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笑えないね、まだ。
年を取るというのはねえ、年寄り夫婦にとっては、本当に寂しい、寂しいものですね。
だけど、奇想天外にぼけるもんだから、楽しんでおるんですね。
ぼけたことをするのは、常識を超えた非常識。
とんちんかんなことをするのは、確かにさみしいマイナスなことです。
でも、それを笑うことによってマイナスをプラスにできる。
まど・みちお
間違ってはならない。
まど・みちおさんや相田みつをさんの言葉を、その通りだなぁ、そうしよう、なんて思ってはならない。
と、いつも言い聞かせている、自分自身に。
まどさんに関して言えば、詩人としての感受性あってのことであり、100歳を超えての境地であり、戦争やお子さんを亡くされたことなど、とんでもない悲しみや怒りや後悔を通しての言葉だ。
わたしができるわけがない。
こうありたいが、こうあることを大事にしたいが、そうあれない自分を見つめる言葉だ。
自分の常識からは抜け出せない。
そこから外れた事象も人間も、非常識を「非想天外だぁ〜」なんて笑えるような余裕はない。
今の社会をみても、笑い飛ばせるような状況ではない。
日本も核爆弾を装備するべきだ!なんて言い出す人も多くいる。
核兵器禁止条約への参加を拒絶する政府を応援する人もいる。
国会で嘘を言い続けた元首相。
質問に一切答えようとしないここ2代の首相。(ま、答えられないというのが正解だろうが。)
ま、確かに非常識で奇想天外だが、こんなのをわらえるわけもなく、これがいい!という有権者がとんでもな数いるこの国を笑って流すことなんてできない。
そんな世相のせいなのか、流されているためか、普段の生活でも笑えなくなっているな。←言い訳。
でもさ、たしかに笑えるように成りたいね、自分でしでかしたくだらないボケくらいは。
そう考えると、落語や漫才でも、テレビの番組でも、舞台なんかでも、ボケを突っ込む人って凄いよね。
こちらが気づかないボケを、一言で、間や雰囲気で気づかせて落とすって、凄いな、と思う。
ま、ボケられて、ツッコミを入れたのを聞いても、全くわからない、ついていけない事がだんだん増えてきたけど😅
以前にも書いたけど、昨日までは上まで登れた家の階段を、翌朝には一段も登れなくなって、「老いってすげぇな」ってその場で笑いこけてしまった、というお爺さん坊さんの話、また思い出した。
なれないよなぁ、そんなふうには。
老いを付きつ付けられたら、落ち込むのがせいぜいだ。
寂しい気持ちになって終わりだな。
でもさ、ときどき友人なんかと、できなくなったこと、衰えたこと自慢をして笑ってはいるよ、一緒に。
いつの間にかそうなっているな。
きっと、気づかないところで、そろそろ慣らしておけよ、って危険信号が発信されて、いよいよ何もできなくなったときように準備しているのかもね。
ともかく、社会は別として、もう少し自分とそこに触れ合う人たちとの間には笑い飛ばせる雰囲気を作りたいとおもう。
笑い飛ばすためには、いろいろなことを話しをして、互いにわかりあわにゃ駄目だな。
浅く、薄くの付き合いじゃ、笑えないし、なにか一点でも許せないとなったら、完全にその人間の存在を否定しかねない。
互いに笑える間柄を作れるか否か。
もっと互いに気を割って話せるように成れるかどうかに掛かっている。