今日、君が何処かで幸せなことを
久しぶりに帰った地元は再開発が進んでおり、ところどころ景色が変わっていた。
あと5年もすればこの街はきっと、私の知らない街になってしまうのだろう。
私の子供時代の全てが詰まった景色を噛み締める。
無我夢中で駆け回った公園や、友達と並んで歩いた通学路。頻繁に通ったファミレスに、初めてキスをした広場の木陰。それは甘かったり苦かったり、様々な思い出の味がして、わからないけど涙が出そうになった。
そしてふと思う。あの子は元気にしているだろうか。
14歳の頃に喧嘩して以来、一度も会っていない、あの子。
鼻をくしゃっとさせて笑う、きれいな子だった。
よく学校をサボっては、何時間もブランコに乗っていた。
なのに勉強は好きで、いつも私に問題を出して欲しがった。
でもカタカナが書けなくて、好きな食べ物は「チハーンとギュザー」と書いていた。
私の好きな味のハイチュウをたくさん万引きしては笑顔で渡してくるのに、
私のイヤホンもこっそり盗んでいった。
満面の笑みを浮かべて蟻を素手でちぎり、花火で蝶を燃やして私に見せてくれた。
歩道橋の上で「死にたいね」って呟いた私に、「あいつらが死ねばいい!」と、
下を通る通行人に罵声を浴びせていた、そんなあの子。
あの頃、14歳という揺れ動く自我の中でぶつかり合い、背を向け合った私たち。
死にたいと思う私と、殺したいと思うあの子では、心の形が違ったから。
分かり合えなかったけれど、きっと似た痛みや寂しさを抱えていたのではないかと、今では思う。
今どこで、何をしているのかはわからない。けれどあの子が、その心休まる場所で健やかに生きていたら、なんて思う。
14歳の私の記憶には、あの子が栞として残り続けている。
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