『月の沙漠の曽我兄弟(エピローグ)』
〈前回のあらすじ〉
人事課の応接室に呼び出された曽我純一は、取締役の工藤から伊東パッケージのデータを閲覧したことについて問責を受けた。
そばには工藤と伊東パッケージの関係や純一と伊東パッケージの繋がりを知っている畠山がいたのだが、なかなか助け舟を出してはくれなかった。
やがて、畠山がテレビを点けると、そこで源田印刷の記者会見が始まり、工藤の悪行が世にさらされた。
エピローグ:金と銀の甕
その後、源田社長は取締役の工藤祐介を解任し、同時に懲戒免職の処分を下した。多額の退職金は水の泡と消え、弁護士を通して、横領した金の返済も求められた。
経理部長の梶原景一は横領に加担したことを自ら告白したことで解雇は免れたものの、降格のうえ減給となった。加えて社長である源田頼一も三ヶ月分の給与を辞退することで社の混乱を収めた。そして、自ら小田原に住む三郎の妻のもとを訪れ、工藤の悪事を詫び、社に残された三郎の子息を守ることを固く約束した。源田も工藤の暴挙を知りながら、社員と株主を守るために悩み続けていたのだと、河津三郎の墓前で白状した。
小説家の和田義男は、梶原の助力を得て書き上げたルポルタージュを北条出版から世に送り出した。そのおかげで、源田印刷の横領事件の陰に埋もれてしまいそうになっていた伊東パッケージと河津三郎の存在を、世に知らしめてくれた。工藤によって抹消されそうになった三郎の作品群は、横田の尽力もあり、社内に留まらず、印刷業界で再評価されることとなった。
南フランスの田園地帯を彷彿とさせる庭園では、ささやかな噴水が陽光に向かって水飛沫を上げていた。その水飛沫は光を反射させ、まるで空中に無数のダイヤモンドを撒いたように輝いた。木々の隙間からは穏やかな相模の海を望むことができた。
真鶴半島の高台にあるレストランの庭園では、こじんまりとした、しかし和やかで温かい結婚式が営まれていた。上座に立った純一は、傍らで司会進行をしていた同期の横田からマイクを手渡された。
純一は庭園に集まった面々を見渡した後、大きく深呼吸をした。そして、隣で真白なウェディングドレスを纏っている小柴虎子を見下ろし、やさしく微笑んだ。
「お気づきの方もいたかもしれませんが、このテーブルの末席には、一つだけ空いた席があります」
純一がそういうと、源田や北条、畠山や佐々木、和田をも含む参列者のほとんどが、その席を振り返った。視線の先で、純一の母が慎ましく頭を下げた。
「そこには、父、三郎がいます。そうです、今も座っています。すみません、これ、決して怖い話ではないんですよ」
純一はわざと声を低くして、彼らを脅かした。会場に和やかな笑い声が沸いた。
「父が亡くなって、僕も、弟も家を出て、家族は離ればなれになりました。恥ずかしながら、つい最近まで、僕は弟の大吾がどこで何をしていたのか、全く知りませんでした。それでもこうして再び出会えたのは、やはり父が導いてくれたんじゃないかと思うんです」
そういって、純一は義父の曾我信也と並んだ母の隣にある空席をやさしく見つめた。
「僕は生涯の伴侶となった虎子と共に小田原に戻り、継父さんの印刷会社を継ごうと思います。そして、かつて父が作り上げた伊東パッケージに負けない立派な会社に育てたいと思います。本日は本当にありがとうございました」
そう言ってマイクを下ろすと、純一と虎子は、深く長いおじぎをした。庭園に割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
頭を上げると、末席にいたはずの大吾が、いつの間にか純一の傍らに立っていた。
二人は和田邸の前でそうしたように互いを見つめ、そしてどちらからともなく強く抱きしめ合った。
ただ、あの時のように、二人は泣いていなかった。どちらも、希望に満ちた笑顔で、眩しいほどの輝きを放っていた。
駱駝の鞍に結んだ金と銀の甕が月に照らされ、未来を謳歌する輝きを放ったように。
『月の沙漠の曽我兄弟』了
〈あらすじ〉
祖父が興し、父が受け継いだ伊東パッケージの技術とデータを盗んで大手印刷の源田印刷へ寝返ったのは祖父のいとこである工藤だった。父は顧客を奪われ、経営難になった会社を立て直そうと奔走したが、力尽き、息絶えてしまった。残された二人の子、純一と大吾はやがて大きくなったら、祖父を裏切り、父を死に追いやった工藤への復習をしようと夕焼けの空に誓ったのだった。
曽我兄弟の仇討ちを描いた曽我物語の現代版。登場する人名や相関は、史実に則っている。
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