見出し画像

府中 競馬人の声を聴く 前編

関東大震災以前、府中 大国魂神社の祭りの太鼓の音は、遠く離れた荻窪まで聞こえたという。

これは、井伏鱒二の『荻窪風土記』の冒頭に出てくるエピソードである。荻窪の地に長く暮らす鳶の長老・長谷川弥次郎が鱒二に対して語ったものだ。

現代の府中 大國魂の祭りの様子(2024年9月28日撮影)


府中から荻窪までは直線で大体13〜14キロほど離れている。
東京都心から放射状に建物が広がる現在からすると、にわかに信じがたい。ある種ファンタジーめいてさえいる。

東京の市街地が西への広がったのは、関東大震災以降のことらしい。震災の以前には府中と荻窪の間は田畑や森が広がっていて、音を遮るものがルートの途中にほとんどなかったのかもしれない。

現代の荻窪駅南口の様子(2024年10月27日撮影)

時は大正から平成にくだる。

2000年代前半、子どもだった僕もまた府中からの音を聴いていた。僕が生まれ育ったのは東京の荒川沿いの街(※)であり、その頃は既に東京23区から多摩方面に向かって建物がびっしりと広がっていた。当然、府中からの音が荻窪よりもはるかに東にある下町エリアまでリアルで届く訳がない。

※荒川の子ども時代の話はこちら

府中からの音の出所はテレビの競馬中継だった。

競馬が趣味だった父は、日曜の夕方に放送される競馬中継を必ず観ていた。テレビ越しに府中 東京競馬場のレース実況に混じって観客席の声が父の横でゲーム機で遊んでいる僕のところへ聞こえてきたのである。

当時の僕からすると、競馬の面白さは全くわからなかったので、テレビのチャンネルを自由に変えさせてもらえないこの時間帯があまり好きではなかったことを覚えている。

その後、2000年代の後半のある日、父は脳出血で突然倒れてしまった。救急搬送され、しばらく生死の境をさまよった後、一命を取り留めたものの寝たきりとなり、長い間入院することとなった。

※父が倒れた日の話はこちら

父が自宅にいなくなり、日曜の競馬実況は我が家のテレビに流れなくなった。僕自身も「競馬」という言葉を聞くと、父が倒れた日のことがフラッシュバックするような気がして、だんだんと遠ざけるようになった。

(中編に続く)

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集