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時価寿司

知識というのは、増えれば増えるほど利口にならないで人間を愚かにしていく。
自分の知識でわかろうと固執するから、知恵が湧いてこないのです。

          小川一乗

寿司屋にひとりで入る勇気がない、未だに、いい歳して。

回転寿司や立ち食いずしでもできない。

もともと、寿司自体があまり好きではなかった、子供の頃からけっこう大人になるまで、美味しいとさほど思わなかった。
だから、食い意地が張りまくっていた頃でも、なにか食べるのに「寿司!」という選択肢は一切なかった。

40も過ぎて、少しだけ大人になって、人の意見を聞くゆとりがほんのちょっと芽生えだした頃から、
「お寿司がいいなぁ」
「いいよ。じゃ、今日は寿司くおうか」
なんて言葉が言えるようになった。

それから、自主的に「寿司が食いたい!」という気分が出るようになるまで10年位かかっている。

つまり、つい最近まで寿司はさほど好きではなかったのだ。

ゆえに、寿司屋は入れない、ひとりじゃ。
どうしても食べたいときはお持ち帰り。

そんなわたしが、はじめて友人と、ぶっちゃけて言うとその時の付き合っていた方と、寿司屋に行った。
そりゃ、宴会や連れられては幾度となく行っているが、プライベートでははじめて。
そこは、ちゃんと「時価」という張り紙があるお店だった。
だいたい、宴会のときは勝手に出てくるものをガッツイていればいいだけだし、連れられていったときは、「おまかせしますです」で連れて行ってくれた人の言う通り食べてただけだ。
自己主張をして寿司をどうやって頼めばいいのかが分からん。
それを悟られたくない、付き合い出したばかりの彼女だったし、見栄を張らないわけもない。

「何でも好きなもん頼みなよ。刺し身からにする?」
「ありがとう。じゃ、最初はなにか酢の物がいいな。なにができますか?」

この会話で、もうわたしは何も言えなくなるくらいの衝撃と頭を殴られたような目眩を覚えた。
す、す、寿司屋で、刺し身でもなく寿司でもなく、酢の物っすか。。。
こちとら、いつ頃から寿司を頼めば、何から頼めばいいのかしか考えてなかったのに。

「お吸い物できますか?あ、でもお味噌汁もいいしなぁ」

え?まだ、寿司どころか刺し身でもないのですか・・・。

もう、パニック状態!
気がつくとわたしは卑屈に隣で笑いながら
「じゃ、おれもそれ」
を繰り返していた。

くそ。街の中華屋やラーメン屋、蕎麦屋ならこんなことはないのに。

「わたしは今日はお寿司いっぱい食べたいからお刺身はいいかな。どうする?」

完全にペースを握られてしまった。

「お、おれは、タコのぶつ切りが食べたいな」

やぶれかぶれで、冗談のつもりの一言だった。

「はい、タコぶつですね」

え?あんの?(そりゃあるだろ😅)

「わ!おいしそう」
「めちゃくちゃ美味しいよ」
「食べていい?」
「もちろん。タコはやっぱブツが好きだな」

よし!これで形勢逆転まではいかないが、少しは取り戻せたぜ。

それからはもうアレヤコレヤ、タコぶつが通ったので肩の力も抜けて、思ったもんを適当に頼んだのを覚えている。

「時価」のふだなんて見ていなかった。

会計のときでも忘れていた。

「美味しかったね。でも、時価、こんなに頼んだのはじめてかも。ドキドキしちゃった😋」

その言葉で
「あ!そうだ!時価のヤバい店だった!」と気づいたのだが、ま、ちゃんと会計できたし、問題はないなと。
これ気づいていたら、食べながらもドキドキで、彼女が時価モノを頼む度に顔見ちゃったり、うつむいちゃったり、カッパ巻きとか頼んじゃったりしていたかもだ。

知らないって怖いけど、知らぬが仏とかもいうし、ま、あの時はあれで良かったんだろう。

ただ、その後、その寿司屋に行くときは、知ってしまったがために、ドキドキだった。

そういえば、その寿司屋で
「巻物が食べたいな。なんにしようかな」
とつぶやいた時に、
「うちのワサビ巻おいしいですよ」
と、店主が教えてくれた。
それが本当に美味しくて、そこに行くと、なにかというとワサビ巻を食べていた。

「わたし、大トロを炙ってもらおうかな。どうする?」
「オレはさっぱりしたいから、ワサビ巻」
「辛いの好きだもんね」

これで逃げれた。
もしかしたら、店主が逃げの一手のつもりで教えてくれたのかもしれないな、いま考えると。

その後も、いろいろなところで「ワサビ巻きの逃げの一手」は活躍してくれていた。
とくに、そこらを夜な夜な飲み歩いていた時期は。
腹イッパイでも、酔が深くても、「ワサビ巻き」ならいけた。
場をしらけさせないですんだ。

でも「時価」はやっぱ怖いよね。
それとかメニューのない店とか。

知りたいよね。

でも、知らないからおもしろいんだな、とも思う。

「愚者になりて往生す」という言葉がある。

「愚者」を目指すということだ。
賢くはなれるけど、愚者にはなれない。

もう、たとえドキドキもんで、勇気を振り絞って一人で寿司屋に入ったとしても、「タコぶつ」を頼むときのあのドキドキと高揚感は味わえないな、知っちゃったし、タコぶつ頼んでも、できるできないは別に、恥ずかしいことではないって知っちゃったし。

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