連鎖した気づき②~心の奥のネガティブ。受け取り方の癖~
夢の内容を書き留めて、しばらくして、
先日の気づき、私は生きる為には泣く事と、自分が悲しいと思い泣ける状況が必要だと無意識に思い込んでいた事、(note記事 自分の中の制限に気づく事~当たり前のようになっていた事~)と、
早朝に見た夢の事を考えている時、
私は今まで、色々な出来事について、知らず知らず、自分が悲しむようなネガティブな物事の受け取り方をしてきていた事、そもそもの私の捉え方に偏りがあった事、に気づきました。
私が小学生の頃から、私が望む物事に対して父親の答えはいつもダメと、禁止、無許可ばかりでした。
何かをやりたいと話しても、父親の態度が揺らぐ事は無く、父親の価値観に合わない事は、何を何度頼んでも自分の思いは叶わない、
きっとまた叶わない、どうせ無理、ほらやっぱり期待してもダメだった、と、そういう気持ちを何度も何度も味わいました。(note記事'私の過去'②)
その為、いつの間にか無意識に、私は何かを望んだってどうせ無理、と思うのが癖になっていったようです。
本当は、いろんな事を経験したいけれど、父親が制限するから何も出来ない。
言ってもダメ、きっと叶わない。
望んだらダメ、望んでも叶わない。また心が傷付いてしまう。
どうせ無理だから、最初から望まないほうがいい。
ほらやっぱり無理だった、と、その都度失望して落胆しないように、
何回も何回も心が傷付き痛まないように、その時心を守る為に、薄いベールで私は私の心を大事に包んだと思います。
いつの間にか自分では、自分のそのベール、思考の癖、に気づかない、無意識にネガティブな捉え方をしている事、自分がそう捉えていると気づかない、当たり前の癖、捉え方をする、そういう自分になってしまったんだと思います。
私は社会人になってから、自分の事を基本前向き、基本ポジティブだと、疑う事無く思っていました。父親の支配下から離れた事もあり、禁止や制限される環境から離れて、自由に、何でも自分の力で頑張れると、精一杯、頑張らねばと思っていました。
それは、深層心理での私の本当の捉え方はネガティブだったから、自分でポジティブに思おう思おうとしていたのかもしれない。
(どうせ無理、をネガティブな捉え方だとして)
私は気づかずに実はネガティブだったから、何とか前向きに、強く、頑張ろうと意識して生きていた。
深層心理ではネガティブな私だったから、前向きに前向きにと意識して、辛い事があっても、泣いてそして涙を拭いて頑張ると、そういう生き方だった、そんなふうに生きてしまっていた、と思いました。
成長過程で身に着けてしまっていた思考と生き方の癖が、無意識にそうしてしまう、過剰な頑張り方に拍車をかけました。
良い面もあったと思います。実際に頑張れた時期もありましたし、そうやって色々な事を乗り越えられて来た事も事実でした。
でも、意識して頑張って、頑張り過ぎてのポジティブは、ポジティブなんだけれども結局、私自身は、 '私の中のネガティブを隠してのポジティブ' だった。
私の、頑張り過ぎは、私の心の奥深くにあった 'ネガティブをひた隠しにする為の無理してのポジティブ' だったんだ、と気づきました。
先日の、心の薄いベールが1枚めくれた事で、連鎖してこの事に気づけたように思いました。
ポジティブとネガティブは、表裏一体でした。
ポジティブがあったから、ネガティブに気づけました。ネガティブな心理があったお陰で、ポジティブに頑張れました。
でも、そのネガティブ(体験や感情)を否定したり認めないままでポジティブに振る舞うのでは無くて、ネガティブをしっかり受け入れて認めて味わってからのポジティブ(な思考や言動)へ、という事が、大事だったんだと思いました。
そして、もうそのどちらにも偏らない、ポジティブとネガティブのちょうど良い中間、ニュートラルでバランスを保って生きられたらいいんだろうな...と思いました。望んでも期待しない、叶わなくても失望しない、ちょうど良い気持ち、心持ちのバランスです。
私は、今まで経験した出来事に対して、私の解釈、私の受け取り方をして来ました。
私の物事の捉え方の癖で、ネガティブな受け取り方、涙する解釈の方向でした。自分の思い込みで、自分が悲しむような捉え方をしていました。
でもその受け取り方は変わるかも、と思いました。
そもそも涙する解釈をしなくてもいいんだ、と思いました。
その解釈が、正解か不正解かは関係なく。
今の私にとって、これからの私にとって、生き方は、心地よく生きていこうと決めました。
心地よく生きていいんだとわかった今、もう頑張らずに生きていいんだとわかった今、頑張る為に泣かなくてもよくなって、泣く為の物事の受け取り方をしなくてもよくなりました。
自分が悲しむようにネガティブに物事を受け取らなくてもよくなりました。私の物事の受け取り方が変わる気がします。
長年の癖、たぶん私の深い部分が変わる、と思える気づきでした。
もう生きる為に悲しまなくていい。
生きる為に笑顔になっていい。
そう思ったら、心がわくわくする事に繋がる気がしました。
そしてそのわくわくに、執着しないこと。強く願う事もしません。心を楽に、静かにわくわく。物事はなるようになる。信じて委ねて、そして、きっと、いつかうまくいくのかもしれない。うまくいかないのかもしれない。そのどちらでも、きっと幸せに繋がっている。
自分の物事の捉え方、解釈で、気持ちが変わってくるものなんだ...と、実感しています。
物事の受け取り方も、自分の中の制限でした。私自身が、私にしていた制限でした。
気づきは更に連鎖しました。
お読み頂き、ありがとうございました。
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