【読切小説】 わたがし 【13287文字】
扉が、ゆっくりと軋んだ音を立てた。
廃校となった校舎の玄関を押し開けると、ひんやりとした空気が私の頬を撫でた。
床に差し込む午後の光は、かつての賑わいを知る者に語りかけるように、長い影を引いている。
――最後にここに来たのは何年前だろう。
すっかり忘れていたはずの記憶が、埃の匂いと共に胸の奥からふわりと蘇る。
かつての友と過ごした教室、廊下、音楽室――。
全てがまだ鮮やかにこの胸に蘇る。
匂いですらも、まるで今嗅いだかのようにしっかりと思い出せる。
廃校の案内が来た時、私はまだ実感もなく、仕事が忙しいことを理由に最後の見納めに帰省することができなかった。
仕事は確かに忙しかった。
追われる毎日で、でも、それが楽しくもあった。
少しずつ「認められること」が増えてきて、でも。
どこかでその喜びが空虚に感じられる瞬間があった。
忙しさの中で、何か大切なものを見失っているような、そんな気持ちがいつもどこかにあった。
しかし、私は首を横に振り、気付かないふりをしていた。
地元のこの町、ここで過ごした日々は何故だかいつも、意識の外に追いやっていた。
楽しくなかったわけではない。
でも、あの頃の自分と何かを変えたくて、ただがむしゃらだった。
「同窓会」の通知を見たのはそんな時だった。
仕事の合間に見たその案内状に、何故だか心が引き寄せられていった。
あの日々のことを、再び振り返りたくなったのかもしれない。
陽介のことを――あの日、音楽室での最後の瞬間を。
♢
足元に目をやると、何かを踏んだ感触がした。
ほんの小さな音が、静寂の中で響く。
私は知らぬ間に、音楽室へと足を進めていた。
音楽室の扉に手をかけると、またあの懐かしい軋む音が響いた。
扉が開かれる度に、長い年月を経ても変わらない空気が私を包み込む。
目を閉じると、どこかで陽介の弾いているギターの音が聞こえる気がした。
あの時いつもどこか遠くに感じていた、あの音だ。
でも、今日は違う。
今日は、私はその扉を開ける覚悟を持ってここに立っている。
音楽室の扉を開けると、空気が一変した。
変わらないようでいて、全てが違って見える。
あの時の温もり、あの時の緊張感、あの日の陽介が、今ここに戻ってきたように感じた。
心の中で、あの言葉が再び蘇る。
――「最後じゃなくて、ずっと一緒にいてほしい」
そして、私はこの扉の向こうに、確かに待っているだろう陽介のことを想った。
ゆっくり扉を開けると、埃まみれの部屋が目に飛び込んできた。
窓から差し込む光が長く床に影を落とし、使われなくなった楽譜の棚が寂し気に並んでいる。
それでも――そこには確かに、かつての温もりが残っているように感じた。
ゆっくりと顔を上げる。
そこには、いつものように陽介がギターを持って棚に腰掛け、片膝を立てていた。
「よう」
不意に、陽介が口を開いた。
不器用に、けれど自然に投げかけられた、その一言。
声が耳に届いた瞬間、胸が大きく震える。
でも、私は反応が遅れた。
一呼吸おいて、何が自然な返事なのだろうと頭の中で言葉を探すけれど、どれも不自然に思えた。
「こんにち……は」
ようやく口から出たその一言は、陽介のその呼びかけよりももっと不器用だっただろう。
「変なやつだな」
陽介はこちらを見ることもなく、ギターの調弦をしている。
変わっていない。
変わったのは、私なのかもしれない――
そう思った時、陽介は少しだけ眉を下げて、ふっと笑った。
「久しぶりだな、柚葉」
その声に、不思議なほど懐かしさが溢れて、ようやく私は小さく頷いた。
「……うん、久しぶり」
音楽室の静けさの中、二人の声が小さく響いた。
まるで、この場所がその再会を待っていたかのように。
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