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「なんでって?わからない。」これが基本スタンスです。

私たちが「無限」という概念をもつことができるのを
なによりも素晴らしいことだと思っているんです。
たとえば科学が宇宙の大きさをどれほどだと解明したとしても、
私たちが「無限」の概念をもつことができる限りは、
それ以上に無限なのだと、
文字通り無限なのだと、信じたいのです。
大きい方へも小さい方へもです。

            まど・みちお


池袋に行ってきた。

ちょいと必要なものがあり、それを調達するために。

が、一番の目的はそのものよりも実は別にあったりする。

これは絶好のチャンスだ!
さっさと目的の品を手に入れ、デパ地下へGO!

予定はないが、何かしら美味しそうな、目を引く、胃を引く菓子があるかもと、お菓子売り場を一巡りし、その足で惣菜売り場へ。
あれやこれやを見てから、いよいよ本日のメインイベント、先日来ずっと食べたくなっていた彼奴を買いに。

まい泉の「ヒレかつサンド」

近くのスーパーでも時々駅弁フェアで売っていたりするのだが、自分が欲するタイミングと合わない。

デパ地下で見掛けても、
「この間までは食べたかったんだけどなぁ〜。もう冷めちまったぜ」

ってかんじだった。

まい泉の「ヒレかつサンド」を食べたのも何年かぶりだ。

近場で、思い立ったら簡単に買える、でないと、わたしの場合は何年も食べないで終わることも珍しくもない。
たまぁ〜〜〜にマクドナルドが食べたくなるが、石神井にはマクドナルドがない。
いや、あるのだが、遠い。
まぁ、そんなに遠くもないのだが、わざわざあそこまで買いに行く気にはなれないというのもあるし、あこのマクドナルドはムカつくので行きたくない。
ドライブスルーやら何やらで渋滞を起こす元凶だし、あんだけテメェの店が渋滞の元凶になってんのに、1人として交通係を置こうとしない。
ゆえに、あこでは絶対に買わない。
いまだに入ったこともない。
そんなんで、マクドナルドは10年以上食べていない。

米派の自分としては、「志乃田」のいなり寿司なんかは頻繁に食べたくなるし、そんなに思ってもいなかったけどたまたま店の前を通ったら食べたくなって買っちゃう、なんてことがあるので頻繁に食べられる。

あと、海苔弁「山登り」の弁当は、無性に食べたくなると、外出ついでにわざわざ東京駅や新橋まで行って、買って食べるくらいだ。
そういやぁ、イケセイでも売っていた、今日、「山登り」の海苔弁。
ただ、今日食べたいなぁという種類が売り切れていたのでパスしたんだけどね。

で、今日は、「ヒレかつサンド」のみ買って帰ってきて、遅めの昼食を終えた。

やっぱ、まい泉のヒレかつサンドはうまいなぁ〜、と、そんな幸せ気分の昼下がりだぜ。

甘みのあるソースとドトールのコーヒーがまた合うんだよなぁ〜。

なんで昨日ひたすら食べたかったのに、今日になったらそんなでもなくなるのだろう。
なんで食べたいもの、例えばカツサンドを別の店のとても美味しいものを食べたのに、より食べたいと思った店のカツサンドが恋しくなるんだろう。

て、こんなことをさ、脳科学的には、とか、生理現象として、とか、医学的には、とかで意味づけてもらいたくもないし、意味づけられたとしても、「ふ〜ん。」ってだけだ。

意味なんかいらないのよ。
時に、問に対しての答えなんかは必要がないこともあるのだな。
問そのもの、問うことが楽しいだけ、問うことで改めて幸せを確認するってことなんだな。

資本主義の社会ってもんは、なんでもかんでもそのものに付加価値ってものをつけたがる。
理由をつけたがる。

これはそんな社会で生きている以上は、気がつくとみんなやっていることだ。

そんなことすっからさもしい人間ばっかになったんだ。
クソツマラナイ人間になっちまったんだ、オレは。
理由なんていらねぇ!
美味い不味い、好き嫌い、欲しい欲しくない、それでいいんだ!

なんて考えていても、価値をつけずにはいられない、理由をつけずにはいられない、そんなのが資本主義で生きる、ヒューマニズムってやつで生きる人間のさもしさだな。

え?ヒューマニズムも?

って思われるかもだが、わたしには、ヒューマニズムってものは大事だが、いきつくとこは所詮は資本主義と同じでしか無い、ってめちゃくちゃな決めつけがあるんだな。
選びと、付加価値と、正義感と、偽善。
それを忘れたヒューマニズムはとてもいやらしく、嘘くさいものでしかない。

もとい。

何でもかんでも答えを欲しがる人間であるからこそ、時には答えのいらない問を持ってみる。
そうすると少しだけ、答え、正しさ、そんなもんから開放される。

で、オイラにとっては、好きなもの、食べたいもの、美味しいものを食っている時、食った時が一番そういう感じになれやすいんだな。

ま、ノウハウってのが一番性に合わないんだな、どうも。

言われたとおりにやるがどうしても、未だに好きになれない。
いや、やるけどね、必要な時は。

でも、やっぱ、成長してねぇんだなぁ。

「おまえ、そこ、どうして、オレの言うとおりでなくて、そんあふうにやったんだ?」
「なんとなく。こっちのほうが良いと思ったからです」
「もう一回やってみろ」
「はい」
「やっぱ、オレの言うとおりにやれ。やりたいことはわからないでもないが、できていないし、いまのお前じゃできないし、お前の色に合っていない」

昔、演出をしていたころ、こんなやり取りができている時って、めちゃくちゃ睨みつけて、険悪な雰囲気出しまくっていたりしたけど、実は凄く楽しくて、それを仕掛けてきた役者が愛おしくてしかたなかった。

理由なんて良いのよ、なんとなくで。

そんなふうに思っていた。

なかなかそうはいかないようになってきているけど、時には理由なんて知ったこっちゃねぇ〜、でありたい。
ますますそんな今日このごろ。

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