
「ホールドオーバーズ」それは小さなスノードームのような
以下、ネタバレを含みます。
「ハリー・ポッター」で特に大きな事件が表立って起こっていない日常パートありますよね。そんな事件なし、さらには魔法なしの寄宿舎学校の話です。何が面白いの??と思うかもしれません。でもその日常が登場人物の人柄を映す鏡なんです。極限状態で絞り出されるセリフ・行動より、食堂でご飯を食べながら友達と話している他愛ない会話のほうがときにはきらきらしています。50年ほど昔、アメリカの名門の寄宿舎学校で、しかもクリスマス休暇に家族の元へ帰れず学校に居残りになってしまった、というレアな状況なので、知らない世界の出来事として興味深く見ることができました。
やっぱり寄宿舎学校ってキリスト教の色が強い学校が多いんですかね。「ハリー・ポッター」か「黒執事」か「車輪の下」くらいしか知らなくて。「車輪の下」は神学校なのでまあそうなのですが、「ハリー・ポッター」はそこまでキリスト教感はしませんでした。クリスマスやイースターを祝っていたので、まったくないわけではないとは思うのですが。
「ホールドオーバーズ」の舞台となるバートン校はキリスト教系の学校だからかもしれませんが、クリスマス休暇を家族と過ごすことがとても重んじられています。年末年始休暇でもあるからだと思います。
わたしもコロナ禍で一番自粛自粛言われていた年まで毎年年末年始は実家で過ごすのが当たり前でした。高校卒業して一人暮らしになってからも、10年以上。ステイホームで初めてお正月を一人で過ごしたのですが、全然お正月感がなくて、いまいち年を越せていない感じがしました。つけていたテレビでは「あけましておめでとう」と言っていたし、あつ森でカウントダウンもしていたのに。
「ホールドオーバーズ」で寮に残ることになる子どもたちは、日本で言うとお正月に家族に会えないようなものなのかと思うとすごくかわいそうになります。普段寮生活なので長期休暇で家族に会えるチャンスは貴重なはずです。
しかも、最初の数日は居残りの生徒が何人かいたので仲間意識でなんとか仲良くやっていけるかと思われましたが、途中で一人を除いて脱出してしまいます。なかば冬期講習と化していた寮生活を抜け出して、サプライズ的にスキー旅行に連れて行ってもらえることになったのです。
そこで唯一取り残されてしまう男子生徒、アンガス・タリーが生徒側の主人公なのですが、賢く大人びて見えますが、中身はまだまだ純粋な子供です。世間知らずで、思ったことをすぐ言ってしまう。尖っているようで、でも泣いている人がいれば自分のことは置いておいて寄り添ってあげる優しい子でもあります。
このアンガスと、居残り組の監督を押しつけられたハナム先生が少しずつ分かり合っていく話です。最初はお互いに相手を煙たがって「最悪〜」と思っているのですが、お互いの事情がわかっていくにつれ、共犯関係にも似た信頼が生まれていきます。特にハナム先生は、「成績だけは良いクソ生徒」でしかなかったアンガスのために、なんとかクリスマスに良い思い出を作ってあげようと思うまでになります。
多くの物語では主人公たちが仲良くなるのは同じ目的を共有し、同じ問題に立ち向かって、という過程が王道です。ただ「ホールドオーバーズ」では仲良くなるきっかけはどちらかといえば同情や愚痴の言い合いです。「クソガキ」「デメキン」などとラベルを貼って見ていた相手の弱みを知ることで、ラベルが剥がれて初めて生身の人間として見えてくるのだと思います。それから秘密の共有。
「ルームメイトと問題が起きた。私が論文を盗作したことにされて」
「盗作してハーバードを退学になった!?」
「いや、車で轢いた」
「車で人を轢いてハーバードを退学になった!?」
いちいちハーバード退学を復唱するシーンめっちゃ笑いました。
映画の終盤、休暇が終わって他の生徒達も寮に戻り、新学期が始まります。ほんの2周間前まで一緒にハナム先生の悪口を言っていた友だちがまた同じ調子で先生の偏見に満ちた悪口を言っているのですが、これがめちゃめちゃ浅く聞こえます。「え、浅っっっ。お前まだそんなところにいるの??」という感じです。でも友だちの言動は何もおかしくはなくて、アンガスとわたしたち視聴者が急に先生への見方が変わってしまっただけなのです。最後まで居残りをすることになった人たちとその様子を見守ったわたしたちは、いわば秘密を共有しているみたいなもので、なんだか勝手に仲良くなってしまったような親近感を覚えていることに気づきます。
「ハリー・ポッター」のように大きな事件が起きるわけでもワクワクする魔法の世界を見せてくれるわけでもありません。終わり方もちょっとビターで、めでたしめでたしとはとても言えません。でも登場人物の関係性の変化が心地良くて、映画の空気感それ自体も良くて、「はぁ〜こんな映画もあるんだな〜」とすごく新鮮でした。
それは小さな光のような、大切なスノードームを眺めているような映画でした。