愛別離苦より怨憎会苦のほうが多いかも😅
喪失を警戒しすぎることによって、わたしたちは逆に喪失をまねいている。
愛する人を失わないようにするために人を愛さずに遠ざけていれば、そのこと自体がひとつの喪失になる。
エリザベス・キューブラー・ロス
人間は何かを失うことによって、存在の大事を学んでいる。
平和を失わないと、平和よりも争いのほうが、敵を作り出してでも戦うことのほうが大事だと思いこむ。
なんでもない、何もない日々が続くと、無駄に生きていると思いこむ。
そう考えると、人間が金に固執するのが少し分かる。
金は常に増えたり減ったりする。
まったくもって安定というものがない。
100万儲かったとしても、5万使ったら、減る。
95万になる。
いつも失う。日々失う。
とんでもない金持ちがケチなのも分かるきがする。
彼らには、増える金は見えず、減る金の方しか見えないのかもしれない。
100億持っている人間は1万円増えても何ともないのかも。
でも、水100円は確実に使うのだから分かる。
同じ100円使うにしても、プラス分が見える人間は、減るのは嫌だけど仕方ないよな、と思えるが、とんでもなくプラスにならないとプラスを感じられない人間にはただただ減っていく様しか見えないのかもしれない。
ま、とんでもない金持ちというものに成ったことがないのでわからんが😅
失恋というのはキツイもんだろうな。
他人事😅
なぜなら、失恋の経験はあるのだが、どうもそうした感情には疎いらしい。
どうもそのあたりが人間としての欠点のようだな、と、最近ようやくわかってきた。
一昨日「裏路地人生路」って記事の中では、喪失で空いた穴なは何か代用品では埋められない、なんて書いてはいるのだが、代用品で埋めまくってきたのが正直なところだ。
失恋した日に落ち込んで、「あぁ、みんなが言うとおりだ。なんもする気も起きないし、たしかに食欲も沸かないな」と一応思ったのだが、歩いていたら腹が空いて、メシを食ったら元気が出て、「なんだ、失恋で力が入らないと思っていたけど、腹減ってただけじゃん」と、メシに逃げることができた。
失恋をして、「今度の別れはキツイな」と落ち込んでみた次の日に、狙っていたかのように告白されて、大恋愛へ突入した。
時が経ち、その大恋愛にもそろそろ終わりがきそうだな、そんな時に新車を買って嬉しくて乗り回しているうちに、大恋愛には終止符が打たれていた。
そんなんばっか。
つまり、落ち込むのが、喪失感に打ちのめされるのが怖くて、「愛するのをやめる」ではなくて、新たな欲望を探すというのが逃げの手のようだ、わたしの。
なんか書いていて、ま、毎回なんだが、情けなくなってくるぜ、自分の人間性が😅
でも、やっぱ、一昨日の文章でも同じ。
今日も同じ。
誤魔化しは本当は効かない。
わたしのようにすぐ誤魔化して逃げるやつは、ほんとうの喜びも分らない。
ほんとうの喜びがわからないやつは、ほんとうの悲しみもわからない。
俯瞰的に言えば、せっかく人間として生まれたのにつまらない人生になる。
これ、悪いということではない。
わたしのように、それでいいならそれでいい。
敢えて「つまらない人生」と否定的に言ってはみたが、いや、これはこれで面白い人生よ、本当は。
ま、恋愛以外のところで、自分の好き勝手やっているから。
ただ、できればおすすめはしないと言うだけです。
ともかく、
愛別離苦(愛するものと必ず分かれねばならない)
怨憎会苦(生きる以上、気に入らないやつと会っていかねばならない)
人間である以上は避けられない。