先進国ボケ教員は要らない

家庭、学校、社会の教育力の低下がしばしば問題となっている。
しかし、教育の質的低下が社会に与える影響は極めて認知し辛いようだ。

ここでは私の見解を述べる。

近年の日本において、質の低い教育で育った者の多くは、何でも与えられることが当たり前の先進国ボケ人間になってしまった。
そして、与えられる事が当たり前の人間の多くはは、自分の思い通りにならないことをすべて他人のせいにするようになった。
更に、近しいの考えの人間は集結し、合意形成することで先進国ボケした人間達にとって都合の良い新しい価値観を次々と生み出すことに成功している。

この流れを受けて、教育業界においても、低能な先進国ボケ教員達によって、都合の良い価値観が生まれた。

そのうちの一つが「発達傷害」である。
この言葉で、家庭・学校・社会の教育力の低下をごまかすようになった。

そして、家でも学校でも手に負えない子にはこの「発達傷害」ラベルを貼り、特別支援へ移行した。
その結果、20年前は2万人程度であった通級(週に数回通う特別支援教室)に通う児童生徒数は、現在その6倍〜7倍となっている。

問題なのは特別支援に関するリソース不足だ。
通常の児童生徒に比べて、教員一人当たりがみることのできる人数が少ない特別支援教室では、
人員も足りないし教室も足りない。
しかし、この状況についてはかなり前から懸念されてたのにも関わらず、改善されることはなかった。
そして、これからも状況が好転することはないだろう。

なぜなら、今後、子どもたちに対して使える国のリソースは減る一方でだからである。

今まで潤沢なリソースの中で育って来た先進国ボケした大人たちは、それがわかっていない。
自分達と同じように、これからも子どもたちは皆平等かつ十分に守られ、支えられながら育っていくと信じて疑わない。

しかし、現実はそうではない。

超高齢化社会の日本においては、今後もリソースの大半が高齢者のために使われるだろう。
経済の衰えた日本では、優秀な人材は海外へ流出し、長く移民を拒否してきた日本では、すでに外国人にとって働くメリットがなくなり、海外からの人材調達も難しい。


特別支援教育のリソース不足による混乱は手始めでしかない。

公立学校をはじめ、子どもたちを支える社会のインフラは間も無く崩壊し、
子どもやその保護者は自らの力で生き抜くしかなくなる。

だからこそ教員は、いち早くこの先進国ボケから覚醒し、子どもたちがこれからの社会で生き抜くための真の力をつけてあげなければならない。

「日本は恵まれている。」のではなく、「日本は恵まれていた。」が正しい現状認識であり。
日本の危機的状況を直視した上で、子どもたちにダイレクトに伝えられるのは教員だけだ。

本当にこのままで良いのか、真剣に考えて欲しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?