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都会と田舎の境界線

4年前、僕ら夫婦は23区を離れ、多摩のとある街に引っ越した。

結婚する前から一緒に住んでいたアパートの2回目の更新期限が届いた夜、「次は中央線沿いに住みたいね」と妻が言い出した。

「どうかな」と僕はそっけない返事をした。
正直引越しするつもりはなかった。当時住んでいた大学のキャンパスと小さな商店街がある街を気に入っていた。離れるのは惜しいと思っていた。

最初は引っ越したくないと思っていたが、結局は妻に根負けしてしまった。彼女の直観にしたがって、中央線沿いの物件を一緒に探し回ることになった。

最初は嫌々だったけれど、実際に中央線沿いの街を歩き回っていると、だんだんと引っ越してもいいかもしれない、とその気になってきた。どの街も個性が光っていて、歩いていて飽きない。学生の頃から街歩きが好きだった僕にとって中央線はかなり性に合っていると思った。新宿、吉祥寺、立川と買い物にも困ることがなさそうな点もまた気に入った。

ひとつ誤算だったのは、中々条件に合う物件がなかったことだ。当初は中野や阿佐ヶ谷近辺に住むイメージだったのだが、これらのエリアは単身向けの物件が中心で、夫婦2人で暮らすには手狭なところばかりだった。広めの間取りの物件があっても、今度は家賃が高くて手が出なかった。

物件探しは次第に西へ西へと進んで、最後に見つかったのが多摩エリアにある今の家だ。築20年越えの少々古い物件だが、夫婦2人で暮らすには十分な広さがあって、日当たりが良く吹き抜けもあった。僕ら2人はすっかりその家を気に入り、内見後すぐに契約をすることにした。
内見に立ち会ってくれた不動産会社のお兄さんの靴下にはびっくりするほど大きな穴が開いていたが、そんなことは全く気にならないほど運命的な出会いだった。

引っ越しを終えてはじめての週末、妻と一緒に家の周りを散歩したのだが、中央線沿線とは思えぬほどのどかな風景が広がっていることに気がついた。
閑静な住宅街を進んでいくと突然大きな木が密集する森が現れる。木の高さも幹の太さも街路樹とは比べ物にならないほど大きい。
森の奥には農家風の古い屋敷がある。それが一軒だけポツンと残っているのではなく、何軒か点在して存在している。所々に車がとても通れそうにない農道とおぼしき狭い道が残っている。

この場所には武蔵野にまだ農村風景が広がっていた頃の面影が残っているように感じた。閑静な住宅街を構成する家々は、かつて農地や雑木林だった土地を小さな区画へと割り振って建てられたものなのだろうなと想像した。歩く道すがら、僕はかつてそこにあった筈の自然溢れる農村風景に思いを馳せた。何だかいい気分になって、妻に「はじめての田舎ぐらしだね」と少し大げさに言った。言った後で「しまった」と思った。

妻からは「全然ここは田舎じゃない。それは23区しか知らない人間の感覚だよ」と厳しくツッコミが入り、そこから「本当の田舎はね…」と東京批判を交えた田舎論がはじまった。僕はただ相槌を打つことしかできなくなった。そうだった、僕と妻とで生まれ育った場所が大きく違っている。都会と田舎の話題については慎重に話すべき話題であることをすっかり忘れていた。
僕は東京の下町で生まれ育ち、これまで23区の中で人生を送ってきた。子どもの頃の身近な風景と言えば、荒川の土手と、そこから見える東京のごちゃごちゃした街並みである。土手とビルと首都高。これが僕のふるさとのすべてだった。一方で妻は九州出身。転勤族の親の仕事の都合で色々な土地を転々としていた。山野、離島など、総じて自然が豊かな場所で育ってきた。当然、都会と田舎に対しての価値観が僕とは異なっている。

引っ越したばかりの多摩の印象について、23区しか知らない僕から見れば自然豊かな土地に見えたけれど、妻は妻で、子どもの頃に過ごした故郷の風景と比較しているようだった。どうやらこの場所は都会と田舎の境界線が曖昧で、人によって評価が分かれるようだ。

1時間足らずの散歩の中で自分自身の田舎に対する解像度の低さをこれでもかというほど思い知らされることとなったが、妻がこれまで生きてきた世界に少し近づけた気がして、思わぬ発見にちょっとだけうれしい気持ちになった。

多摩での日々は今も続いている。

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