『嫌われる勇気』
読み終わるまで、時間がかかりました。
難解だったからではなく、むしろ非常に面白く、そのあまりの面白さゆえに読むエネルギーを要したので、休み休み読んでいたら時間がかかっていた、という感じです。
幸せとは何か。自由とは何か。普通とは何か。
これら3つを考えることは、私が日々生きる中でぼんやりと、しかし常に頭の片隅に置いている”課題”です。
この超ベストセラー本をそういえば読んでいないなぁと思って数年が経過していたわけですが、いざ読んでみて、この3つの”課題”を持ち続けている私のセンスって案外悪くないのかも、と感じたりしました。
アドラー心理学が大切にしているのが、「普通であることの勇気」という言葉です。
「普通であることの勇気」を持つにはまず、自己受容、すなわちありのままの自分を受け入れることが第一歩であるといいます。
自己受容は自己肯定とは異なり、「できる自分」にのみ焦点を当てるのが自己肯定、「できない自分」にも焦点を当てるのが自己受容です。100点満点の人間などいない、肯定的なあきらめ、という表現もされています。
日本人は自己肯定感が低いといわれているし、私自身も自分に向かって自己肯定感を持てと叫んできましたが、必要なのは自己肯定ではなく、自己受容だった。
「できない自分」に目を向けるのは怖いものです。そういう意味で、これは「勇気」の問題である。能力の問題ではない。
さらに、
人生とは、連続する刹那なのです。(中略)
われわれは「いま、ここ」にしか生きることができない。
「いま、ここ」というワードは、音大生時代によく師匠に言われていた言葉でもあり、個人的に親近感があります。
先のことを考えずに、今この瞬間のための音を鳴らせ。
今この瞬間を、真剣に丁寧に。
これらを踏まえた上で、アドラー心理学における人生観はこうです。
・一般的な人生の意味はない
・人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものである
すなわち、意味のない人生に自分が意味を与える「勇気」が人生に幸せをもたらす。
タイトルは『嫌われる勇気』だし、主に扱われているのは対人関係についてなのですが、私はこっちの「勇気」の必要性の方が、心にずしりと響きました。
最後に。私の3つの”課題”に最近、愛とは何か、が加わりつつあります。
アドラー心理学のいう愛について引用して、終わりとします。
人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。
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