真っ白な犬。。。
面白いわよねぇ、世の中って。
予想外の連続よね。
楽しむのではなくて、面白がることよ。
楽しむというのは客観的でしょう。
中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。
樹木希林
おもしろかった、と思えるのは、結果も含めて全部を受け入れる事ができたときに感じる感覚だと思う。
おちゃらけて、その場しのぎでのおふざけではなく、たとえ時にはそうして自分をごまかすことがあろうとも、そのごまかしによってより情けなく落ちてしまうという事実をも、悲しみも、苦しみも、全てを受け入れて、納得の行かない結果すらも受け入れる。
その連続かな。
もちろん、成功も、喜びも、快楽も、陶酔も、有頂天も、そうしたところで独りでよがっている自分の事実も受け入れる。
人生を通して、今の状態を大事にするってことなんかな、樹木希林さんのいいたいところは。
そんなふうに、わたしはこの言葉を受け止めている。
釈迦は、悩み、悲しんでいる人がその旨を告げて、どうしたらこんな辛い思いをしなければ済むようになる?と問われた時、
「喜びを捨てろ」
と言っている。
人間の快楽、喜びには必ず、悲しみ、苦しみがもれなく付いてくる。
同時に不安もおまけで付いてくる。
だから、まずはほしいと思っている、喜びや快楽を求めるのをやめなさい、ということだ。
別の機会には、
「財を持つものは財に悩まされる。子を持つものは子に悩まされる」
と言い、人間が必ず持つ執着心を言い当てている。
知識、愛、関係性、物質、状況、自分自身。
執着は人間が必ず持つものだ。
「わたしは欲がないんです」
とのたまわる人間ほど、物質や関係性なんかには執着はなさげだが、己への執着が強かったりする。
執着がない私に執着している。
つまり、悩みや悲しみはなくせないんだな。
だからこそ、それも全部ひっくるめて受け入れて、面白がるしかないのだろう。
今の社会情勢もムカつくし、政治家もハラタツし、SNSなどを駆使して弱者を叩いて面白がるヤカラ、自分の正義をかざして他者排斥をヒステリックに叫ぶ差別を認識できない差別者。
苛つくことがたっくさん!
そうした状況に置かれていることをも含めて、面白がる。
手を抜けばすぐ面白くなくなる。
それでもやる気がまったくでなくなって手を抜きまくって、自堕落に過ごす。
そんな情けない自分も含めて面白がる。
面白く生きるというのはしんどいかもしれない。
でも、どうせ生きるんだったら面白く行きていたい。
面白く生きるがいよいよわからなくなってきている。
理屈で考えるからだろうな。
楽しもうとしているんだな、それは。
面白いを楽しもうとするから、面白いが客観的でしか、他人事でしかなくなる。
自分の世界なんだよね、いまわたしが身を置いて、見て、聞いて、感じているものは。
けっして、誰か他の人の世界ではない。
こいつばかりは、まったく同じ景色、匂い、音色、感触はわたし以外の誰も感じられないんだ。
そんなおもろいことはない。