南方熊楠門下のキノコ四天王・樫山嘉一とある土俗趣味人
以下の記事で紹介したように、南方熊楠門下のキノコ四天王・樫山嘉一と性に関する土俗蒐集家・九十九豊勝に交流があったことを紹介したが、熊野郷土科学研究会編『樫山嘉一小傳』(熊野郷土科学双書第3集、1963年)の九十九の弔翰を紹介した部分に以下のような興味深い記述があったので、以下に引用したい。
「尾張加賀紫水翁」は拙noteでも度々紹介している雑誌『土の香』を編集していた加賀紫水のことである。「「百人一趣」」は、加賀の交流のあった人物の創作、随筆、論考などをまとめた本であるが、この本は以下の記事で紹介したことがある。
また、「柳田先生など御寄稿の同翁の記念文集」については、以下の記事で紹介した楳垣実編『加賀紫水翁記念誌』(蝸牛工房、1951年)のことであり、九十九はこの本に「紫水翁の手」を投稿している。編集者の楳垣によれば、この本は3部ずつ寄稿者に送付されたと述べられているが、送付部数はともかく、九十九のもとにも送付され、その中の1部が『樫山嘉一小傳』の編集者・樫山茂樹に転送されたのだろう。
ここで分かったのは樫山(以下の樫山は樫山嘉一を指すことにする。)と加賀の間で交流のあったことである。以下の記事で紹介したように、九十九と加賀は深い交流があったが、この土俗趣味者の交流のネットワークに樫山も属していたようだ。『樫山嘉一小傳』が発行された時点で加賀は亡くなっていた(注1)が、この本の「索引に兼ねて小誌贈呈御芳名録」に「加賀千代(土俗趣味社紫水―本名治雄—氏夫人)」が記載されおり、この本が加賀家に贈呈されたことがわかる。交流していた当事者が亡くなった後も遺族の交流が継続していたようだ。
ところで、樫山は『百人一趣』下巻(土俗趣味社、1946年)に「花籠(一)」、「花籠(二)」という上巻の感想を投稿している。(注2)以下にその文章を引用してみたい。
樫山が上巻に投稿されているいくつかの文章に対して感想や質問を述べている。樫山は『百人一趣』を熱心に読んでいたようである。樫山と加賀の間にどのような交流があったのかは分からないが、樫山も土俗趣味者の一人として考えることもできるだろう。
(注1)加賀の没年については、『尾西市史 通史編 下巻』(尾西市, 1998年)の小林弘昌「解説―雑誌「土の香」と加賀治雄」を参照。国会図書館デジコレ(個人配信限定)で閲覧可能。
(注2)『百人一趣』の目次については、神保町のオタ様の以下の記事で紹介されている。
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