『エフェソス、パトモス島への旅④ ~旅程変更の危機!!~』
■パトモス島の朝散歩
旅に出ると必ずといっていいほど夜明け前に目を覚まします。
どうもゆったり過ごすという旅が苦手のようで、今日もまだ暗いうち目が覚めたので外に出たくなりました。黙示録の洞窟がある山からスカラの港の湾を挟んで反対側にも山があり、そこに大きな十字架のある教会があります。そこなら日の出が見えるかもしれないので行ってみることにしました。
観光としては特にみるべきものはなく山のあたりは昨日、ホテルの裏側で見たような荒野が広がるばかりです。途中、小さな可愛い教会もあるので散歩にはいいです。
ここのポイント、教会の裏庭で開いていたので声かけて入ってきたのですが、教会には誰もおられませんでした。わずかですが献金して静かに退出してきました。
途中、大きな金づちの音がしてきました。こんな朝早くから何だろうと覗いてみると、地元の石材会社なのか石を叩いて建築材に整形しているようでした。地質学に詳しくないのでわかりませんが、ここは火山島なので加工していたのは黒っぽいので玄武岩(間違っていたらゴメンナサイ)ではないかと思います。ヨハネの流刑の伝承で大理石の採掘をやらされていたというものがありますが、大理石は石灰岩が長い時間かけて圧力を加えられて再結晶化して生成されるものなのでパトモス島で採掘されることはなく誤りだと思います。
いかにも頑固そうな面々でしたが声をかけると気持ちよく手を振ってくれました。こういうところが見られるのは面白いです。
私たちが泊まったホテルは港の通りから階段を少し昇ったところにあるのですが、散歩から帰った時に何かあることに気づきました。小さな教会があるのは知っていたのですが教会はあちこちにあるので出かける時にいつも素通りして気にもしていませんでした。観光ガイドにもたぶん、紹介されていないんじゃないかと思います。
実はこの教会、ヨハネがこの島にいた時に島の人に洗礼を授けていた場所だとされています。何気にあったギリシャ語の説明をGoogle画像翻訳で調べてそれだとわかりました。
ホテルに戻るとすでに朝食がテラスに準備されていました。昨日の反省を踏まえて食べられるだけを意識して頼みました。でも、ホテルのWebサイト見てみてください。パンなどが自家製らしくておいしそうなんです。つい、欲張りたくなる私の気持ちが理解していただけると思います。
あっという間のパトモス滞在でしたが、十分に見て歩くことができて満足でした。クルーズで立ち寄るのもいいかもしれませんが数時間ではやっぱりもったいない気がします。
■パトモス島に思うこと
あくまで個人的な所感ですが正直に感じたことを書いておきます。ヨハネが黙示録の中でパトモス島にいたことを明言していますので、流刑になったという伝承は地形や歴史からみて確かなような気がします。
そこからヨハネの時代に流刑地としての港がどこにあったか考えてみました。パトモス島は複雑な地形なのでいくつか港になりそうな場所があります。周辺は風が強く波も洗いので港にするにはできるだけ入り込んだ湾であることが重要だと思います。下図の赤丸のあたりなら港として使える可能性があるのかなと素人ながらに考えてみました。
港は維持するのに海底の掘削がある程度、必要になりますのでGoogleで海岸線をひととおり見てみましたがスカラの港意外に人工的に深く掘削された跡は無さそうでした。衛星写真での確認でしかないことと時間経過を考えるとわかりませんが、やっぱりスカラあたりが港として最適なのではないかと思います。そうなるとヨハネ時代の港はがスカラの最奥の場所だった可能性が高いのではないかと考えます。
あと、島で最も大切だと思われる水源についてですが、ネットでいくら探しても情報がありませんでした。衛星写真を見ると降水量の少なさもあって山に水が流れる際のワジ(涸れ川)の跡が少ないと思います。降った雨は地下水として乾いた大地に浸透しているようです。ヨハネ修道院にも井戸があったので地下水に頼っていたのだとと思います。どこでも浅い地下水(第1帯水層)が見つかるとは考え難く、昔からの住居地区が井戸を放置して移動するようなことはまずないと考えます。そういう点からもやっぱり古代からスカラ地区あたりが人の住んだエリアだったように思います。
ちなみにタツノオトシゴの目に見える部分は島で唯一のダムです。
そして黙示録の洞窟なのですが、開口部が大きく奥行きもないので果たして風の強いパトモス島で何かを書き留めることができたのか個人的には正直、疑問に思います。現在は木々に囲まれていますが当時は木などなく山の中腹ですから、海から山を登る風が吹き込んだのではないかと思ってしまいました。
それに、その山頂にアルテミスの祭壇か何かがあったことは考古学の調査でわかっていますので、そんな山の中腹に神さまがヨハネを呼ぶのだろうかと少し引っ掛かる部分があるのです。
勝手な私の思いなので本当のところはどうなのかわかりません。
ただ、パトモス島のスカラの街あたりにヨハネがいたという可能性は非常に高いのではないかと思い、パトモスの荒野を歩くヨハネを想像しました。
■スカラの街で買ったもの
今日、パトモス島を立たなければなりません。ホテルで荷造りを終えてチェックアウト、港まで車で送っていただきました。コス島へ戻るフェリーの時間まで少しあるので、買い物しに行きます。スカラの街でひょっとしたら唯一じゃないかと思う小さな本屋があるんですが、私たちが通るといつも店がしまっていて、シーズンオフで閉めちゃったのかと思っていたのですが、シエスタで昼の時間が閉めていただけのようでした。
修道院の礼拝堂と黙示録の洞窟の内部が撮影禁止だったので、ちゃんとした写真が載っている本を買おうと思ったのです。
地元のオジサンたちに交じってカフェに入りパトモス島で撮った写真を見ながら回想しているところです。ここまではよかった。
■致命的なミス
フェリーの時間は13:15、乗り場に人が集まり始めていました。風が強く波が荒いとよく遅れ、場合によっては欠航となることもあるので、天気と風の情報は常にチェックしていました。風が強いので若干の心配はありましたが、ほどなくフェリーがやってくるのが見えて安心しました。
時刻は12:55、少し早いなと思いましたが、こういうこともあるんだろうなと特に気にもせず船に乗りチケットを船員に見せて、大きな荷物は行き先別の収容スペースに置きます。私たちも大きいものをコス島行きスペースに置きました。
船はまた路線バスのようにすぐ出発、5分も停泊していなかったんじゃないかと思います。遠ざかっていくパトモス島を見ながら、もう来ることはないのかなと思っていました…この時は。
この時に風に煽られながら感慨深く島を見ている自分の写真がありますが、この後、起こることを何もわかっていない愚か者にしか見えないので載せるのやめておきます。
船はいくつか小さな島を経由していくのですが、無人の小島もあって海が浅いのか奇麗なエメラルドグリーンの入り江があったりします。ヨットならこういうところで自由に停泊できるんだと思い、ボドルムで会ったヨットマンを思い出します。
いくつめの島か忘れましたが何か見覚えのある港に来たなと思いました。さらに見たことある入り江…⁈
もどっている???
確実に船がパトモス島の方向に戻っていました。
そこで、やっと気づいたのは来る時に私たちはコス島の方からパトモス島にやってきましたが、私たちが降りた後にその船はその先の島に向かっていました。フェーリーの航路図を見るとわかりにくいのですが北端の島まで行ったら引き返すという運行をしているようでした。ですから、私たちは上り下りのフェリーを乗り間違えて反対の方向のフェリーに乗ってしまったのです。フェリーの到着時間が早かったのではなくて別な方向の便だったのです。と、気づいてもバスじゃないので途中で降りる訳にも行かず…
どうしよう。
冷静に考えて…不幸中の幸いでこのまま乗っていれば時間はかかりますが、コス島には着きます。ただ、そこで乗り換え予定だったボドルム行きのフェリーは無く、最終便にも間に合わないので今日のボドルム着は諦めなければなりません。それはコス島で安いホテルをとればいいので問題ないですが、次の日のボドルム行きフェリーを予約しておかなければなりません。ネットの情報で国境越えフェリーは前日までの予約が必要というのがあったのです。
コス島に着くのは18:30過ぎになる予定なので、ボドルム行きのフェリーチケットカウンタは閉まっている可能性が高いです。内心は当日でも空きがあればチケットは買えるはずだとは思いつつも万一、買えなかった場合は旅の日程がずれてエフェソスの滞在時間が短くなってしまいます。エフェソスは今回の旅のもうひとつ目的として大事な部分なので影響は絶対避けないといけません。
ネットでフェリーの予約サイトへアクセスして予約まではできるのですが、支払いがクレジットカードでどうしてもできません。eSIMのAiraloの影響なのかカード認証が海外からのアクセスになるので携帯のショートメッセージで送られる暗証番号で認証しないと支払いが完了しないのです。Airaloはモバイル通信のみで電話番号の付与はないためショートメッセージを受け取る方法がありません。苦肉の策で息子たちにLINEで連絡、息子たちの携帯電話へショートメッセージが送られるようにしてみましたが、クレジットカード会社にそれらの携帯電話の番号が登録されていないので暗証番号のメッセージが送信できないようでした。ほかのカードも試しましたが不可でお手上げ状態でした。
ひとつの望みとして、微かな記憶でコス島の大通りでフェリー会社の事務所があったような気がするという曖昧なものがありました。事務所があれば遅い時間まで空いている可能性はあります。
結局、5時間半くらい荒れる海で大揺れのフェリーに乗っていました。例の強力な酔い止めを飲みましたが一睡もすることなく、船の揺れなど気にするどころではなかったので時間の長ささえ感じずにコス島へ着きました。
もうここからは慌ててもしょうがないので祈りながら大通りの思い当たる場所に向かいます。
はたして事務所は…
よかった!!ありました!!
事務所で明日のフェリーの予約を聞くとOKだというので、早速、朝一番のフェリーの予約を取ります。この事務所、もしかしたら旅行代理店でフェリー直属の事務所じゃなかったかもしれません。予約サイトの料金より少し高めでした。ですが、ここはエフェソス行きを確実にすることが何より優先されるので気にしません。
次の日、フェリー乗り場のチケットカウンタで念のため確認しましたが、当日でも買えるそうです。そりゃ、あそうですよね。
もし、フェリーを利用される時は乗り間違えにお気を付けください。
ホテルはすぐそばのところをAgodaで予約しました。すでにクレジットカードと紐づけできている予約サイトからの利用は同じクレジットカードでも問題ないようでした。
だいぶ、疲れ切っていたのでこのあたりの写真が何もないです。ホテル近くの中華系レストランでテイクアウトしてホテルで食べたのですが、何を食べたのかすら覚えていません。
一時はどうなるかと思いましたが、何とか予定を大きく崩さずに済みそうなのでいい経験になったかもと思っています。
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