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『栗ご飯』はなぜ幸せか “無駄”はわたしの心を救う

土鍋を火にかけて10分、ふたを開けて恐る恐る確認した中身に不穏な空気を感じた。

「あれ…失敗したかな…」

ああ、お米2合と298円の栗が無駄になる(あとここまでの45分も)。
とりあえず見なかったことにしてふたをする。さらに3分火にかけて10分蒸らしたら、ベチャベチャだった栗ご飯はきれいに炊き上がっていた。

米を研いで、水に浸して30分。栗と混ぜて土鍋に入れたら中火で5分くらい。沸騰したら弱火にして10分、火を止めて10分蒸らして出来上がり。炊飯器の5倍くらいかかる手間と、炊き上がるまでのスリル。これが、栗ご飯がわたしに与えてくれる幸せだ。

『丁寧に暮らす』って言葉、もう時代遅れかな。
引っ越し当初は憧れた時期もあったけど、なんとなーく部屋がキレイで(隅っこの埃は見ないふり)、なんとなーく野菜が入ったご飯を用意できれば及第点。それでも時々むしょーに手間と時間がかかることをしたくなる。

衣装ケースの奥に丸まっているタイツの山を整理してみたり、前の住人が残した強力な風呂カビをこすってみたり、洗濯機をオキシクリーン漬けにしてみたり。土鍋でお米を炊くのもそのひとつ。意外とこれが私の心に平穏をくれたりする。

「よーし、きょうはやってやったぞ!」
自分だけが納得できる達成感。結局タイツは2日後にはぐちゃぐちゃになるし、カビもこすったところで消えやしない。せっかくオキシクリーンに漬けたのに洗濯槽は思ったよりもゴミがでないし、栗ご飯だって炊飯器で炊けば作業時間は10分もかからない。

出来上がった栗ご飯を保存容器に分けて、1食分はいまから食べるお昼ごはんに。食卓に着くころにはとっくに14時を回っていたけど、つやつやの黄色い栗と、ちょっと味の付いた薄茶のご飯、なべ底のお焦げは言わずもがな。半日かけた“無駄”な作業が、何もない休日の満足度を爆上げしてくれた。

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