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『郷土趣味』でなく『郷土と趣味』に集う人々
以下の記事で田中緑紅の発行していた雑誌『郷土趣味』ならぬ大阪の堺市で発行されていた雑誌『郷土と趣味』を紹介したが、この雑誌に投稿していた人々の詳細に関してはあまり分からなかった。
国会図書館デジコレで閲覧できる『郷土研究家名簿』(農村教育研究会、1930年)、『郷土史家名簿』(日本経済史研究所、1934年)では確認できなかったが、以下の記事で紹介した『全日本郷土史研究家名簿』高森光夫編(全日本郷土史研究家協会、1943年)には何名かの人物が載っていたので紹介していきたい。
この名簿によると、「楠公精神の研究」を連載していた土橋眞吉は堺市高等女学校長、「松の浜寺と大久保利通卿」を投稿した西田七之助は錦西国民学校訓導、「久世街道を行く」の松本壮吉は伝説物語刊行会経営者であったようだ。度々文章を投稿している南要は住所の詳細までは印刷の関係で読み取れなかったものの住所に国民学校と記載されているので、国民学校の職員であった。(教員であったかどうかは分からない。)雑誌記事索引データベース「ざっさくプラス」によると、南は『旅と伝説』、『民俗学』、横井秀照が発行していた『田舎』(住吉土俗研究会)などにも文章を投稿していた。以下の記事によると、方言研究者の橘正一には大阪の和泉方言の研究者とみられていたようである。
他にも『郷土と趣味』主宰の高橋松南、「金石文の泉南」を連載していた相澤正彦も『全日本郷土史研究家名簿』も名前と住所のみ掲載されている。投稿者の住所から判断すると、『郷土と趣味』は堺市に在住している民俗学、郷土研究、蒐集関連に関心のある人物が中心となって投稿していた雑誌であるということがあらためて分かった。
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