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パゾリーニの映画『テオレマ』とドン・シーゲルの映画『白い肌の異常な夜』

イタリア出身のピエル・パオロ・パゾリーニ監督は、一昨年生誕100周年を迎え、来年は没後50周年を迎えるようです。先日、その代表作『テオレマ』('68)を観る機会がありました。初見です。
(※「ネタバレ」という類の映画ではありませんが、双方の映画のストーリー終盤まで言及します。)

『テオレマ』は、会社経営者を主人とするブルジョア一家(夫、妻、息子、娘、家政婦)の話。ミラノ郊外にあるその屋敷に、何の説明もなくひとりの美青年が同居するようになります。家政婦を含む一家5人は、いずれもその青年に惹かれ、それぞれに性的関係を持ちます。青年はそれを拒むでもなく、むしろ誘惑するような態度をとります。
ところがある日、その青年は突然家を出ていきます。彼を失った5人は、それぞれに精神を病んだり、常軌を逸した行動に出るようになります。

青年が現れる前、5人はいずれも何不自由なく暮らしていました。しかし、それぞれに何か足りていない部分があり、そこに目をつぶった状態だったのかもしれません。そこに、青年という「異分子」というのか、「触媒」のようなものが現れ、5人は彼を求めることで「穴埋め」をしたのでしょう。一旦、その部分が満たされてしまうと、彼を失った時、その喪失感は計り知れないものとなり、もはや元の状態に戻ることはできなくなってしまったのだと思います。

青年は、必ずしも性欲や性的関係の象徴だけではないと思います。人はそれぞれ、何かしら満たされないものを感じており、それを我慢したり、目をつぶって生きているものです。何らかの偶然や運によって、それが満たされたり、さらにそれが奪われたりする。そういう象徴なのでしょう。

『テオレマ』では、そんなことなら初めから青年は来ない方が良かったという風にも言っていません。彼を失った後、妻のように、青年の影を求めて男漁りをするようになってしまう場合もあれば、家政婦のように、救世主のような秘められた能力を発揮する場合もあります。

良いでも、悪いでもない。社会の中で、多少なりとも抑圧されて生きている私たちのことを描いているということなのでしょう。

この映画を観ながら、ドン・シーゲル監督の映画『白い肌の異常な夜』('71)を思い出していました。こちらの方が、より直接的・具体的でドロドロした内容です。

こちらは南北戦争時代のアメリカが舞台です。南部の深い森の中で、戦火を逃れるべく、鉄の柵で守られた屋敷で、女性だけの自給自足の生活を営む女学院がありました。彼女たちは、校長、教師、生徒、使用人でした。ある日、森の中で、年少の生徒が、重傷を負った北軍兵士を見つけます。彼女たちは、敵軍である彼を見捨てるわけにもいかず、しばらく彼をかくまい、看病することにします。

当初より、彼女たちは兵士の男性としての魅力に惹かれていました。兵士が回復するにつれ、彼女たちは兵士に言い寄るようになり、男も思わせぶりな態度をとります。そして校長以下の大人たちは、彼を南軍に引き渡さずにそのまま学院に置いておきたいと思うようになります。しかし、兵士は彼女たちの嫉妬と憎悪の渦に巻き込まれていき、最後には「特別なキノコ」の料理をふるまわれます。

ここでは、「戦時下」「森の奥深く」「女学院」という閉鎖的な状況の中で、恋愛や性欲を抑圧されてきた女性たちが描かれます。また、彼女たちの中には、過去に倒錯した性的関係の経験や性暴力の被害があった大人がいたり、早熟で性的好奇心旺盛な年長の少女がいることも明らかになってきます。そこに敵兵士という「異分子」「触媒」が放り込まれるのです。

ここでは『テオレマ』のように、異分子が急になくなることはありません。むしろ彼女たちが自分たちで異分子を排除するのです。兵士の存在によって自らの性的側面が暴露される恐れや、自らの恋心が裏切られた恨み、教師や生徒の間に生まれた敵対心。それは大人や年長者だけでなく、年少の生徒をも巻き込みます。異分子を排除した後、女学院がどうなるのかはあまり描かれません。ただ、遺体の収容袋の縫い方を平然と指導する様子は、元の女学院に戻ることを暗示します。

どちらの映画でも、ブルジョアのお屋敷であったり、規律正しい女学院であったり、一定の「品格」が求められる世界を象徴しています。しかし、『テオレマ』では、青年が一家にかりそめの平和をもたらしましたが、『白い肌の異常な夜』では、兵士は学院に争いを引き起こします。抑圧された心を抱えて生きている私たちに、それを埋めるような異分子が何をもたらすのか。対照的な描き方ですが、そこには恋愛とか嫉妬、独占欲といった要素の有無があるのでしょう。

ちなみに、『テオレマ』で青年を演じたのは、出始めたころのテレンス・スタンプ。後に、スーパーマンと敵対する三悪人の首領ゾッド将軍を演じました。『白い肌の異常な夜』で兵士を演じたのは、当時既に大スターだったクリント・イーストウッド。この映画のラストは、イーストウッドにヒーローを求めていた当時の観客を落胆させ、興行的には大失敗だったようです。


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