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ならんようにはならん。

なるようになるということが
最大の真理である

          澤瀉久敬


なるようになるというのが最大の真理という裏には、ならぬようにはならんという真理もある。

思い通りなんて一切ないってことであり、答えを期待すんな、期待した答えが正解だと思うな、ってことだ。

じゃぁ、諦めて、やる気なくして、流されて生きろってことか!と言うかもしれんが、そういうことではない。

人事を尽くして天命を待つ!って生き方から目を覚ませということだ。

いかにもがんばりやさん、努力家のような生き方だが、やるだけやったという欺瞞と、結果は神仏に託す風に言っておきながら、結果が悪く出ると、神も仏もあったもんじゃねぇ、と、天命に託したくせに全く納得していない、なんとも諦めの悪い、結果しか見ていない、結果次第ですべての時間も経験も無駄にしてしまうような生き方だ。
そして、ここまでやったので、あとは天命さんにお任せっす、という人事尽くした風の、途中から人事を放棄する、実は人事尽くしていない、そんなあり方だ。
こんな風に書くと、「他力本願」か、て、思えると思う。
そう、いま、一般でいうとこの他力本願ってのは「人事を尽くして天命を待つ」っていかにもガンバリヤサン風なあり方をいうのだな。

天命に安んじて人事を尽くす。そう生きよう。

結果は、なるようになるし、ならんようにならんもんであり、ゆえに出た結果に右往左往する必要もなく、ただ今そこを目指して歩んいるそのことが尊いという生き方にしようってことだ。
人事をつくし終えることがないというあり方。
生きている以上、立てなくなろうが、歩けなくなろうが、起きれなくなろうが、人間として現役であるという在り方だ。
人事を生涯現役で尽くす在り方、これを「本願他力」「絶対他力」という。

答えは知らん。任せた。だから、答えは気にせんで、いまやるべきことをやる。
こうしたいなという風に思ったのと違う答えが出たとしても、ちょっとは落ち込むけど、いちいちやる気なくしてられんし、やれることはドシドシあるし、休んでられまっしぇ〜ん。

こんな風にあれということだな。

結果次第でやる気を無くすような生き方から、結果がどう出ようが常に今を大事と生きる生き方へ変えるほうが良い。

変えるほうが良い、ということは、もうおわかりのように、そうは言っても結果を求めて、結果に一喜一憂して、やる気なくしたりして、なるようになるでは困って、ならんようにはならんでは困る、我が思い通りでなくては納得がいかん、そんなところで生きているのが実情だ。

天命に安んじることができん。

てことは、ほんとうの意味での人事は尽くせていない。

できないからこそ、できていないからこそ、そうありたいなぁ、と元気をもらえる。

わたしの思慮分別、人間の思惑など関係なく、一切はなるようになる、その真理に安心できた時に、自分の在ること、自分のすること、自分の思考、全てに安心がもてるのかもしれない。

「なるようになる、ならんようにはならん」に本当に任せると
投げやりに生きられなくなるんだな。

こういう歌を聴くと、やる気が、元気が出るんだな。

よしだたくろう「人間なんて」(2分頃から)

かまやつひろし「どうにかなるさ」

植木等「だまって俺について来い」


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