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「ペンギン・ハイウェイ」もしかしてだけど
わたしは森見登美彦の作品が大好きで、聖地巡礼に一人で京都に行くほどなので、もうこの映画をフラットな目で見ることはできません。たとえば森見登美彦の作品を知らない人が前知識なしで映画を見たときに面白いのかどうか、わたしには分かりません。また、わたしは宇多田ヒカルが一番好きな歌手なので、映画の公開当時、大好きな森見登美彦の作品が映像化され、その主題歌が宇多田ヒカルと聞いたときから世界はどこか浮ついていて、とうとう映画館へ「ペンギン・ハイウェイ」を観に行ったとき、もう何年も前のことですが、そのときが間違いなくわたしの人生のサビでした。おそらく走馬灯でも長めの尺が取られるでしょう。
以下、ネタバレを含みます。
郊外の住宅街で暮らす小学生の少年・アオヤマくんは気になったことや考えたことをなんでもノートに書き留める、研究熱心で聡明な男の子です。もうすぐ夏休みというある朝、彼の住む住宅街に突然ペンギンが現れます。なぜペンギンが? ペンギンはどこからやってきたのか? アオヤマくんはクラスの友達と一緒にペンギンの謎を探ることにしましたが、どうやら近所の歯科医院で歯科衛生士をしている大好きなお姉さんがその謎の鍵を握っていることがわかり・・・。
映画が始まり、何かを予感させる音楽、アオヤマくんのモノローグ、朝の光、郊外の住宅街に突如現れたペンギンが街の中を走り、美しい景色とともに原作者・森見登美彦、脚本、演出・・・、とテロップが出ているあたり、開始5分ほどでわたしは半分泣いていました。制作陣でもないのに。
「動いてる!ペンギンが!森見登美彦の書いた本が映像になってる!ペンギンが、森見登美彦が好きな竹林を走ってる!!」
わたしが映画館へ行った当時、ちょうど学生なら夏休みの時期だったと思います。わたしがいた上映回には親子連れも何組かいて、わたしは泣くのをこらえながら、一方で冷静に「確かにぱっと見、子供向けのアニメ映画に見えるかもしれないけど、本当に子どもが見て面白いのか? 見に来ている子たちは、今の時期、インクレディブル・ファミリーとか未来のミライもやってるけど、そっちじゃなくていいのか?」と不安になったりもしました。森見登美彦の主な読者層はおそらく大学生〜若い大人世代だと思われ、何も知らない子どもが「なんか、ぺんぎん、かわいい」と前知識なしで見てこの物語の機微を分かってもらえるか不安だったのです。
確かにアオヤマくんが歯医者でいじめっこの鈴木くんをでまかせで脅すシーンや、お姉さんに歯を抜いてもらったけどそれどころではないアオヤマくんが口を開けたまま流血しているシーンでは、子どもよりも大人の笑い声が聞こえました。逆にここで笑える子どもってめちゃめちゃ見どころがありませんか? 将来有望、まるでアオヤマくんのようです。
アオヤマくんは大変賢く、物わかりが良いお子さんなので、わたしたちは「大人げないことをしてしまった」と自嘲する彼自身よりも、彼に対して「君は子どもでしょ」とツッコミをいれるお姉さんのほうが共感できるはずです。どこまでも冷静なアオヤマくん、チェスが強くて相対性理論の本を読むクラスメイトのハマモトさん、テンプレのような乱暴者でイタズラ小僧のスズキくんなど、個性豊かな子供のキャラクターたちよりも、そんなアオヤマくんたちを面白く見ているお姉さんのほうがわたしたちの感覚に近いのではないでしょうか。
ところが、お姉さんが投げたコーラの缶がペンギンに変わるシーン、「なんか知らんけど街の中にいきなりペンギンがいる不思議」が「大好きなお姉さんが意図的に起こしている人知を超えた現象」に変わったシーンをきっかけに、映画はがらっと表情を変えてしまいます。
一見夏休みの子供向け映画に見えて、子供ウケで作られていない、大人たちをこそ刺しにくる映画なのです。
ジュブナイル的な不思議映画のようでいて、アオヤマくんたちが謎を解き明かすためにとるアプローチは科学です。一度きりの奇跡をよしとせず、再現性を求めます。サイエンスフィクションなのです。
お姉さんとは、ペンギンとは、ジャバウォックとは、海とは、なんだったのでしょうか。
気分が良く、晴れているとペンギンを出せるお姉さん。ペンギンが大好きだけど、ペンギンを出した後はひどく疲れてしまい、体調が悪くなってしまうお姉さん。ときどき悪夢を見て、ジャバウォックを出してしまうお姉さん。ペンギンは世界の果てからやってきて、世界のほころびを修復する、かわいくてみんなに愛される存在。
これって、もしかして森見登美彦作品の転写ではないでしょうか。
森見登美彦が書くジャンルはコメディとホラーという両極端なものです。作品を生み出すのはきっとものすごくエネルギーを消費するのでしょう。ペンギンはコメディー作品、ジャバウォックはホラー作品、お姉さんはエンタメの神なのではないでしょうか。
「ペンギン・ハイウェイ」とは、少年森見登美彦がエンタの神様に出会う話なのではないでしょうか。
アオヤマくんのお父さんの顔は森見登美彦にそっくりです。映画化され、キャラクターデザインされたときに絶対著者の顔を参考にしていると思います。お父さんが大人の森見登美彦であるなら、アオヤマくんにも子どもの森見登美彦が投影されているだろうと思います。
・・・森見登美彦ファンの考察とも言えない感想として聞いて下さい。
作品が好きであればあるほど、映像化されるときの改変は怖いです。「夜は短し歩けよ乙女」の改変はわたしとしてはあんまり・・・でしたが、「ペンギン・ハイウェイ」は良かったと思います。確かに尺の関係でぎゅっとされているところもありましたが、物語として自然で、最後に希望を残す映画オリジナルのラストシーンも美しいと感じました。
唯一、いまいちだったのは、最後にもう一度アオヤマくんのモノローグが流れるところ。結婚する人はもう決めている、と言うところでハマモトさんの笑顔が映ります。アオヤマくんがこれからもずっと結婚したいと思っているのはお姉さんであってほしくて、未練がましくこじらせたままいずれは京都の腐れ大学生になってほしいので、あそこでもう一人のヒロインを映すのは違うだろ!と思いましたが、あくまでこれは個人的な思いです。
最後に主題歌について。
映画化が発表され、主題歌が宇多田ヒカルの「Good Night」に決まったというネットニュースを見たとき、わたしは最初ぴんときていなくて、単に宇多田ヒカルの名前を見て喜んでいただけでした。映画を見に行く前に「ペンギン・ハイウェイ」を読み返し、まだ見ぬ映画に期待を膨らませているとき、ふと気づきました。
「Good Nightってもしかして、ぐんない、のシーンのことか!?」
アオヤマくんがカフェの店員さんに英語で「おやすみなさい」の挨拶を「ぐんない」と言うことを教わる場面があります。最近、お姉さんは体調が悪くて眠そうにしていたりします。アオヤマくんはお姉さんにちゃんと寝て休んでほしくて、ちょっと背伸びして英語で「ぐんない」と言うのですが、お姉さんは大人なので当然英語の挨拶も知っていて「ぐんない」となんでもないように返されます。
物語上、特に山場でもキーポイントでもありません。でも、お姉さんを気遣う、ちょっと格好つけた振る舞いをしたいアオヤマくんとそれを流す大人のお姉さん、という二人の関係性を象徴するようなシーンです。
わたし自身、曲名の発表の後に読み返すまで、本の中にそんなシーンがあったことを忘れていました。でも考えれば考えるほど、いいところ選んだなあと思っていたのです。「ペンギン・ハイウェイ」の空気感をよく表すシーンだし、もしかしたらそのシーンで主題歌のインストが流れたりするのかな、とか。
映画を見たら、「ぐんない」のシーンはありませんでした。
どういうこと????
いろいろ可能性は考えられます。映画の初期段階ではそのシーンがあり、その時期に宇多田ヒカルにオファーしたが、後に何らかの事情でそのシーンがカットされ、主題歌にのみ残った。あるいは、宇多田ヒカルがオファーを受けて原作を読み込み、独自にそのシーンをピックアップして主題歌にした。あるいは、宇多田ヒカルが選んだ言葉が偶然作品中にもあった。
真相はわかりませんが、いずれにしても、すごくないですか?
わたしはここに映像化作品の主題歌の正解を見た気がします。あえて映像化されていない、原作にしかないシーンから主題歌を作ること。物語の一部から作った曲なら世界観とは間違いなく合うだろうし、原作を知っている人からしたら「ああ、あそこね」とニヤリとできるし、それでいて映画の内容と丸カブリというわけでもないので新鮮さがあります。これってもしかして原作あり映像化作品の主題歌どうする問題のベストアンサーではないのか。主題歌界隈(があるとすれば)のエウレカだと思います。
もしかしてだけど、わたしたちはこの映画を通して、少年とエンタの神様との出会いを目撃し、主題歌の女神が泉から現れるのを見たんじゃないのでしょうか。