再見『ミッション・インポッシブル』
『トップガン マーヴェリック』のヒットで何かと話題のトム・クルーズなので、久々に『ミッション・インポッシブル』第一作を見直しました。ロードショー当時に映画館で観た時の思い出や、トム・クルーズらの関係者(監督や出演者)に関連していろいろと思うところがあったので、書いておこうと思います。映画自体については、おおむね誉め言葉ですが、残念な点のコメントもありますので、「トム様のことは誉め言葉しか受け付けない」という方は読まない方がよいかも・・・
いつの間にか長寿シリーズ
『ミッション・インポッシブル』シリーズ(トム・クルーズ版)は、96年に始まって今なお継続中で、来年には最新作『デッド・レコニングpart1』が公開されるらしいですね。なので、そこまでカウントすると27年、part2を入れれば、30年近くになるわけです。
ということは、1969年から1995年まで続いた『寅さん』シリーズの26年を超えることになるわけで、もしかしたら、同一俳優主演による同一シリーズの最長年数になるのではないでしょうか? もちろん、年数だけで言えば、『トップガン』がすでに超えているわけですが、『トップガン』はシリーズものとはちょっと違いますよね。(何がどう違うのか、説明が難しいですが、まあ、印象です、印象。)
(ん、待てよ。シルベスター・スタローンの『ロッキー』が76年から2006年なので、30年ですね。もうちょいか。他にありますかね。)
それだけに、久しぶりに見直すと、トム・クルーズの若さが際立ちます。『トップガン』から10年も経っているのに、若いです。
公開前の期待値MAX
私も学生時代には、常に『ぴあ』を持ち歩き、映画館に入り浸っていたのですが、社会人になってからは、なかなかそういうわけにもいかなくなりました。映画情報にも疎くなり始めていたころ、『ミッション・インポッシブル』が映画化されることを知ったのは、映画館でまさに予告編を見た時でした。
さすがの私も、元ネタのテレビシリーズ『スパイ大作戦』はリアル・タイムでは見ていません。何回目かの深夜の再放送でハマりました。まあ、どハマりではなく、まあまあ普通のハマり方でした。ビデオが普及する前の時代では、「見られるタイミングで見る」ということしかできないので、ハマると言ってもそんな感じでした。でも、大好きでした。高校生の頃です。
なので、突然映画館のスクリーンで、マッチを擦るどアップ、そしてあのテーマ曲が始まった時にはかなりシビれました。曲に合わせて、サスペンスフルなカットの連続が写し出され、合間に、トム・クルーズ、ブライアン・デ・パルマ、ジョン・ヴォイト、ジャン・レノの名前が次々に流れ、興奮は頂点に達しました。
『スパイ大作戦』が映画化されるという情報に前もって接していれば、これほどまで興奮はしなかったのだと思います。予備知識がないということは、幸せなこともありますね。多分、私にとって、最高の予告編体験でした。
テーマ音楽はやっぱり重要
トム・クルーズが若かったと言っても、『ミッション・インポッシブル』を映画化することに、彼がかなり中心的な役割を担ったものと思います。(そもそもテレビシリーズの一部を再編集して映画化した『スパイ大作戦 薔薇の秘密指令』('69)という作品があるので、正確には「再映画化」ですね。)トム・クルーズが製作に加わった映画は、多分これが初めてだと思います。
トム・クルーズも、やはり『スパイ大作戦』が大好きだったのでしょう(そりゃそうですよね)。彼が映画化プロジェクトを進めるにあたり、ラロ・シフリン作曲のテレビ版テーマ曲を使用することにこだわったのは大正解でした。やはり、「これじゃないと」というところはあります。(『トップガン マーヴェリック』の「デンジャーゾーン」も良かったですよね。)
時々、リメイクや続編を製作する時に、イメージの刷新とばかりに新しい曲を使うことがあります。ですが、かならずしも成功しているとは言えないと思います。
テレビの『ルパン三世』シリーズでは、part2用に大野雄二が作曲した曲が有名ですが、何年か経ってから新シリーズpart3を製作するにあたり、メイン・テーマを違う曲(同じ大野雄二ですが)にしました。リアル・タイムでその放送を見た時、正直がっかりしました。チャレンジはわかるのですが、それはいらないっていう感じでした。結局part4からpart2の曲(アレンジは変わりますが)に戻してくれたので、良かったです。
『ブレードランナー』の続編『ブレードランナー2049』でもそうでした。事情はわかりませんが、ヴァンゲリス作曲の前作のエンディング・テーマ(かなりしびれます!)が使われなかったことは、心底残念です。著作権なんかの関係で、難しい場合が多いのだと思いますが、そこは是非こだわってほしかったと思います。
さらに言えば、東宝が84年にゴジラ・シリーズを再出発させるために『ゴジラ』を製作した時、伊福部昭の有名なゴジラのテーマを使いませんでした。これにもかなりがっかりしました。その後、16年の『シン・ゴジラ』で庵野秀明監督がオリジナルのテーマ曲を使ってくれたのには、感激しました。
『ミッション・インポッシブル』では、実は本編ではこの有名なテーマ曲はそれほど多く流れないのです。オープニングとエンディングにはもちろん流れるのですが、劇中では、半ばに短く1回と、最後のクライマックスで1回流れるだけです。ただ、それだけに、最後のクライマックスの物凄い場面で、これでもかとばかりに気分を上げてくれます。ブライアン・デ・パルマ監督の手腕なのだと思いました。
メインのテーマ曲以外にも、テレビシリーズでバックに流れていた曲をアレンジした曲が数多く使われており、担当した作曲家ダニー・エルフマンも『スパイ大作戦』が好きだったのだなあとわかります。
ユーロスターでの素晴らしいアクション・シーン
94年に英仏海峡トンネルが開通し、フランス国鉄が開発しているTGVが「ユーロスター」という特別な名前でパリ・ロンドン間を走り始めました。そのわずか2年後公開の『ミッション・インポッシブル』が、この「ユーロスター」と英仏海峡トンネルをクライマックスの舞台に選んだのは、最高のタイミングでした。
なおかつ、それは付け焼刃的なものではなく、一回入ったら海峡を越えるまで出られないトンネルという特徴をよくいかした場面になっていました。ユーロスターに引きずられてヘリコプターがトンネルに突入するところなど、映画版『ルパン三世』のアニメ1作目(ルパンVS複製人間)で地下水道にヘリが突っ込むところを思い出しました。
鉄道アクション映画ベスト5をあげろと言われたら、多分この『ミッション・インポッシブル』を入れると思います。(あとは・・・『新幹線大爆破』『脱走特急』・・・ええと『ハン・ソロ』も凄かったけど、あれは鉄道か?・・・あ、『ブレット・トレイン』はまだ見てません。)
「フェルプス君」の処遇に驚き
「スパイ大作戦」と言えば、「おはよう、フェルプス君」で始まる指令が有名です。しかし、映画『ミッション・インポッシブル』シリーズは、第一作で、主人公をジム・フェルプスからイーサン・ハント(トム・クルーズ演じる)に移行することにします。
テレビシリーズが長期化したり、これを映画化したり、古い映画をリメイクしたり、または長い期間を経てから続編をつくる場合、主人公をどうするかは色々です。
「サザエさん」のように全く年を取らずに超然と主人公であり続ける場合もあります。ジェームズ・ボンドのように、現実の年月と共に年を取ったり取らなかったり、あいまいに現実と非現実を生きている主人公もいます。『スタートレック』のカーク艦長達のように、一回次の世代に主人公が交代し、その後若返って帰って来るなんていうのもあります。なので、時代とともに、新しい主人公に交代していくのもいいと思います。
ただ、『ミッション・インポッシブル』での主人公交代の仕方。これはちょっといかがなものでしょうか。長年テレビシリーズの主人公であり続けてきた人に対する扱いとして、「これはない」のではないかと思いました(ネタバレを避けるために曖昧に書きます)。『スタートレック』でカーク艦長からピカード艦長に主人公が代わった時には、かなりの敬意が払われていたと思います(映画『スタートレック ジェネレーションズ』)。
『ミッション・インポッシブル』でも、主人公が代わるにしても、もっと方法があったのではないかと思います。テレビシリーズでジム・フェルプスを演じたピーター・グレイヴスが出演しなかった(依頼があったかはわかりませんが)のも、もっともだと思います。それに、「おはよう、ハント君」と呼ばれるには、この当時イーサン・ハント(トム・クルーズ)はまだ若すぎるのではないかとも思いました。
あと、特に2作目以降の全体を見て思うのですが、オリジナルの「スパイ大作戦」とは全体のテイストがかなり変わりましたね。チームワークっぽさがかなり減って、トム・クルーズの独壇場的になりました。巨大なセットの中で、対象者を騙して情報を引き出すような、そして観ているこっちも一緒にだまされるような、「おもちゃ」っぽい楽しさ(1作目のタイトル前のシークエンスのような場面)もなくなりました。テーマ曲が残っても、テーストがあまりに変わると、ちょっと寂しい感じもします。
ブライアン・デ・パルマとしては良かったのか
ブライアン・デ・パルマ監督は素晴らしい監督だと思うのですが、私個人としては彼の初期の作品の方が個性的で魅力があったと思います。
『悪魔のシスター』('73)、『ファントム・オブ・パラダイス』('74)、『キャリー』('76)、『フューリー』('78)、『殺しのドレス』('80)など、どれをとっても個性的でかなりの傑作だと思います。
それが、『スカーフェイス』('83)や『アンタッチャブル』('87)あたりから、巨額の製作費を与えられるようになったためか、個性が抜けてきてしまった気がします。いずれも映画としては傑作だとは思うのですが、本人はそれで満足なのか、実は心配していました。多分、『ボディ・ダブル』('84)あたりを最後に、以降、彼は牙を抜かれ、手足を縛られ、不自由になっていったのではないでしょうか?
『ミッション・インポッシブル』も、これまでに述べましたとおり、全体としては傑作だと思います。ただ、デ・パルマ監督個人としては、もっと違うのをやりたいと思っていたのではないかと思うのです。もちろん、この作品であまり個性を前面に出してもらってもどうかという感じはあります(第2作のジョン・ウー監督は個性を出していましたが)が、ハリウッド資本に飼いならされて、作家性をそがれていったような気がして、ちょっと可哀そうだと思いました。
以上、徒然なるままに書いてみました。
長くなってしまいました。お付き合いいただいて、ありがとうございました。