村社会的な学校は要らない

日本特有の村社会的な組織に嫌気がさしてしまう若者が早々に離脱することで、公教育の現場ではどこもかしこも人材確保に四苦八苦している。

•目立つと潰される。
•妬みや嫉みが蔓延している。
•誰か1人を敵にして団結する歪んだ仲間意識。
•ことなかれ第一主義。
•陰口文化。

日本の学校の職員には、上記のすべてについて心当たりがあるはずだ。
全くもって古臭いとしか言いようのない、くだらない文化である。

勤続年数に応じて横並びに昇進昇給する『THE公務員システム』も、このような村社会文化を助長する一因なのだろう。

村社会に順応できるのは、
空気を読み、表向きは逆らわない優秀な組織人だけだ。
しかし、その優秀な人間のほとんどは、心の中では舌を出しているのだから、このような組織はいつの時代も脆弱だ。

脆弱な組織を今まで存続し続けられたのは、体育会系の”タテ”の文化があるからだ。
教育の現場では、これが非常に根深い。

社会が少しずつ変わろうとしている中、教育の現場はいつまで、この『村社会』を続けるのだろうか?

教員の離職率が高いのは
本来、村社会に適応できるだけの優秀な人材だけが教員になれた時代とは違い
適応力の低い人材も登用しなくてはならなくなってしまったからだ。

だからこそ、『村社会』の側が変わらなければならないフェーズに突入しているということを、いいかげん教職員全員が認識しなればならない。

新任の教員をいびってる場合じゃない。
同僚のミスをサポートしながら、裏で文句言ってる場合じゃない。
自分と他との仕事量を比べて腐ってる場合じゃない。
管理職が変わる事を祈ってる場合じゃない。
行政の人間にヘラヘラしている場合じゃない。

そして、「自分だけはちゃんとやっている」という、村社会的エリートが一番要らない。

個人の評価よりも、全体の成果を優先できる、新時代のエリートが、のびのびと仕事ができる環境を作る事以外に今の現場の人間ができることはないのだ。

今まで教育の現場には無かった見方や考え方で、お互いの違いを認め合い、尊重し合っていかなければ、公教育には『絶滅』以外に残された道はない。

もしかすると、絶滅した方がこれからの社会のためなのかもしれない。
だとしても、しっかりとそれを選べなければ、その後の社会にも希望はもてない。

これは、一部の代表者だけが考えれば良いことではない、現場の人間一人一人が考えなければならないことなのだということを、心から理解して欲しいと思う。

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