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『俚俗と民譚』に掲載された風俗研究者・平井蒼太「涸れる泉」
以下の記事で風俗研究者・平井蒼太の「山の神―近江民俗断片」を紹介したが、この文章中に「涸れる泉」という文章を平井が『俚俗と民譚』という雑誌に投稿したということが述べられている。架蔵の『俚俗と民譚』第1巻第8号(1932年)を確認すると、この文章が掲載されていたので以下に引用してみたい。近江地域の伝説の簡単な報告である。
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近江蒲生郡武佐村往来に、滾々と湧いて涸れない泉があります。こゝは百姓達が、畑から採って来た野菜類の洗ひ場として、昔から使用されてゐます。
昔、ある秋の末頃のことでした。お百姓達が大根を積みあげて、その土を頻りに洗ってゐる所へ、通り掛った旅の乞食坊主があります。歩行に熱した足を冷やす為か、或は余りに汚れた足を厭うたのでありませうか、お百姓達に向って、済んが足を洗はせて下さらんか、と頼み込むのでした。お百姓達は、乞食坊主の薄醜い風態を見上げると、一様に白い眼を尖らせて、食べ物を洗ふ所ぢや、足ならもっと地所で洗はんせ、とにべなく跳つけて終ひました。そこでその坊主は、ぢっと泉の面を睨み付けて、悄然と立去って行きました。
それから毎年秋も終りの、大根を洗ふ時節が来ると、この滾々と湧いて絶えない泉の水が、それこそすっかり涸れ上って終ふやうになりました。(後略)
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