしょっちゅう見えて、報道の姿勢に対しても同じで、いよいよ正義の見方にならないようにするのが大変だったりする。

正義の見方であることに慣らされて、あやうく普段の生活でも正義に立ちがちな自分がいたりもするので、本当に気を付けにゃなぁ。

やっぱさ、カッコよく在りたいのよ、いつまで経っても。
いい見栄は持っていたいのさ、影で笑われていたとしてもさ。

正義ぶったり、大勢に組みしていきがっていたりするとさ、
「ダッセ!」
って、周りが言ってくれたからさ、昔。

ダサいのは嫌なんだな。

だから、一度は疑ってみる。

特に自分の考えや見方こそ、一度は疑ってみる。

若けりゃ、疑って、吟味した後に意見できたけど、今じゃ、その前に発表しちゃっていることが多いから、後付での疑いと吟味だけど、その癖は付けている。

難しく考える必要はない。
その時その状況と今は違うのだし。

だから、今更ながらだけど、間違っているなと感じたら、あまり難しく考えずに間違いを認めればいいだけのこと。

それがいよいよやりづらい社会になってきてはいるよね。
だからこそ、大事だと思うよ、気楽に間違いを認めるの。
気楽に謝るの。

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