30年前「豆苗」には説明が必要だった【1990年代以降の新聞記事を読む】
ふと気になり、豆苗の歴史について検索してみた。
すると過剰に未知の情報が得られた。
あなたも興味があれば検索してみてほしい。
情報社会では豆苗の歴史でさえ、誰かによって既に調べられ書かれていて、誰でも簡単に読むことができる。そのように思える。
豆苗ってこんな野菜|豆々研究室 - 豆苗研究会 (murakamifarm.com)
最初に開いたのはWikipediaのページだったかと思う。
そこにはこうあった。
日本で広く食べられるようになったのが意外と最近だとは知らなかった。
これは雑学好きの小学生たちが友達に披露できそうな事実だと思った。
「レタスは萵苣(チシャ)の名前で奈良時代からあった」、「キャベツは甘藍(カンラン)の名前で江戸時代から」、「白菜は明治時代から」というような豆知識と同じ仲間だ。
よくある豆知識「実は昔からあったレタス・キャベツ、実は新参の白菜」の話は深堀りしてみるとなかなか奥が深い - Togetter [トゥギャッター]
そういった雑学を自慢する人で、一味違うと思える人は、深堀りしてもなお語れる人だ。「誰が日本に持ち込んできたの?」と尋ねて「江戸時代ならオランダ人とかじゃない?」などと、共通の知識をもとに推測して話すのも楽しいとは思う。しかし雑学の根拠や、ストーリーの枝葉末節がしっかりしていたら、会話はもっと楽しいだろう。
当のWikipediaのページには、「検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分」だというテンプレートが貼り付けられていた。その通り、資料が少ないと思った。(豆苗 - Wikipedia)
もし、私が熱心なウィキペディアンだったら、「出典を追加して記事の信頼性向上に」協力していただろう。現実にはそうではない。私はただ人生で何回目かの豆苗を育てていただけの一方的な読者だ。
それでも新聞の記事をちょっと調べてみようと思った。導いてくれる先生がいないのに手探りで一次資料に当たりたいというようなモチベーションがわく機会はめったにないと感じたからかもしれない。それは本や動画などの影響かもしれない。そうしたら少し面白かったので、見つけた記事に関して、慎重に書いてみる。(引用する場合は、あくまで本文が主体になるように注意する。正しく引用できていれば、何も問題はない。)「朝日新聞記事クロスサーチ」のみを利用したので偏っているに違いないだろう。
”中国野菜「豆苗」を土使わず安定栽培 農業機械メーカーが開発 栃木”、朝日新聞、1991年07月09日朝刊、栃木、
000ページ、00480文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
これが「朝日新聞記事クロスサーチ」では一番古い記事らしかった。
このニュースの後からきっと一般家庭への浸透が始まった。
私が面白いと感じたのは、タイトルにもある通り、過去、「豆苗」が何かを説明する文章が新聞に載っていたことだ。時が進むと「中国野菜」だと紹介されなくなる。朝日新聞の方も今、「中国野菜」だったと知っているかどうか。豆苗を使ったレシピは山ほどあり、白菜のように、日本に古くからある野菜だと考えている日本人は多いはずだ。また、その多数派は、ご先祖様が土を使わずに栽培したと考えているだろうか? その答えはイエスかもしれない。「豆苗」と聞いてイメージするのは浸透したタイプの「豆苗」だ。特に、豆苗がエンドウの若菜だと知らない都会人ほど、いつも水で育てていれば、よっぽどのことがない限り土で育てることを想像しないのではないか。
"グリーンピースみそマヨあえ(家庭でつくる簡単薬膳:1) 【大阪】"、朝日新聞、1995年06月07日夕刊、3総、003ページ、00917文字、中国料理研究家・程一彦、え・犬島由香、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
「豆苗(ドウミャオ)」。
「朝日新聞記事クロスサーチ」では二番目に古い記事で振られていた振り仮名は「とうみょう」ではなかった。
中国料理研究家の先生であれば、そう呼ぶのが自然だろう。そして、日本人も自然に、自分たちが料理する食材を自分たちの言葉で呼ぶことにした。「豆苗」を売る側も呼称に強い影響を与えただろう。そう推測すると、不思議はなさそうだ。では、萵苣とレタスの場合はどうだろうという疑問も浮かぶ。洋食用と認識されたから英名の「lettuce」で定着したのか。そして、豌豆とグリーンピースの場合は。萵苣とレタスの場合に比べ、それぞれ別のものとして、豌豆とグリーンピースの名前を聞く気がする。本によるとどうやら日本語では、丸く大きくなった豆を「グリーンピース」、完熟して茶色になった豆を「えんどう豆」と呼んでいる(主婦の友社編『野菜まるごと大図鑑』主婦の友社、2011年2月20日、96 - 101頁。ISBN 978-4-07-273608-1)らしいが、ということはそれは和名と英名の区別ではない。でも、豌豆は英語で「peas」「green peas」だ。英名で収穫期の違いによる呼び分けはない、はず。私が悪いのか、なんだか混乱する。
えーと。
「豌豆(エンドウ豆)」の名前は中国の「豌豆(ワンドウ)」からきた。
「豌豆」であり「green peas」であるエンドウ属の豆の若菜つまり葉と茎は「豆苗」であり英語で「pea sprouts」、まだ分かりやすいか……いや、主婦の友社によると「Snow peas leaf」??? え???
ちなみに、「豆苗(ドウミャオ)」を説明するこの一文は、「グリーンピースみそマヨあえ」をタイトルに含むこの記事に突然挿入されている雰囲気があると個人的に感じた。
"モヤシ?カイワレ? 鉄分などが豊富 「豆苗」が売出し中 【大阪】"、朝日新聞、1997年03月04日夕刊、HL、003ページ、00939文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
特に重要な記事だと思うので全文を引用したい。
関東では関西に先んじて定着していたらしい。
中国料理研究家の先生に記事中でお話を伺っているのに、「とうみょう」呼びをしている。「ドウミャオ」呼びを新聞側、ひいては業者側は選ばなかったことが、この記事から読み取れるだろう。
この記事以降、見た目などに関して、まったく知らない人向けの、現代からみたら丁寧すぎるような説明はほとんどされなくなる。このことから、試食販売会は大成功を収めたとはいえないだろうか。さらには、この新聞記事は、豆苗の全国的な定着を語る上で欠かせないイベントを記した記事だとはいえないか。
だとしたら、アツい。
この出来事および資料をもとに、時代を区分できてしまう。日本が、世界が、決定的に変わってしまったことを発見できる。
例えばコンスタンティノープルの陥落だったり、例えばiPhoneの発表だったりは、歴史における大事件だった。それらに騒ぐ者は当時大勢いたし、現代でも数多によって記憶されている。不可逆に進む時の流れを表す概念的な矢印はあの点々を貫いて、今度は私たちを貫く。
全国の日本人が豆苗を食べ始める、もう戻れない、その一つの点が、ここに小さく、静かに、あった。ある。何を言っているんだ?
何を言っているんだろう?
田中角栄首相(当時)が持ち帰ったということについては、真偽がよくわからない。一次資料に当たった結果、話の出所からあやしいということは珍しくないとうわさに聞いていた。その体験ができた。
和洋中の料理に合うと認識されたからこそ、「ドウミャオ」呼びではなく「とうみょう」呼びになったというのは、ありそうだ。
"ナゴヤマル 【名古屋】"、朝日新聞、1998年11月25日夕刊、TM1、008ページ , 01518文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
主婦からの投書。
「豆々研究室」による、「リーズナブルな野菜として家庭の食卓に浸透」したとの記述を裏付ける貴重な声のようだ。
1997年の記事の「試食してみたらなかなかおいしかった」という声と同様に、この1998年の記事の声には独特の面白みがあると感じる。
それは決して、例えば洗濯板と桶で洗濯していた昔の人を現代人の目線で馬鹿にするようなおかしさではない。ここでは洗濯機という道具の発明のような技術的・画期的イノベーションが起こったわけではない。仮に私が未来人だとして、「複合現実デバイスを使ってみたらすごかった」という現代人の感想を目にしても、同じ面白みを感じることはできないと思う。イノベーションとは最大公約数的な定義で「新たな価値の創造をもたらす革新」らしいが、「豆苗」や「豆苗を食べる習慣」がもしそれに当てはまるとしたらと考えるときの脱力感が新鮮で面白いのか? 果たして? 先端IT技術の成果でもなんでもないイノベーションが身近に潜んでいたことが痛快なのか? まだ見ぬ野菜が将来浸透するかもしれないことを想像してワクワクしているのか? 大人が世間知らずみたいなことを言っているのがかわいいわけではなくて……自分にもっと抽象的に考える能力があれば……と思う。「アイスクリームを初めて食べた日本人の反応」の面白みとも違う……。未来や異文化と出会って衝撃を受けたわけではない、地味なところが肝心なのかも……。
"デパート マリオン"、朝日新聞、1999年02月12日夕刊、MR2、006ページ、01649文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
前述したように、時が進むにつれ、「豆苗」の説明は少なくなっていく。
この記事では、新顔野菜が売れていることが書かれている。
「エリンギ」や「パプリカ」もこの頃に定着していったとのことだ。
……そうなの!?
エリンギはサザンオールスターズの桑田佳祐が日本の食卓に広めたらしい。(ホクト水野雅義社長<3>桑田佳祐の一言でエリンギブームに|日刊ゲンダイDIGITAL (nikkan-gendai.com) )
知らなかった……。また思いがけないところで知識を得た。
また、仮定の話をすると、この頃にパプリカが商品として生き残らなければ、米津玄師は『パプリカ』という名前の曲を発表しなかったかもしれないということか。
すごいことだ。
過去と現在はつながっていることを折に触れて実感する。
2000年から2010年にかけては「豆苗」と「村上農園」がセットで取り上げられる記事が目立つようになる。
豆苗の定着に村上農園が果たしてきた役割が大きいことがわかる。調査や分析などのしがいがありそうだ。
ただし今回は「豆苗」が文章中でどう補足されるかに注目する。
"野菜の新芽「いただきまーす」 米国生まれの新食材、スプラウト"、朝日新聞、2000年09月18日朝刊、1家庭、029ページ、01272文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"ブロッコリー… アブラナ科新芽スプラウト、がんの予防になる!?"、朝日新聞、2002年03月29日週刊、週刊朝日、146ページ、02979文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"村上農園 広島市佐伯区(ちゅうごく元気カンパニー) /広島"、朝日新聞、2003年06月11日朝刊、広島2、025ページ、00768文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"(こだわって ひろしま)村上農園・村上清貴社長 生産ノウハウ、海外に /広島県"、朝日新聞、2009年04月04日朝刊、広島1・2地方、025ページ、01730文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
2000年代には明らかに、少なくとも朝日新聞の読者にとって、豆苗の説明がほぼ不要になった様子が表れている。読者がその時代の変化に自覚的だったかはともかく。
まだ新聞記事の中で説明されているではないかという疑問にお答えするならば、これらの記事は、豆苗の定着に貢献した企業の視点が反映されている点が特徴的である。そのため、私はこれを、あえて定着前の状況に遡り、豆苗に関して述べているに過ぎないと考えているものである。
1990年代こそ、豆苗の全国的な定着を語る上で一番欠かせない時期であったと主張する。
そういった主張・価値観のもと、2010年代以降の記事を読む。
"(声)上へ生え続ける豆苗に感動 【大阪】"、朝日新聞、2012年08月01日朝刊、オピニオン2、010ページ、00370文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"野菜高騰、今こそスプラウト 工場生産で安定、栄養もたっぷり"、朝日新聞、2016年11月04日朝刊、生活1、023ページ、01046文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"《朝日新聞デジタル》「豆苗」育てる楽しみも 約1週間で成長、食費節約にも"、朝日新聞、2017年12月13日デジ専、000ページ、00659文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"(声)若い世代 自分で育てた野菜はおいしい"、朝日新聞、2022年05月31日朝刊、オピニオン2、012ページ、00350文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"(清水先生のワクワク勉強法)野菜を育てておいしい体験を /東京都"、朝日新聞、2023年06月21日朝刊、東京B・地域総合、020ページ、00808文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
"「アップル鶏ごぼうめし」、最優秀 「りんご大学」、初レシピコン /青森県"、朝日新聞、2024年06月20日朝刊、青森全県・1地方、019ページ、00712文字、「朝日新聞記事クロスサーチ」から
以上の記事からは、時流の変化とともに、豆苗の教育的な価値と、豆苗の経済的な価値(金額ではない)の高まりが読み取れる。
先に、経済的な価値の高まりについて触れる。
2010年頃からは、自然災害や不景気などにより、時代として、以前とは異なる暗い空気が漂っているといえるだろう。そのような中で、豆苗は人々の暮らしを守る食材としての役割を果たすようになってきた。「村上農園」「豆々研究室」もそれを否定しないだろう。栄養価が高くて安価、すなわちコストパフォーマンスの良い野菜は今後も重宝される。健康に生きたいし節約もしたいという消費者が増加する限り、需要は伸び、新たなレシピが考案されていくのではないかと予想できる。変わり種もいくつか登場する。
次に、豆苗の教育的な価値の高まりについて。
2012年に初めて豆苗を購入した55歳の消費者の声は、またしても貴重だ。投書コーナーを保存することで、一般人の生活をひとコマでも未来に送ることができると意識させられる。ご存命であれば67歳である彼女はこのnoteの記事を読んで何を思うだろう。私はあなたの投稿を読み、当時のあなたの生活感、いわば息遣いを感じました。あなたが豆苗から受け取った勇気は、新聞を通じて、老若男女に届けられたでしょう。
「食育」ということが推進されるようになった。食育基本法に基づき、令和3年(2021年)度からは第4次食育推進基本計画が進められている。「第4次食育推進基本計画」啓発リーフレット:農林水産省 (maff.go.jp)
自宅にいながら体験できる「食育」的活動を増やそうとする試みが行われているが、技術的・資源的ブレイクスルーにはまだ課題が残っていて、今のところ最も効果的かつ手軽な体験が豆苗の再収穫なのだろう。
こうした背景から「豆苗」は教材としての注目を集めるようになった。少なくとも一校は、技術の時間で豆苗を育てさせる学校がある。新聞で「豆苗」に与えられる説明は、特に教育的な文脈における説明になった。デジタルコンテンツが当たり前になった現代では、新聞社側が動画で育て方のコツを教えられるようにもなった。
日本における「豆苗」の扱いは新たなステージに入った。これは30年以上前には、誰も過去の記録に基づいて考えることのできなかった変化だと思う。
30年後、いったい「豆苗」はどのように扱われているだろうか?
その未来予想は私にとって、するだけ無駄だと感じる。常に未来は暗黒で、思いがけないことばかり起こるからというわけだけではない。
「豆苗」がどうなろうが究極的には知ったことではないからだ。30年後に食べられていようが食べられていまいがどうだっていい。どうせ考えるなら他のことを考えるべきだと思うし、考えられないなら考えないべきだ。ここまで読んでいただいたあなたも、大変申し訳ないが、本当は豆苗に興味がないのではないか。
それでも「豆苗」について考えなければならないときはくるかもしれない。
そのときは私も国際「豆苗」チーム、「豆苗・オブ・ジ・エンドウ」に加わろう。
しかし今はそのときではない。
おわりに
9000字以上10000字以下書こうと思ったわけでは全然ない。集めた記事(資料)を余さず利用(引用)しようとすると、半ば強制されるように書かざるを得なくなった。
豆苗について調べていたはずなのに、エリンギやパプリカなどについて知っていることが増えたときは、うわさに聞いていた体験だと思った。「一芸は道に通ずる」のような。
調べ物をして、この文章が書けたことについて、
自分一人の力では絶対にできないことをさせてもらえたと感じている。
ありとあらゆる人々に感謝を申し上げる。
個別に名称などを並べることでは、とてもではないが全員を網羅できないと圧倒されている。
何でもないように見える事柄や物について、歴史の価値を見落とさず、情報を集めて、知的好奇心を満たし、集中して文字を並べ、発信できることは、どんなにぜいたくなことなのか。
ありがとうございます。