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【連載小説】公民館職員 vol.6「香り」
冬が来る。
バイク通勤の平野さんはこの時期重装備になる。
とはいえ、元々が細身なので、普通の人くらいの厚みになるんだけども。
ロッカールームは男女兼用だ。だから、女子が使うときは鍵をかける。私とちずるでは、出勤時間が少々異なるため、私はたいてい一人で着替えている。
普段着の私とは違っていつもちずるは制服を着用する。
別に制服じゃなくっても全然構わないのだが、ちずるにはちずるのこだわりがあるようだ。
私は朝のお茶をいれるため、みんなよりも10分ほど早く着くように出勤する。
そして帰りはちずるよりも遅く帰る。お茶やコーヒーを片付けるために若干遅くなるのだ。
勘違いしないでほしい。
ちずるは同期入庁ではあるが、わたしより一つ年が上だ。
だから、コーヒーもお茶も、一番したっぱの私がいれているのだ。決してちずるが意地悪しているわけじゃあない。
私はタバコを吸う。その姿を講座生に見られると、生意気、女の癖に、と思われるから、事務長が裏の入り口にわざわざ喫煙スペースを作ってくれた。そのおかげで清掃員のおばちゃん二人とも仲がよい。清掃員室は喫煙所からとんとすぐのところにあるから。
清掃員の植田さんは、いつも灰皿の匂い消し用に、コーヒーのがらをもらっていく。
ユキちゃんのおかげで随分楽になったよ、と灰皿の清掃中に言ってくれる。
そんな毎日だ。
今日は平野さんはプチ残業をして帰るらしい。
ちずるはもう、お先に、と帰ってしまった。
私は平野さんのデスクに缶コーヒーを置いた。
「お。サンキュー」
と平野さんはそれを受け取った。
私は一人ロッカールームへ行き、いつものように鍵をかけた。
魔がさしたように、平野さんのロッカーに手をかける。
ダメダメ。
一人の私が食い止める。
いいじゃんいいじゃん。
もう一人の私が声をかける。
ぐるぐる思考が狂ってきた。
私は自分のロッカーからコートとバッグを取り出すと、ほぅ……と一息ついた。
そして、平野さんのロッカーに向き合うと――
ロッカーのドアを開けた。
鍵はかかっていなかった。全員分鍵なんてついていなかったから、当たり前の話だ。
私は平野さんのロッカーを開けるとしばしそのまま中を見つめた。
ロッカー内は整然としていて、ゴルフの雑誌がいくつか中段に置かれていた。それから、整髪料と香水。
私は香水を腕にしゅっと吹きかけると、ロッカーのドアを閉じ、コートを着てロッカールームを出た。
何事もなかったかのように。
帰りのバスの中で何度となく腕から香る香水の香りを嗅いだ。
ちょっと変態チックじゃない?と思ったけども、この時は欲望の虜になっていたから気づかなかった。
植田さんに呼ばれて清掃員室で休憩をしているとき、植田さんが気づいた。
「なんか男物の香水の匂いがするような気がする」
私はバレない程度にしかかけていないつもりだったので、かなりビビった。もう一人の清掃員の中村さんが
「気のせいじゃなーい?」
と言ってくれたため、助かった。
この後、私は二度と平野さんの香水に手を出さなかった。
自分でも何をしてるのか、いや、何がしたいのかわからなかった。
ただ、無性に平野さんの香りを嗅ぎたかった。
そうすれば、平野さんが私のすぐ近くにいるように感じられたから。
気がついた
私は平野さんのことが好きなんだっていうことに。
なぜ今まで気がつかなかったのかわからないほど明確に、私は感じていた。平野さんが好きだ。
あの笑顔に苦しくなったのも、赤くなったのも、全ては相手が平野さんだったからだということにも気がついた。
私はおバカさんな一人相撲を勝手にやっていたのだ。
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