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立川に沈む人間 -休職、アルコール、時々M1-
錦鯉がM1で優勝した2021年12月、僕は仕事に行けなくなって会社を休職した。
医師から診断書を貰い、激務の日々から強制的に離脱した僕を待ち受けていたのは、まず最初に不眠、その次にアルコールに依存する生活、そして最後に先の見えない不安と絶望の日々だった。
最初に悩まされたのは不眠である。休職に入る前後は、とにかく睡眠が安定せず、調子が悪い日は一睡もできなかった。まともに外出もできない日々が続いた。
しばらくして、外出できるようになると、今度はアルコールにのめりこんだ。当時、引っ越して間もない多摩の自宅を出て、中央線に乗って立川まで出かけた。安居酒屋に入っては酒を浴びるように飲んだ。明るい時間から飲むこともあったし、記憶が飛ぶまで飲むことも1度や2度ではなかった。
楽しい酒でなかった。酔いが回ると、いつも暗く鬱々とした気分が襲ってきた。
なぜ自分が休職することになってしまったのか。
どうしてこんな目に遭わないといけないのか。
前と同じように働くことができるのか。
働くことができないとしたら、これからどうやって生きていけばいいのか。
アレコレと悩んでいる内に気持ちが悪くなり、安居酒屋を出る。酔いを覚ますために立川の街を当てもなく歩き続ける。酔いはなかなか覚めない。それどころか、ますます気持ち悪くなる。ようやく見つけたベンチに腰掛ける。ほっと一息ついて目を瞑ると、そのまま絶望に足下を絡め取られてどこまでも深く沈んでいくような感じがした。
そこから一年が流れた2022年12月、M1でウエストランドが優勝した。
僕は変わらず立川の街で日々を過ごしていたが、とことんまで落ち込む日々を過ごしていた前の年と比べると、良い意味で諦めと開き直りの境地に入っていた。
休職する前の状態に戻ってバリバリ働くことは諦めることにして、ゼロリセットで自分の人生をやり直すことに決めた。不思議とそこから回復が進んでいった。体調を回復させながら、次どうやって生きようか模索していたのが、この頃だ。
アルコールからも意識的に距離を取り、毎晩飲むことがなくなった。2日おき、3日おき、1週間おき、と酒を飲む頻度を徐々に減らしていった。立川での居場所も居酒屋からカフェに変わっていった。
駅からほど近いカフェで勉強や読書をしながら、お笑い芸人のラジオを聞くようになった。ラジオアプリGERAを片っ端から流していった。春とヒコーキやラランド等、同世代の芸人の番組から聴き始めたのだが、一番聴くようになったのは2021年のM1で優勝した錦鯉の『人生五十年』である。タイミングは2022年冬、ウエストランドがM1で優勝した後に錦鯉にハマることは全く想像していなかった。
ラジオを聴いていく中で、ボケの長谷川まさのりが立川で10年以上暮らしていたことを知った。30歳になってから当時の相方と共に札幌から上京して住んだ街が立川だったようだ。立川で築60年のアパートに住んで北口にある松屋でアルバイトをしていた。パチスロ漬けになり借金を重ねた。アパートの電気を止められて、信号機の明かりをたよりにヒゲを剃ったというも逸話もある。
※信号機のエピソードはこちらから
彼もまた立川で沈んだ人間だった。それも10年を超える歳月、深く深く沈んでいた。それと比べると、沈み2年目の自分はまだまだ浅瀬で少し溺れかけたくらいのものでしかなかった。
立川時代の長谷川の映像がハリウッドザコシショウのyoutubeチャンネルに残されている。舞台は2014年、ちょうど10年前の立川だ。遠路はるばる立川までやってきたザコシに長谷川が立川を案内して回るという体で、相方の渡辺隆も含めたおじさん3人で立川を歩き続けるだけの動画である。
松屋、ベローチェ、派手な衣装を着たアフリカの首長たちのオブジェ…、動画の中に出てきたのは、この頃の僕が日常的に歩き回っていたエリアだった。
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立川で10年以上過ごした長谷川は、その後、相方の渡辺隆と共にM1チャンピオンの座を手にすることになる。長谷川の年齢は50歳を過ぎ、札幌から上京して立川に住み始めた時から20年もの歳月が経過していた。
やっていることも状況も違えど、自分と同じように立川の街で燻っていた長谷川がその後で大きく浮上して成功を掴む様子を見て、当時の僕はかなり勇気づけられた。今は沈んでいても浮上する機会がどこかでやってくると思えたし、人生どうなるのかわからないことを楽しむくらいじゃなきゃダメだよな、と気楽な気持ちへと切り替えることができたのだ。
またそこから時は流れて23年12月、M1で令和ロマンが優勝した。同年代がついにM1で天下を獲る時代がやってきたと感慨深い大会だった。
僕はと言えば2年近い休みを経てようやく復職することができた。令和ロマンのような華々しい活躍とは程遠いけれど、何とか社会復帰して再び働きはじめていた。思うことがあり、この頃から酒を完全にやめることにした。そこから24年11月現在に至るまでアルコールと無縁の日々を送っている。
2024年もあと1ヶ月でM1決勝がやってくる。M1の大舞台に全てを賭ける芸人の姿を画面越しに眺めながら、僕は僕で立川で沈んだ日々の延長にある想像していなかった未来に思いを馳せることになるだろう。