生と、物語と、祈り。「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」
東京国立博物館で開催中の展覧会「内藤礼 生まれておいで 生きておいで」へ行ってきました。
東博は久しぶりの来館で、調べてみたら10年以上前でした。そんなに経っていたのか…!
✒︎ 展覧会について
150年の歴史をもつ東京国立博物館の収蔵品、その建築空間と作家、内藤礼さんとの出会いから始まったという今回の展覧会。内藤さんは縄文時代の土製品に自らの創造と重なる人間のこころを見出し、空間作品に取り入れられています。
作家、内藤礼(ないとう れい)さんは広島県出身、現在東京を拠点に活動されている美術家です。「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」をテーマに作品を制作。内藤さんの作品において「生と死」は分別できないものとして問われており、光、空気、水、重力といった自然がもたらす事象を通して「地上の生の光景」を見出す空間作品を生み出されています。
展覧会は
①平成館企画展示室
②本館特別5室
③本館1階ラウンジ
の3会場から構成されています。常設スペースの間に設営されていて、会場同士が離れているので移動が少し大変 (方向音痴は迷う) でしたが、本展1,500円のチケットで膨大な常設展示も観ながら回れるのでかなりお得です。
本展の作品は撮影不可だったのでメモ文と図でお送りします。
✒︎ 第1会場 平成館企画展示室
薄暗く、横に長く広い展示室。小さ目の、カラフルなモコモコのボールや白い風船がテグスで吊り下げられていて、宇宙空間を彷彿とさせる。ガラス内の展示スペースには、厚めの白いフェルト生地のような布が敷かれており、木の枝、小石、白いタイル、丸い玉や鏡がポツリ、ポツリと間隔を開けて鎮座している。展示室内にはベンチが設置されており、座りながら空間に浸ることができる。
✒︎ 第2会場 本館特別5室
" 自然光 に照らし出される展示室では、かつて太陽とともにあった生と死、人と動植物、人と自然のあわいに起こる親密な協和を、そっと浮かび上がらせます " (博物館公式文より)
自然光のみが左右の細長い窓から注ぐ部屋。天井から雨粒を思わせる小振りなガラス玉(所々に小さな白い原石も混じっている)がテグスで吊り下げられている。壁はというと、左右には水彩画の試し塗りのような、色が点々と乗った画用紙が横並びに貼られており、正面には銀テープが扉を挟んでそれぞれ一本、横に貼られている。床には白く丸い玉や骨片、土器などがそれぞれ入った、小さめのガラスケースが8つほど置かれ、その上には小石や木の枝、小さな木材、モコモコのボール、ビーズの入った小瓶などが置かれていたり置かれていなかったりする。細長く伸びる2メートルくらいの細長い木の棒が一本設置されており、空間のアシンメトリーを強調するポイントとして存在感を放っている。来館者は部屋の中央にひとつと、後方の壁際に横長に置かれた木の台座に座ったり、寝転んだりして展示を一望できる。室内の展示品と一体になる感覚がある。
ちなみに、この本館特別5室は長年閉ざされていた部屋で、入ることができるのはかなりレアだそう。
✒︎ 第3会場 本館1階ラウンジ
作品は撮影禁止ですが、風景として撮る分にはOKとのことでした。
部屋の中央に置かれた、神秘的な空気感を放つ瓶。
ソファが置いてあるので、外の風景越しに休憩しながらゆっくり鑑賞できます。
✒︎︎ あとがき
本展は3室構成のため、規模自体は大きくはありませんが、空間美術としてとても見応えがありました。日本最古の東博ならではの空気感と相まって、日常と隣り合っていながら時間の外側にいるというか…。自然光に照らされているので時間帯によって表情が違って来るのもいいですよね。1日中いられるかも。
それと後から気づいたのですが…これ、来場者も展示の一部になっているんですね。第2会場の座って展示を見られるように敷いてあった台座なんて顕著で、実は自分たちも展示の一部になっていたんだ…!所々置かれた鏡も、映った自分が展示の一部に…なるほど…!!展示空間にいて、どこか受け入れられているような、落ち着く感じがあったのはそういうことだったんですね。土器や骨片、毛玉とか「死」サイドの存在もどこか温かく鼓動を感じた。これはつまり "「生と死」は分別できないもの " という内藤さんの作品テーマをそのまま感じ取れたのだと、そう思えて嬉しかったです。
✒︎ 開催概要
●会期
6月25日(火)~9月23日(月・休)
●会場
東京国立博物館 平成館企画展示室、本館特別5室、本館1階ラウンジ
●開館時間
9時30分~17時00分
(入館は閉館の30分前まで)