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南方熊楠の著作の出版を検討していた下出書店と仲介した謎の男・平澤哲雄

 『本屋風情』岡茂雄(角川ソフィア文庫, 2018年)は、昭和前期に民俗学、人類学、考古学系の本を中心に出版していた岡書院の社長であった岡茂雄が柳田国男南方熊楠渋沢敬三などの交流や印象を振り返った回想録であるが、裏話的なエピソードも多く非常におもしろい。この本の中で特に岡は南方のことを尊敬の念を持って回想している。岡と南方の交流はこの本だけでなく、『熊楠研究』第9号、第10号(2015, 2016年)に翻刻が掲載されている実際の書簡を通しても確認できる。この書簡のやり取りは民俗学に関する出版史という観点から見ても興味深いものだが、『熊楠研究』第9号に掲載されている1926年2月26日に南方から岡へ書かれた書簡(南方熊楠顕彰館の目録番号:書簡0457)によると、南方の本の出版を巡って以下のようなやり取りがあったようだ。

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(前略)而して名古屋の下出義雄とかいふ人(利得を意に介せず、有益ながら費用多くて出板を見合わせ居るやうなものばかり出板したしといふ人の由、此人の父とか多くの会社を兼ね、其役得、年々三万円はあり、芸妓を買ふと思ふで出板に出資したしといふとか)、故平沢哲雄氏を介し出板を望まれ居る内大災起り、その後その咄も消えおり候が、是等の人々に一度交渉し度候(後略)

上記は岡が南方の本を出版したいと申し出た際の南方の岡に対する返答の一部である。下出書店という書店が南方の本の出版を希望していたことが分かる。下出書店は、以下の記事で紹介したように名古屋の実業家・下出義雄が経営して社会科学に関する本を中心に出版していた出版社であった。

上記の引用部分で南方も述べているように、下出書店は採算を度外視して特に学術書の出版に力を入れていた。拙noteでも度々取り上げている平澤哲雄は以下の記事でも紹介したように南方とも交流があり、自身の著書『直現藝術論』を下出書店から出版しており、下出書店の編集者であった杉原三郎に対して感謝のことばを述べている。

このようなつながりがあったため、下出書店は平澤経由で南方の本を出版しようとしていたのだろう。南方は関東大震災以降下出書店と連絡が取れないと述べているが、以下の論文によると、下出書店は関東大震災がきっかけでほとんど活動が停止していたようである。このあたりの事情は南方の日記の未公開部分に書かれているかもしれない。

 南方が生前に出版された本は、柳田国男の配布した『南方二書』のような私家版のような本を除けば本山桂川が編集していた閑話叢書の1冊であった『南方閑話』(坂本書店, 1926年 )、岡が編集した『南方随筆』、『続南方随筆』(岡書院, 1926年)であるが、上記に引用した書簡では下出書店以外にも大岡山書店(注1)から出版の話があったと南方は述べており、いくつかの書店から出版のお誘いがあったようである。南方によると、この大岡山書店からの話も関東大震災で頓挫してしまったようだ。関東大震災は東京の出版業界に大きなダメージを与えたことは知られているが、南方の本の出版にも少なからず影響を与えたようである。

(注1)大岡山書店に関しては以下の記事を参照。この記事によると、民俗学関係の本を出版しており、南方の全集の出版も計画していたようだ。







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