【挑戦する先生インタビュー vol.4】 “誰も救わない先生” 生徒を信じ、生徒に寄り添う 川島先生
今回は、新渡戸文化中学校・高等学校 川島先生にインタビューをしてきました!!
ーー最初に簡単に自己紹介をお願いいたします!
これまでを振り返ると、「普通ってなんだろう」「それぞれの在り方があるのかも」と感じられるような機会に恵まれていたと感じています。
教育に興味を持ち始めたのは、小学校高学年くらいからです。隣のクラスで学級崩壊があったのですが、自分は毎日を楽しく過ごしていて。
「なんで私は楽しく過ごせているのだろう」って、そこから「クラスの先生は何をしているのだろう」と観察を始め教育大学に進みました。
その後京都で、仏像修復の現場に8年程関わる機会をいただき、沢山の景色を見て多様な大人に囲まれて過ごしていたのですが、20代後半になり「自分は何(なに)で生きていくのか」と問うたとき、一旦ちゃんと教育に携わったほうがいいのかなと思い、横浜の公立中学校で6年間勤めました。
その後自分なりに考え一旦学校現場から離れようと決断したのですが、そこから不思議なご縁をいただいて、今は新渡戸文化中学校・高等学校に勤めています。
現在は主に中学校に関わっていて美術の授業を担当させていただいています。
ーー貴校は、学校改革を数年前からされているかと思いますが、学校としての特色を教えていただけますか?
私たちの教育の最上位目標は「ハピネスクリエイター」、自律型学習者の育成です。
自分や周りの誰か・社会の幸せをつくる。そのために自分をコントロールしながら他者と関わり、学び続ける力が必要だと考えています。
この目標を実現するための環境として、特徴的なものがいくつかあります。
例えば、チーム担任制と毎学期のクラス替えという環境です。
チーム担任制は、教員側から見ると、それぞれの強みを活かしながら連携・補完するような仕組みです。
生徒側から見ると、困ったとき、努力したいとき、選択肢があることで伴走者を選べることもそうですが、そもそも「選択する=自己決定する、機会があること」は学びの過程に重要なんだなと感じています。
毎学期のクラス替えは、固定された人間関係で生じる比較や問題を緩め、流動的な環境をつくることや、多様な人と目的を共有し対話することを大切に、中学校全体が生徒のホーム・居場所となることを意識しています。
このような特徴的な環境を浸透させていくのは簡単ではないですが、「うまくいく」が前提ではなく、進めていきながら整えています。
進めていくと、自分が固定していた枠が外れる瞬間、新たな視点を得る瞬間が子どもたちや大人にもそれぞれあるのですが、そういうものを掴んでいくのは、子どもたちの方が大人より断然早かったりするので、いつも感心しています。
ーー川島先生ご自身がされてきたこととか、最近されていることについて、教えていただけますか?
うちの学校では、自己決定の場が多いことがすごく面白いと感じています。
生徒たちが変容していく様子を見ると、この子たちが将来作り上げていく社会や世界ってどんなものになるんだろう、と楽しみになる瞬間がよくあります。
私たちの学校には中間期末試験はなく、授業の始まりに”エンゲージ”という「この授業で何を学ぶのか」「授業を経てどんな力を身につけたいか」などの問いを投げかけて、生徒がその問いについて多様な表現でアウトプットテストにて形にする、というサイクルがあります。
この期間で、生徒がもともと持つ力や創造的な発想などが生まれる場面をいろいろ見られて、私自身新たな気づきを得るというか、子どもたちの可能性を再認識する機会になっています。
そういう意味では生徒への関わりかたとして、正解があるものではなく、正解がないものに目を向けるきっかけを大切にしています。
また評価に関して言えば、”評価基準”を生徒と一緒に作成することを、もっと丁寧に行いたいと考えています。
ーー生徒と一緒に評価を作る、というのはすごく大変そうなイメージですが、いかがでしょうか?
「この授業を通してどのような状態になりたいか」「どのような視点で考えると良いか」といった対話を大切にしていきたいです。
というのも、ある年から「先生、ここは何色を塗ればいいですか?」という質問が急に増えた感覚があり、これは社会的に深刻な問題が起きていると感じました。
正解を求め、自己表現や好奇心よりも求められることに応えることを、優先させるこどもたちが増えたように思えたのです。
これは、私たち大人の関わりかたについて見直す必要があるのではないかと感じています。
例えば、生徒が教室に入れない・うまく話せない・話し合いが進まないといった場面では、「こうしたら良い」と指示するのではなく、「今、どういう状態?どうなりたい?」と問いかけるようにしています。
これにより、生徒自身が自分の現在地を把握することが大切だと思っています。
生徒が自分の現在地と目指す未来を描いたときに、「私たちに手伝えることはある?」と尋ねるようにして、その結果「今、気持ちが高ぶっているので、クールダウンできる場所があると嬉しい」とか、「もう少ししたら教室に入れそうなので、もう少し廊下にいさせてください」といった声が出てくるようになります。
教員が「こうしなさい」と指示するのではなく、選択肢を提供しつつも、それが全てではなく、生徒自身が新たな選択肢を見出すこともあるので、教員は生徒を信じ、生徒自身が自分の現状を理解しどうなりたいか考えて、そのための方法を選んでいく、ということを大切にできたらと思っています。
ただ、彼らの希望を全部叶えてあげる、というようなものではなく、先生にも「できること・できないこと」があることは伝えて、対話することもあります。
自分たちの環境を自分たちでつくるということを、生徒たちと試行錯誤を重ね、面白がりながらやっています。
ーーご自身をどんな先生だと思いますか?
私は「先生」って呼ばれることに慣れなくて。
先生である前に一人の人間で、生徒の皆より優れてるわけでもないし、うまくできないことも沢山あるって考えた時に、「先生」って呼ばれると振り向くのをためらう自分がいるのが正直なところです。
以前、珍しく東京で雪が降って、中庭に雪が積もった時に、生徒が勝手に雪玉を作って投げ始めて、それを見ていて思ったのですが、雪合戦する時って、雪玉をどれぐらいの硬さ・大きさで固めて、どの角度でどれぐらいの力で投げると良いみたいな、「これが正解」みたいな雪合戦ってないなって。
好奇心の中から勝手に学んでいく。そしてやっていくうちに「これだとダメだ」とか、「こうしたらいいんじゃないか」って、工夫していく。
その景色を見て、私はこれを見ていたいんだなって思いました。
その人が本来持っているものを、世の中で解き放ってほしい。その過程に寄り添いたいし、学校という場に限らず、そういった場に関わっていきたいなと思います。
またある先生からは、「誰も救わない先生」と言われて、それが凄くしっくりきました。
何か話したいなって思う人が私に寄ってきて、話してるうちに自分で何か思いあたって、ありがとうございましたって、去っていく。そういう壁打ちみたいな意味で、「誰も救わない先生」。
また、今回インタビューを受けるにあたり、私なんかが話せることあるのかなぁと考えていたとき、生徒にも相談してみたのです。
そしたらその子は、「みんな何かをあたりまえにもっていて、その組み合わせとか強弱で、その人って決まっている気がするから、何か特別なことがある必要はなくて、あたりまえのものの中に、その人らしさがあるんじゃないか」って言ってくれて。
それで肩肘張らなくて良いんだって思えました。生徒から救われることが、沢山あります。
川島先生ならではの生徒との向き合い方・大切にしたいことを伺えて、大変学びになりました!ありがとうございました。
(※内容はすべてインタビュー時、2023年12月時点のものです。)