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脳天気な主役。
私たちは毎日、「私は」という主語を使いながら生きているが、そこにおのずと形成される自己への固執、それを「我執」という。
私たちは日頃、この身体は私の所有物であり、私の自由勝手にしていい、と決めこんで生きている。そこに形成されるのが「我所執」である。
私たちは「我執」「我所執」という執着によって生活をしている。
小川一乘
今日もわたしは朝起きたときからわたしの生活をしている。
目を覚ました瞬間からわたしの世界が始まっている。
何を思い、何を感じ、何をし、何をせず、何を話すのもすべてわたしだ。
わたし以外ではない。
目を覚ましてわたしが登場した刹那、わたしの生活であり、わたしの世界であり、わたしの舞台の幕が開ける。
床に就いて眠りについた瞬間、その幕は降りるのか、暗転になるのか。
夢を見て、その夢の中にわたしは間違いなくいるので、おそらく眠りにつこうがわたしの舞台は続いているのだろうが、その意識がないので、眠りについている時に眠りの中にいるという意識もないので、そこのところは難しすぎてわからないので、ここでは考えないことにする。
で、わたしは間違いなく、わたしの世界の主役でしかない。
その主役のわたしは、大根なときももあれば、天才的なときもあれば、重厚な時もあれば、渋い時もあれば、名優のときもある。
それを感じるのもわたしであり、わたしの勝手な思い違いであることがほとんどだ。
わたしはわたしの舞台を最高のものにしたいと必死だ。
で、わたしの舞台だとばっかり思っていたのに、わたしの舞台でなかったりすることを思い知らされる、突きつけられる。
わたしが主役の舞台なんだけど、わたしの舞台ではない。
誰の舞台でもない。
ええぇ〜?主役って何?
って、悩んでしまったりする。
主役を張るのは難しい。
主役は荷が重い。
プレッシャーが半端ない。
でも、
主役であることを覚悟すると、
主役は楽しい。
主役は楽ちん。
主役はお任せ状態、ストレスフリー、ってとこに立てるらしい。
主役たらん!としなくても、勝手に回りに主役として立たされている。
なんだ、この場を楽しめばいいだけじゃん!
そこまでいけたらめっけもんだ😁
役は降りることはできない。
わたしの代わりに主役を務めてくれる、主役の座に付くことができる人はいない。
それがわたしの舞台という人生。
今日という一場は、それなりに楽しませてもらえている、いまのところ。
明日は、わからん。
今日の暗転は、たぶん、22時過ぎころとみている。
暗転中の舞台袖だか楽屋だかでのごちゃごちゃは、たぶん目を覚ますと忘れている。
少なくとも、22時過ぎまで生きていると、明日、無事に目を覚ませると思っているのは間違いない。
我執・我所執のなせるわざだ。
わたしの舞台には終演の幕が降ろされることはない、と間違いなく思っているようだ、どうも。
脳天気な主役だぜ。